霊の7

”幽霊に酒なんか呑めるものか”

 だって?

 呑めるよ。

 俺の記録を丹念に当たってくれりゃ、分かる筈だ。

(*”ハゲヤマ荘の一夜”を参照のこと)

 ま、そんなことはどうでもいい。

 俺はスキットルの蓋を開け、二つの紙コップにバーボンを分けて注いだ。

『つまみになるものは何にもないが、ってくれ』

 俺の言葉に、岡本君は素直に両手でコップを受けると、一気にバーボンを呑み干す。

 構わずに俺は二杯目を注いでやる。

『僕は生きてる時には全くダメだったんですがね』彼は小さなゲップと共に、息を吐き出す。

『死んでから、こんなに酒が美味く感じるなんて、思ってもいませんでした』

 心なしか頬が赤くなっているようだ。

『で、君はこれからどうする?』

 岡本君は二杯目を飲み干し、すみませんがもう一杯、と、またコップを前に出した。

 三杯目をついでやると、彼はしばらくそれをじっと見つめ、そして一息にあけて見せ、

『良く解りません・・・・』と、小さな声で答えた。

『恋人が君を捨てたことを、まだ怨んでいるのかね?』

 俺の言葉に、彼は首を横に振った。

『僕はもう、肉体のない身の上ですからね。そんな気持ち既に亡くなっています。それなら簡単に消えると思っていたんですが、どういう訳かそうもなりません。だからってこのままこのアパートに居座り続けても、大家さんや管理会社さんに迷惑をかけるばかりですからね』

 俺は何も答えず、スキットルの残りを干す。

『どうすればいいと、思いますか?』彼はため息交じりに訊ねて来た。

『悪いが俺はただの私立探偵に過ぎん。徳の高い坊さんでもなけりゃ、心理カウンセラーでもない。君の悩みに対する答えなど用意してこなかったし、また答えてやる必要も感じていない』

 俺はスキットルの蓋を締め、今度はシナモンスティックを出して口に咥えた。

『俺はただ、俺の依頼人・・・・つまりは君の妹から、君の行方を捜して来てくれと頼まれただけだ』

『妹は軽蔑するでしょうね・・・・』彼はまたため息を洩らす。

『自分の兄が、学歴の事で女にふられ、挙句に自殺していたなんて聞いたら・・・・』

 俺は何も答えず、スティックを齧り尽くした。

 どうやら夜が明けかけてきたようだ。

 埃で曇った窓ガラスから、朝の薄い光が、畳の上に差し込みかけて来た。

『僕はそろそろ消えなければ・・・・』

『消える前に確認しておきたい。君の事を妹さんに話してもいいんだね?』

 岡本君は立ち上がり、深く頷く。

 すると彼の足元から、薄く靄がかかったように消え始めた。

『・・・・仕方ありません。それが貴方の仕事なんでしょう。妹には事実を伝えて下さい』

 それが最後の言葉だった。

 彼の身体は全身が靄につつまれ、やがて消えていった。

”三日もかからずに済んだな”

 俺はそう呟きながら、畳の上から立ち上がり、膝をはたいた。

 

 不動産屋の親父は、鍵を返しに来た俺を見て、やっぱりかと言うように、

『やっぱり、出たんですか?三日って言ってたのに、一日しか持たなかったじゃないですか?』

 と、嘲るような調子で言った。

『出たのは事実だがね。別になんてことはなかったよ。用件が済んだから帰るだけだ』

 鍵を返し、俺はその足で依頼人の家に向かった。


 正直、足取りは重かった。

 やはりどう考えても、

”貴方のお兄さんは死んでいました”なんて告げるのは、あまり気分のいいもんじゃない。

 しかし俺はプロの探偵、これも仕事なんだ。

 西巣鴨にある彼女のマンションにつき、チャイムを鳴らすと、岡本明美が出て来た。

 彼女はクリーム色の半袖ニットにジーンズ、頭には赤いバンダナを巻き、何やら作業の真っ最中だった。

『引っ越しをするんです。』

 なるほど、結婚が近くなってきたからな。

 室内は梱包が済んだ段ボールがあちこちに置いてある。

 勧められるままに俺は部屋に上がり、結果報告をしようとした。

『昨日、兄から手紙が来ました』

 彼女は俺にグラスに入れたオレンジ・ジュースを出すと、嬉しそうな表情を浮かべて言った。

 

 

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