天叢雲剣

「尼前、われをどこへ連れて行くのですか」


 寿永4年、長門国壇ノ浦。

 かって「平家にあらずんば人にあらず」と言うものが現れるほどの栄華を誇った平家も、もはや権勢は失墜し、この西の果てまで追い詰められていた。

 源氏方の大将である源九郎判官義経は、戦の為に生まれてきたような男だ。神速の用兵で一の谷、屋島と平家方を蹴散らし、ここまで執拗なまでに追い詰めてきた。愉悦の笑みを浮かべながら戦場を駆け抜けるその姿を見ると、彼の者が鞍馬山で天狗に育てられたという噂も真のように感じられる。

 壇ノ浦にてまさに背水の最終決戦に挑んだ平家方だが、船から船へ飛び移りながら攻めたてる義経の猛攻に抗うことはできない。大勢は決し、平家方の諸将は次々に荒海へと飛び込んでいった。

 そして、平清盛を外祖父にもつ数え年8歳の若き主上、安徳天皇にも、終わりのときは近づいていた。

 彼の祖母である二位尼は、彼に優しい声色で伝える。


「陛下は前世の功徳により君主としてお生まれになさりましたが、悪縁に引かれて、御運は既に尽きてしまわれました。東の伊勢大神宮と、西の西方浄土にお祈りください。この世は厭わしいところなので、極楽浄土へとお連れ申します」


 それを聞いた安徳はすべてを悟り、静かに手を合わせる。その美しい姿に、周囲のものはみな泣き崩れてしまった。


「浪の下にも都がございます」


 二位尼はそう言うと、安徳を抱きかかえ、帝の証である三種の神器とともに海へと身を投げた。

 ここに、平家は滅んだ。




 壇ノ浦の急流の中。

 祈るように両手を合わせながら沈みゆく安徳の側で、三種の神器の1つである天叢雲剣が輝きだした。その光はやがて強くなり、彼を包み込む。


(美しい光だ……これが浪の下の都であろうか)


 安徳がそう思う中、光はさらに強くなってゆき、最後に一際強く輝いてから消えた。光の跡には、ただ暗く冷たい海だけが残っていた。

 戦後、源氏方は戦跡を漁り、三種の神器のうち八尺瓊勾玉と八咫鏡を回収した。しかし、天叢雲剣、そして安徳天皇の亡骸はどれだけ探しても見つけだすことができなかったという。






 安徳は、みすぼらしい民家にて目覚めた。


「気がついたかい?」


 家の中には、古びた着物に見を包んだ老夫婦がいる。隣を見ると、鞘に入った天叢雲剣が置かれていた。


「ここはどこですか?」


 帰ってきた答えは、安徳が聞いたこともない地名だった。まさか宋や高麗に流れ着いたのかと彼は思うが、老夫婦の話によるとここは近くに海のない村だという。聞けば、家の前に全身が水に濡れた少年が剣とともに倒れており、大層驚いたのだとか。

 安徳はひどく困惑したが、行くあてもない。老夫婦の厚意に甘え、世話になることにした。




 そして、10年の月日が流れた。


「お爺さま、お婆さま、おはよう御座います。本日も畑へ行ってまいります」


 安徳は、精悍な青年へと成長していた。かっての彼は若き天皇としてほとんど動かすに過ごしており体は細かったが、野良仕事を手伝ううちに立派な体つきとなっていた。


「安徳や、いつもありがとうねぇ」


「いえ、2人に頂いた恩を考えれば、当然のことです」


 安徳は天皇であった頃、祖父の平清盛や祖母の二位尼に「前世の功徳により、君主となった」と言われてきた。しかし、彼自身はまだ何も成してない。

 この世界に来てから、安徳は甲斐甲斐しく老夫婦の手伝いをしていた。それは老夫婦からの恩を返すためであり、素晴らしいという前世に釣り合うような人間になりたかったためでもあった。


 安徳が畑へと向かおうとすると、近くに住む村人が血相を変えて走ってきた。


「大変だ!魔物の群れが迫って来ているぞ!」


 魔物。

 それはこの村の周囲に生息する異形の怪物であり、ときたま餌を求めて人里近くまでやってくる存在だ。一匹や二匹なら村の人々によって退治されるが、群れとなると退治は厳しい。


「……逃げましょう」


 畑を荒らされるのは痛手だが、命には代えられない。逡巡の後、安徳と老夫婦は大事なものだけを持って逃げることにした。とはいっても貧しい彼らに大事なものはあまり多くない。彼は部屋の奥に戻り、天叢雲剣だけを持って行くことにした。

 村人たちは次々に村から逃げていくが、すでに足腰が弱っている老夫婦はやはり出遅れてしまう。並走する安徳が後ろを見ると、土煙を上げながらこちらへ走ってくる魔物が、すでに視界に入るほど近づいてきていた。


 その光景を見て、安徳は立ち止まってしまった。彼の頭の中に、過去の戦の記憶が映る。源氏方に西へ西へと追い立てられた逃避行、那須与一に首を撃ち抜かれた老人、そして壇ノ浦で鎧武者たちが海へ飛び込んでいく様。彼は戦が怖いが、戦で誰かを失うのはさらに怖かった。


「逃げてください」


 安徳はそれだけ言って、老夫婦とは反対の方向に向き直り、剣を構えた。彼は剣の練習などしたことはない。それでも老夫婦の静止を聞かず、魔物の群れを迎え撃たんとした。せめて、足止めだけでもできればいいと思いながら。


 魔物たちが近づいてくる。先頭の個体は、角が生えた狗のごとき生物だ。

 それに相対して剣を向けた刹那、安徳は不思議な感覚に支配された。唐突に時間がゆっくりに感じ、体が羽根のように軽くなる。湧き出した全能感に流されるままに、思い切り剣を振り下ろす。彼はまるで達人のような所作で、魔物を袈裟斬りにした。

 それからも安徳は止まらなかった。身体が完全に思い通りに動き、膂力は強くなり、魔物の群れを薙ぎ倒す。

 敵を葬りながら、安徳は考える。そんな余裕すらあった。

 

(この剣のお陰であろうな……)


 天叢雲剣は皇家に代々伝わる神剣だ。遠い昔、大和朝廷の安寧のために戦った日本武尊命は、この剣を持って無類の強さを誇ったという。ただ、剣を尾張国に預けてからは、神の怒りに触れ病で命を落としたとも。それほどの力がある剣ならば、私を自在に動かすことも造作ないであろう。安徳はそう考えながらひたすらに刃を振る。やがて、彼の周りの魔物は全て屍となっていた。

 魔物から村を守った安徳は、老夫婦と村の人々たちから感謝され、讃えられた。前世でなく今の自分自身の行動を認められること、そして周囲の人々を守ること、それが彼にとって何よりも喜ばしいことだった。




 それから安徳は、魔物が村を襲うたびに戦い続けた。天叢雲剣に身を任せれば、まず負けることはない。剣に頼り切っているとは感じていたが、村人たちを守れるなら彼はそれでよかった。周囲の人々が命を落として、自分の無力さを呪うのはもう御免だった。

 村を襲う魔物は、数と頻度が段々と増えていった。昔はごく稀にはぐれた魔物が村に迷い込む程度だったが、今では連日のように大量の群れがなだれ込んで来る。魔物たちの群れは、まるで何かに追い立てられているようであった。安徳はそれをひたすらに打ち倒していった。

 



 ある日、魔物の見張りに立っていた男が、血相を変えて駆け込んできた。


「とんでもない化け物が現れたぞ……」


 その男はあまりに慌てた様子であり、安徳は不安になりながら尋ねる。


「どのような生物だったのですか?」


「大きな蛇の怪物だ。身体は山ほどもあって、頭と尻尾がそれぞれ8つづつあった。それがゆっくりこっちに向かってきているんだ」


「それは……」


 安徳は驚いた。しかし驚愕した理由は、周囲の村人とは異なる。その特徴が、天皇であった頃に聞いた神話上の生物、八岐大蛇にそっくりだったからだ。

 八岐大蛇は天照大御神の弟である素戔嗚命によって退治されたとされる蛇の怪物だ。その体内からは、彼が腕に持つ天叢雲剣が現れたという。


(神話に描かれるような生物と、戦わなくてはならないのか……)


 しかし安徳に逃げる選択肢はなかった。村を出てしばらく進むと、やがて遠くに見えてくる。見張り役の言葉に嘘偽りはなく、身体はまさに八岐大蛇のごとしで、山のように大きかった。


 神剣の力を借りれば、あの化け物にも立ち向かえるかもしれない。安徳はそう信じ、無謀にも大蛇へと突き進んでいった。

 しかし、どんなに鍛え上げた人間であろうと、山と力比べをして勝てるはずもない。大蛇は巨体に似合わない俊敏な動きで安徳の剣閃を躱し、尻尾で彼を打ち叩いた。咄嗟に剣で防がなければ、彼の命はもう失われていただろう。


(嫌だ……)


 ここで自分が死ぬこと、村の皆が殺されること、また壇ノ浦と同じ末路を辿ることが、安徳には何より怖かった。

 その怖れから、無闇矢鱈に剣を振り回す。剣の先端が大蛇の尻尾に突き刺さり、少し傷を付けた。ただそれ以上に抗うことは、叶いそうもなかった。

 項垂れて、ふと剣を見る。すると、剣の先端が光っていた。ちょうど大蛇を突き刺して、その体内に入りこんだ部分だ。

 安徳はその光を見たことがあった。忘れもしない美しい光、暗い壇ノ浦の海でのことだ。




 その光を見て、安徳は気づいた。気づいてしまった。


「そうか……総ては最初から定まっていたのだな」


 安徳はそう独りごちた後、手に持つ神剣に話し掛けるように呟く。


「なあ、天叢雲剣よ。そなたには、別の世界を繋ぐ力があるのだろう。

私からの最期の願いだ。大蛇の体内へと入り、かの怪物を遥か昔の日ノ本、神代へと飛ばしてくれないか。それで、総てがうまくゆくのだ」


 そして、安徳は大蛇の前に立ち、神剣を掲げる。

 大蛇の首の1つが口を大きく開き、神剣ごと安徳を飲み込んでいった。






 安徳と大蛇の戦いを固唾を飲んで見つめていた老夫婦と村の住民たちは、信じられないものを目にする。安徳が剣ごと大蛇に飲み込まれたかと思うと、その大蛇が忽然と消えてしまったのだ。

 安徳が自分の命と引き換えに大蛇を消滅させたのだ。彼らはそう思い、彼の功績を称えた。

 日ノ本から遠く離れた世界の小さな村で、安徳の活躍はずっと語り継がれているという。

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