33話-転覆-

 溜飲が下がった。

 スカッとした。 

 ざまあみろ。


 あの瞬間、櫻宗という国自体が動いたあの瞬間、自分たちの組織が最も避けねばならなかったあの事態が起こった瞬間、私が真っ先に感じたのは、そのような感情だった。


◆   ◆   ◆



 ヘリが舞う。

 恐らく当局からの飛行許可を得ていない。



 ヘリからバラまかれたビラには、政府が報道機関と提携した歪曲報道を行っている、という内容が記載されていた。


 チェルージュの高官たちと、【霧】の上層部が秘密裏に提携していた、というニュースが、首都圏ローカルの公共放送で深夜に放送されたのだ。


 その番組で放送されたのは、一つの盗聴器に録音されていた会話の音声であった。


 直接の視聴者こそ少なかったものの、通信局・新聞・ラジオなどの公共放送に問い合わせが殺到し、数日で国民全体を巻き込む大騒動と化した。

 【霧】及び与党は一連の報道を悪質なデマと主張しているが、声紋分析を扱う心理学者が、録音音声で会話している片方の人物の声紋が、チェルージュ国軍事パレードで演説を行う党幹部のものと完全に一致していることを主張した。


 その騒動と前後して、櫻宗国近海で深夜3時―――つまり盗聴器の内容通りの時刻・位置に、チェルージュ軍からのミサイル投下が起こったことも、与党への批判に拍車をかけることになった。

 最早騒動は与党の手によって鎮火できそうにもない。




 そして大騒動のままに、大統領選挙結果発表日。


 世間が与党批判一色に染まっているなかで迎えるこの日の、全地方で選挙結果が総動員で集計されているこの日。




 私は自身があの場で聞いていた密談が、世間の目と耳に晒されることになったことと、その原因となった盗聴器のことを考えていた。

 所属する組織の後ろ盾となる政党が存続の危機であるのにも関わらず、どこか冷静だったのだ。



 とりあえず、【霧】とは異なる勢力が、あの部屋に盗聴テープを仕込んでいたことは確かだ。



 諜報機関として、大統領選挙間近という局面で機密会議を盗聴されるのは、致命的失態だったと言える。

 本来ならば責任を取らされる―――たいていの場合は【不慮の事故】で死体が見つかる―――のは私のはずだが、公共放送での報道からの数週間、全くと言っていいほど私が命の危機に見舞われることはなかった。

 おそらくは、盗聴された責任を持つべき人物が他にいたのだ。

 そして私のほかに責任があると思える人物は、一人しか思いつかなかった。

 【彼】だ。



(なぜ会談の直前に、【彼】は私の護衛場所をずらしたのだろう……)



 直前に指示された変更後の護衛位置がセオリーと違ったから怪しいと思っていたが、もしセオリー通りの位置についてさえいれば、私や他の【霧】のメンバーが盗聴テープを発見して、今回の事態を防ぐことができていたはずなのだ。


 予想外の侵入者・接近者の介入を防ぐため、敢えてセオリーとは異なる配置を行う、というのが【彼】の指示の理由だったが、あの人はそんな曖昧な理由でセオリーを崩して、盗聴を許すような間抜けではない。


 ―――まさか、【彼】はわざと?


 ふとそんな思いが脳内をよぎったが、屋上から見える景色を前に、今問題にすべきは原因ではなく現状だ、と思い至った。


 今や与党は、国民が信頼を置く政治基盤の要から、国民が非難の目で見つめる大スキャンダルの的と化していた。


 全国各地で、暴動にも似たデモ活動が勃発しており、特に軍事政権側の選挙事務所は暴徒化した市民による投石でガラス扉が穴だらけになる始末だった。


 選挙結果発表日である今日もまた、軍事政権の横暴に抗議するデモ参加者たちの、乱雑な怒りの声が街中に響き渡っていた。



 今回の選挙で櫻宗自由党―――軍事政党が負け、親民党―――民主政党が勝利すれば、恐らくは軍事政権の管轄下にある【霧】も解体を余儀なくされる。


 国民を守るという名目で私が人生を捧げてきた【霧】は、ほかならぬ国民によって解体させられるのだ。


 ―――いや。

 いくら国民を守る名目を掲げていても、内実が老人たちの権力維持のための組織なら存在意義がない、か。

 自分が内心冷静なのも、もう心の中ではとっくに【霧】を見切っていたからなのかもしれない。


「で、」


 ふと気になって、横を見る。


「あなた、なぜあの部屋にテープを仕込んだの?」


 ベランダの真隣で柵に持たれている後輩―――イメルダに問いかけた。



 どこの誰が、警備も厳重なあの部屋に盗聴テープを仕込んだか、私は察することができていた。


 今隣で話しているイメルダか、その一派の仕業と見てまず間違いなかった。

 空港での会話からも察することができたように、彼女は反体制派の一人だった。

 反体制派なら他にも様々な組織があるが、【霧】に所属した経歴のある人間でなければここまでの芸当は不可能だろうし、そこまでの人間は複数は思いつかないからだ。



 チェルージュとの秘密会談が盗聴されていたことを知った私は、貴方たちの仕業か、と直接会いに行って問いかけようと思っていたが、こちらが向かう前に彼女の方から私の前に来てくれた。



 結果、待機を命じられている仮住まいのアパートのベランダで、私はイメルダと隣り合った状態で、親友のように二人して柵にもたれながら会話をする、という構図になっていた。

 なぜこのアパートの場所がわかったかはわからないが、大方彼女の同僚に私の居場所をリークした人間がいたのだろう。



「旧友。それだけ言ってわかってくんねーっすか?」


 一切否定することなく、至極単純な答えを返してくるイメルダ。

 その言葉には、怨恨の色が見て取れた。

 彼女にどのような過去があったかはわからない。

 だが私だって、【霧】の諜報活動の中でカナタやセツナなど多くの市民を裏切ってきたし、【霧】という組織が多くの市民の恨みを買っていることは明白だ。

 となれば、自らの大切な人間が【霧】に陥れられたことを理由に、自ら同組織に見切りをつける構成員がいたとしてもおかしくはないわけだ。


 しかし彼女にどんな心境の変化があって、【霧】を裏切る意図が生まれたのか、民主派の野党とどのようなやりとりをしたのかは、この際どうでもいい。


 私にとって重要なのは、今の政権と、その政権の管理下で動く我が組織・【霧】の行方だった。


「……【霧】も、これで終わりかもね」


 そんな言葉が、つい口からもれた。


 まだ結果が確定したわけではないし、【霧】の構成員として弱気な発言は許されるべきではなかったが、自然と、与党管理下の同組織が解体される未来が予想出来てしまっていたのだ。

 そうなると、【霧】の今までの活動が灰燼に帰してしまうかもしれない。

 なぜだろう。

 それなのになぜか、心は穏やかだった。




『選挙速報のニュースです』




 【霧】に関する考えがまとまる前に、公共放送のアナウンサーの耳に心地よい声が響いてくる。


 与党への批判が色濃くなりつつも、サイレントマジョリティがどのような答えを出すかは未知数だった。

 つまり、結果の見通しはまだ五分五分。

 全ては、国民次第だった。


 


 この瞬間、政治家が、会社員が、自営業者が、老人が、選挙の仕組みすら理解していない子供すらも、ブラウン管越しに選挙の結果をかたずをのんで見守っていたと思う。



 カウントダウンの後に、ブラウン管上に、票数が表示された。




 新民党、1280万5559票。



 櫻宗自由党、1158万3050票。






 野党、勝利。



 政権交代が決定した、歴史的な瞬間だった。



 新民党支持のプラカードを掲げる群衆から、どっとした歓声が沸いた。



 戦後の櫻宗国の新たなる時代の幕開けと言えた。

 市民たちの喧騒は、その幕開けを祝うかのようであった。


 今この日は確かに、この国の歴史が転換期を迎える、記念すべき日と言えた。




 不思議と、私たち二人を包んでいる空気も、落ち着いていた。




「残念っすね。政権交代すれば、【霧】も解体を迫られるっしょ」


 そう言って、イメルダはあるものを私に向けてきた。

 手錠だった。


 ま、無理もないか。

 【霧】を管理する軍事政権が選挙に敗退して野党となれば、必然政権を維持するための組織へと堕落していた【霧】も存在意義を失う。

 おそらく民主派に寝返った目の前の少女が自分からここに来たのも、恐らく私を捕えて【霧】の今までの暗躍を洗いざらい吐かせるため。


 スパイとして国を守り続けてきた私は、いつしか国に追われる存在になったのだ。


 恐らく全国各地で、私のような【霧】の工作員たちが、イメルダのような新民党派にとらえられているのだろう。



「結果は受け入れないとね。……好きにしなさい」

 


 両手を差し出した私の内心は穏やかだった。

 腐敗した【霧】の解体が爽快だっただけではない。

 諜報活動の中で少女たちを騙してきたことの、償いをする機会ができたからだった。



 それに、櫻宗国自体の未来が明るいことも理由だろう。


 決選投票では、民主主義を掲げる野党が老害ばかりの軍事政党に勝利。


 かつて国民を騙してきた【霧】は解体。


 これからの櫻宗国は、国民がより自由に意見を述べられる国へと生まれ変わっていくことだろう。


 そしてその国には、強権的な政府の片腕であった【霧】の存在意義はない。


 むろん、【霧】の構成員の存在意義も。




 アイドルのプロデューサー、カナエ・シモツキの消失からわずか数か月。


 皮肉にも、私の本来の顔であるスパイとしての顔も、消失することになったというわけだ。





……








 ……あれ?


 ……スパイだった人間が、スパイじゃなくなる?














 ……じゃあ、私は誰なんだ?












 ―――国の方が、私たちの活動を必要ないと言うかもしれないのに、ですか?


 いつかの、【彼】の言葉が脳内でこだまする。


 この時私は、何か言いようのない恐怖のような物を感じた。


 子供に棄てられた人形のような気持ち。

 飼い主に捨てられた子犬のような気持ち。


 両手に手錠が今かけられるまさにその直前、私は両手を引いた。


「……できない」

「……は?」

「……ごめん」


 ゴトッ!


 ゴロゴロ……


 私はとっさに、着ていたYシャツのブラウスから筒状のものを振り落とした。


 イメルダが形状が意味するものをさとった瞬間。


 私は別の窓から路上へと飛び出していた。


 ズギャァンッッ!!!!


 直後、大轟音。


 郊外のアパートでは、服の中に隠していた目潰し用催涙ガスが轟音を起こしても誰にも感づかれない。

 増して、政権交代に沸き上がる市民たちが都市に集まり、お祭り騒ぎを起こしている今となっては。


 煙の中。


「とりあえず……新時代に、おめでとう」



 イメルダにそう一言だけ残した私は、民衆たちの悲鳴にも構わずに、私はとっさに裏路地へと逃げた。


 

 この時私は、イメルダを相手にしている手前冷静さを装っていた。

 だが、まだ自分で気づけていなかった。

 自分の精神状態がパニック状態に陥っていることに。



 新政権は、旧軍事政権の汚点たる諜報組織を葬り去るつもりなのだ。

 私にとって、それは支持すべき行為と言えた。

 権力維持のために、仮想敵国と裏工作する腐敗組織。

 そんなもの、解体されて当然だ。

 そう思うからこそ、【霧】を統括する軍事政権が敗北したこの選挙結果を、私は何の動揺もすることなく受け入れられた。



 【霧】が解体されて当然の組織ならば、【霧】の一員である私も責任を負って当然の存在のはずだった。

 選挙発表直前にイメルダが待ち構えていたのも、自分を捕えるという意図があっての事だろう。


 だが、できなかった。

 手錠が欠けられる寸前で、私は逃げてしまっていた。

 国民を騙した【霧】の一員として責任を取る覚悟は、とっくにできていたはずなのに、だ。



 つまるところ。

 私はこの時、人生に行き詰まり、結果途方に暮れていたのだ。

 所属する組織が解体したことで、自分が何者かどうかもわからなくなる。

 それが、どうしようもなく不安になっていた。



 そんな私にとって、次なる指針を示してもらおうと頼める人間は、一人しかいなかった。

 五歳の頃に崩れ落ちる家屋から私を救い出した、あの男だった。




 いまこの時私は、助けを求めるように、【彼】のいる場所へと駆けていたのだ。

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