第5話 スプラッシュティー

 代金の支払いを終え、バグウェットが外に煙草を吸いに行っている間にベルはリウを呼びに行った。

 彼女は籠の中に入っていた菓子を目を輝かせながら頬張っている最中だった、ベルの存在に気付き恥ずかしそうに口の中のクッキーを飲み込む。

 籠の中の菓子は半分以上無くなっており、リウは食べ過ぎてしまったかと申し訳なさそうにしていた。

 それがベルの脳内にわずかに残った面白いと感じる部分を刺激した、足元に置いてあるゴミ箱を菓子の袋で一杯にしておきながら今更だろうと。


「良い食いっぷりだ、美味かったか?」


「……はい」


 リウは菓子を食べた事がほとんどない、いつも店に並んだ色とりどりの物を眺める日々だったからだ。

 たまに支援団体から菓子が贈られることもあったが、彼女は他のきょうだいたちそれを食べさせ自分は我慢していた。それは彼女の幼少期の経験からである。

 

 リウにも短い間だったが血の繋がらない兄や姉がいた、だが彼らは彼女に優しく無かった。菓子が届けば奪い合い、彼女が食べるはずだった物まで奪い取ってしまう、それは食事も同様だった。辛い経験をしてきた子供たちだ、荒んでしまうのも無理はないがそんな事は幼いリウには関係無い。

 

 リウはいつも部屋の隅でお腹を空かせ、泣いていた。

 彼女の味方は父親だけだった、泣いている彼女を慰めこっそりお菓子もくれた。いつも隣にいるわけでは無かったが、時折見せる父の優しさのおかげで彼女はここまでやってこれたのだ。

 こういった経験が彼女がきょうだいたちに優しくする理由にもなっている。


「気取りが無くていい、残りも持っていけ」


「でもベルさんが食べるのが無くなって……」


 気遣いの言葉を言いかけたリウを制するように、ベルは黙って部屋にあった大きな棚を彼女に開けて見せる、その中には大量の菓子が詰め込まれていた。

 チョコ、飴、ガム、棚に綺麗に並べられた数々の菓子、ベルは大の菓子好きであり甘党だった。そこからいくつかチョコや飴を掴むと、リウの前にある籠にいくつか入れて渡してくれた。


「ありがとうございます!」


 立ち上がり頭を下げたリウの背中をベルは気持ちよく叩き、入り口に連れて行った。

 

「またな爺さん、次も頼む」


「整備はする、だが次に壊したら覚悟しろ。お前の頭を一山いくらのバラ肉にしてやるからな」


 バグウェットは分かった、と頷き店を後にしようとした。その時、リウが菓子の入った籠を持って店の奥から出てきた事を思い出す。


「ありがとな爺さん、菓子までもらっちまって」


 目の前の老人はワオスイーツの棒付き飴イチゴ味をポケットから取り出し、それを口に咥えた。

 老人は少しだけ悲しげな眼をしている。


「菓子にはガキが一番似合う、それだけだ」


 ベルの視線は、シギと菓子をはしゃぎながら食べるリウに向けられていた。やっぱりらしくねえよ、そう笑ってからバグウェットは今度こそ店を後にした。



 

「これ美味しかったな」


「おお! 中々良いセンスしてますよ、これはワオスイーツの中でも一、二を争う美味しさですから!」


 シギとリウはの二人はベルに貰った菓子ではしゃいでいた、シギは意外と甘いものが好きで良く食べている。バグウェットがあまり甘いものを食べないからか、リウと話すシギは年相応の子供のようだ。


「やっぱりお菓子の話ができるのは良いですね、バグウェットなんてあの通りの味オンチですから」


「そりゃあんなラーメン食べてたら舌もおかしくなるって」


 楽しそうに笑う二人、その後ろでバグウェットは不満げな顔をしていた。そろそろ拳骨の一つ二つくれてやっても文句は言われないだろう、彼はそう考えそのタイミングを見計らっていた。


 大通りに出ると三人の前を、救急車がサイレンを鳴らしながら何台も走って行った。その後ろから消防車と、治安部隊の装甲車が走っていく。

 彼らが向かうのは、先ほど三人が歩いて来た方角だ。


「ったく、どこのどいつだ? イノボを起爆させるなんてよ」


「観光客だとさ、ちゃんとガイドの言う事を聞かねえから……」


 道を歩く人々はまたかといった様子で、口々に愚痴をつぶやきながら歩いている。リウは何があったかを二人に聞こうとしたが、騒ぎの反対方向に歩き出した二人は答えてくれそうにない。


「二人は気にならないの? すごい騒ぎになってるみたいだけど」


「ここじゃよくある事だ、いちいち気にしててもしょうがねえんだよ」


 そう言ってバグウェットは歩き続ける、突き放したきつい言い方に何も言えなくなり、リウは黙ったまま二人の後を追う。

 結局あの騒ぎが何だったのか、分からないまま。


「バグウェット、もう用事は全部終わったのでは?」


「まーな、でもちょっと小腹も空いたところだ。軽く食わせてもらおうぜ」


 その言葉と共にシギの顔は呆れを含んだものに変わる、本当にしょうがない人だなと顔だけでそう思っているのが分かるほどに。

 三人は歩き続け大通りを抜ける、周囲の景色は先ほどまでの煌びやかな街並みから落ち着いたものに変わっていく。大きなビルは消え、建物の間隔が広がっていく、人の通りもまばらになっていき先ほどまであったせわしない喧騒はその姿を隠し、辺りには穏やかな時間が流れるようになった。


 ベルの店を出て一時間半ほど歩き続け、三人は疲れ切っていた。もちろんこれだけ巨大な都市だ、交通機関はかなり充実しているがバグウェットはあまりそれを使いたがらない。

 道にあったベンチに腰掛けると、三人の足に疲れが押し寄せてきた。


「……もう足ガクガクなんだけど」


「シギ、金やるから飲み物買ってきてくれ」


「自分で行ってくださいよ」


「頼むから行ってくれ、飯の当番こんど変わってやるから」


「分かりました、行きますよ。ただ食事の当番は変わらなくて大丈夫です」


 仕方なさげに立ち上がったシギに、バグウェットは金と落ちていた棒を手渡す。別にいらないなと思いながらも彼は棒を受け取り、ズルズルと引きずりながら飲み物を買いに行った。


 残された二人は夕暮れ時のベンチの上で、言葉を交わす事も無くただ疲れた体を休ませていた。リウはともかく、シギとバグウェットの二人はベルの店で受け取った荷物のせいで余計に疲れていた。

 バグウェットの肩には。先ほどまでかかっていたボストンバッグの持ち手の跡が付いている。肩が赤くなっているだろうなと思いながら、バグウェットは煙草に火を点けようとした。


 だが火を点ける寸前で思い出したように吸うのをやめ、携帯灰皿にそれを押し込もうとした。


「別に吸ってもいいわよ」


 煙草を押し込めるのをやめ、リウの方を見た。

 彼女は疲れた顔でこちらを見ている、考えてみればこうもまじまじとバグウェットがリウの顔を見るのは初めてかもしれない。朝は慌ただしかった上に、昼間も結局のところしっかり見たわけでは無かった。


 バグウェットの目に映った彼女は美しかった。

 その美しさとは彼女の肌を指す言葉ではない。

 彼女の髪の事指す言葉ではない。

 彼女の姿形を指す言葉ではない。

 彼女の瞳の美しさを指すものだ。


  表面上の美しさではなく、その瞳の奥にある輝き。人なら誰しもが持っていなくてはいけないような輝きの事だ。この世界で、この都市で不要とされ多くの人間が失い二度と拾う事の敵わない輝きを、彼女の瞳はまだ持っている。

 夕暮れ時の赤い太陽に照らされて、その瞳の奥にある輝きはより一層輝いていたのだ。

 それを捨ててしまった者の心を焼く程に。


「どうしたのよ、ボーっとしちゃってさ」


 その言葉でバグウェットは我に返る、居心地の悪そうに頭を掻きながらベルに少し突っかかりすぎたかと後悔していた。


「何でもねえよ、別に気分じゃないだけだ」


「わざわざ咥えたのに? 吸えばいいじゃない」


 何と言っても上手く誤魔化せそうにない、さてどうしたものか。

 頭を抱えそうになった彼の目に菓子の入った籠が目に入る、中にはまだいくつか菓子が入っていた。


「お前らを見てたら飴が食いたくなったんだよ、そん中の飴一本くれねえか?」


 リウは籠の中を見る、確かに籠の中にはまだ菓子が入っているが彼女はそれを院まで持って帰るつもりだった。先ほどシギに渡した分を引いてちょうど院に在籍する子供の人数分だ、今バグウェットに菓子を渡すと自分の食べる分が無くなってしまう。

 確かに一瞬の躊躇いはあった、みんなと一緒に食べたいという思いもある。だが彼女はそう長い時間悩まずに、飴を彼に差し出した。


「はい、味はこれでいい?」


「ああ」


 バグウェットは包みを開けて口に飴を咥える、すぐに口の中が甘くなってきた。彼は正直な所ワオスイーツの菓子があまり好きではない、過度にも思えるその甘さが苦手だった。


「どう? 美味しい?」


「ああ」


 そっけない返事を繰り返す彼の事を珍しく怒りもせずに彼女は見ていた、『もっと美味しそうにしたら!?』や『感謝の言葉は無いの!?』なんて騒ぐんじゃないかと彼は考えていたがその予想はあっさりと裏切られた。


「あんたも煙草なんてやめてお菓子食べれば? その方が体にいいでしょ?」


「菓子だって体に良いわけじゃねえだろ、同じ事だ」


「うーん……でもお菓子は食べても臭くならないよ?」


 リウは随分と引っかかる物言いをする、まるでバグウェットが臭いような。


「んだよ、俺が煙草臭いってか?」


「うん、鼻が曲がりそう」


 二人は真顔のままそんな会話をしていた、実際バグウェットの衣服は彼が吸っている煙草ドレッドノートの特有の甘い香りが染みついていた。紙煙草の中ではまだマシな部類の臭いとはいえ、煙草をやらない彼女からしてみればあまり良いものではない。

 やはり煙草を吸わなくてよかったと、バグウェットは飴を舐めた。


「お待たせしました、どうぞお好きなのを選んでください。ん? 珍しいですねバグウェットが飴を食べてるなんて」


「ガキの気分を久しぶりに味わいたくなったんだよ」


 少ししてシギは飲み物を抱えて戻ってきた、自分用の激甘ジュースの他に炭酸とお茶という当たり障りない物を選んできたようだ。

 バグウェットはリウに先に取れと言って、リウが炭酸を取るのを見届けると残ったお茶を取る。


「おい、それは思いっきり振った方が……」


「バグウェット、さすがにそれはやめときましょう」


 バグウェットのいらないアドバイスをシギの言葉が遮る、そのおかげで彼女は人生初めての炭酸を口の中で弾けさせる事に成功した。

 シギは渡された棒は使わなかったと言ってジュースを飲む、バグウェットは安心したような表情を作り、口に咥えていた飴をかみ砕いてからお茶を飲む。

 

 次の瞬間バグウェットは勢いよくお茶を噴き出した、彼の飲んだお茶は渋すぎて販売中止が検討されている物だった。

 



「着いたぞ」


 ベンチで休んでから更に二十分歩き、三人がやってきたのは一軒のバーだった。茶色の渋みのある扉には『close』の表示がかかっている。時刻は十七時手前、表に置かれている看板には十七時半オープンと書かれている。


「ちょっと待ってろ」


 二人を外に待たせ、バグウェットはずかずかと店内に入って行った。

 うまく聞き取れないが何やら言い争う声とガシャンと何かが割れる音が聞こえ、五分ほどでバグウェットは店から出てきた。

 顔を赤く腫らし、頭からダラダラと血を流しながら。


「入って……いいってよ」


 今にも倒れそうな彼を、二人は支えながら店内に入る。店内はあまり広くなく四人掛けの机が五つ、カウンターに椅子が五つほどあるだけのこじんまりとした店だった。壁には高そうな酒のボトルがいくつも飾られ、少し薄暗い照明と店内に流れる落ち着いたBGMがリウの体を委縮させた。

 

 カウンターにバグウェットを連れて行き座らせると、彼はそのままカウンターに倒れ込んでしまった。どうすればいいか分からず狼狽えるリウと対照的に、シギは呆れ顔でバグウェットの隣に座った。

 奥からコツコツとヒールが床を叩く音が聞こえる、ほどなくして音の主は現れた。

 

 リウは今日一番の、いや人生で一番の衝撃を受けた。

 空から魚が降ってきた、道端の猫がいきなり喋りだしたりしたような驚き、彼女は目の前の人物を一目見た瞬間に、自分がどれだけ矮小な人物かを理解させられたような気がした。


「いつになったら数字が読めるようになるの? ほんっとに馬鹿なんだから」


 肩までの伸びたブロンドの髪は、手のひらで撫でれば心地よく指の間をすり抜けていくことが容易に想像できるほどきめ細やかく、大きく青い瞳は宝石と見紛うほどに美しい、すらりとしたしなやかな肢体はその全てから人を惑わすような色香を放っていた。

 美しいという言葉が黒のカマーベストと赤いネクタイを締め、そこに立っていた。


「いつもすみません」


 頭を下げたシギを見て、彼女は赤い口紅が塗られた官能的な唇を歪ませた。その様は妖艶なようであり、情熱的でもある。


「まぁいいわ」


 彼女の目線はリウに向けられた、全てを見透かされているような感覚に襲われる。決して嫌なわけでは無い、二つの青い瞳は彼女の体を隅から隅まで射貫くように見ていた。


「貴女がリウちゃん? バグも隅に置けないわね、こんなかわいい子を連れてくるなんて」


「こ……こんにちは……」


 リウは自分を見てほほ笑む女性の放つ、圧倒的な大人の色気に酔いそうになっていた。顔を赤くした酔っ払いのようなリウを見て、彼女は何となくバグウェットがリウをここへ連れてきた理由が分かった気がした。

 その女性はカウンター越しにリウに右手を差し出した。リウも慌ててその手を取る、自分より大きく自分よりも柔らかい手には畏敬の念を抱かざるを得ない。


「私はジーニャ、噓つきのたまり場スローピーにようこそ」


 そう言って笑う彼女の目は先ほどとは違う、ここで生きていく者特有のどこか陰のある色をしていた。

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