第27話 前門の一姫、後門の恋

 「私!本当にPhoinixさんが世界一好きで……」


 ファンから告げられる重めの愛の告白。常人なら頬を引き攣らせるがドン引きするところだが……


 「ありがとう。嬉しいよ」


 零聖――Phoinixは目の前のファンの手を握ったまま黄金比の笑顔を一分も崩すことなく応えた。かなりファンの扱いに慣れていることが窺える。


 「あの!囁くような声で愛してるって言ってくれますか?」


 「いいよ。……愛してるよ、まどか」


 「〜〜〜〜っ!」


 耳元でご要望のセリフを名前付きで囁かれたファンが顔を耳まで真っ赤に染め、歓喜で体を震わせる。

 こう見えて零聖はサービス旺盛で普通なら躊躇してしまうようなリクエストにも積極的に応える(後で思い返して羞恥に悶えてことが多いのだが)。


 「あっ、これ、手紙書いてきたんですけど……」


 「ありがとう。必ず読むからね」


 ファンレターだって一枚たりとも欠かさず読んでずっと取っておくタイプだ。


 「ありがとうございました!」


 「こっちもありがとう。今度やる"ローレライ・サーガ"のイベントも宜しくね。千恵美ちゃん」


 完璧な営業スマイルとセットの名前呼びに千恵美は嬉しさで顔を押さえてピョンピョン跳ねながらその場を後にした。


 「流石フォイさん。神対応してファンの心を掴んだ上にイベントの宣伝までするとは」


 「これも営業の一環ですからね」


 そう言って片頬を吊り上げる零聖に漣は「こういう人が社会で出世するんだろうなぁ」とまざまざ感じていた。


 「さて……」


 ここで零聖は人知れず一息つく。


 もう半分近いファンと握手と会話を繰り返しているもまだ一姫と恋には会っていない。

 しかし、それはいずれ来ることと同義。あの二人から逃げる事は出来ない。前門の虎、後門の狼ならぬ前門の一姫、後門の恋というわけだ。


 既にバレる覚悟は出来ているが、だからと言って隠すための努力を怠るつもりはない。そしてそれを念頭に置いた上で二人にクラスメイト鳳城零聖ではなく、"orphanS"のPhoinixとして接することも忘れてはいない。

 やるべきことは他のファンと何ら変わらない。いや、変えてはならない。それが一エンターテイナーとしての誇りなのだ。


 それを改めて確認すると零聖はPhoinixの顔に戻した。


 「さ、次の方どうぞー」


 スタッフの誘導で次のファンがやって来た。


 「こんにちは。今日は来てくれてありがとう」


 視線の先にいたのは一姫と恋だった。しかし、Phoinixがその貼り付けた笑みを崩すことはなく、落ち着き払った態度で二人に接する。


 「はっ、はじてましてっ!」


 対照的に恋は緊張した面持ちで擬音が聞こえそうなほどのスピードで頭を下げた。

 こんな恋を見れる機会は中々ない。思わず口角が上がりそうになるが鋼の意思で表情筋を抑える。


 「はじめまして、Phoinixさん」


 一方の一姫は恋と比べると平常心を保っているが、やはり緊張はしているのか動きは固いように見える。


 「こうやって僕を見るのは初めて?」


 「はい!それどころか知ったのもホント最近で……」


 「え!それなのにわざわざ今日会いに来てくれたの?ありがとう!嬉しいな〜」


 Phoinixが嬉しそうに声色を弾ませると恋の固かった表情がみるみる綻んでゆき、やがて嬉しげな笑顔に変わった。緊張はほぐれたようだ。


 「二人は友達?」


 「はい、学校の友達です」


 今度は一姫が答えた。


 「じゃあ、ライブしたら二人で来てくれる?」


 「はい!」


 すかさず恋が声を裏返して返事を返した。


 「じゃあ、握手しよっか」


 そう言うとPhoinixは手を差し出した。その手に恋は恐る恐る自分の手を伸ばし、ゆっくりと握りしめた。するとその小さな手をPhoinixはもう片方の手で更にギュッと握りしめた。


 「ッ〜〜〜〜〜〜〜〜!!」


 「今度、ライブも来てね」


 不意打ちに加え、真っ直ぐな視線で射られた恋は声にならない悲鳴を上げながらも辛うじて保って意識で首を縦に振った。

 その反応を少しだけ楽しむと次は一姫の手を握る。


 「こないだの生放送で"オデッセイ"を歌ってくれてとても嬉しかったです」


 「ありがとう。今度はライブで歌うから聴きに来てね」


 「っ!……はい!」


 喜色を浮かべた一姫の笑顔を見るとPhoinixはゆっくりと手を解いた。


 「じゃあね、一姫ちゃん、恋ちゃん」


 最後に名前を呼ぶと二人は嬉しそうに手を振りながら会場を後にした。


 「よくやりましたねフォイさん」


 一姫を見送ったタイミングを見計らい漣が声をかける。


 「うん……もっと褒めて」


 そう言うとは張り詰めていた糸が切れたようにヘナヘナとへたれこんだ。


 「後でいっぱい褒めて上げますから、立ってください。まだファンの方はたくさんいるんですよよ」


 「あい……」


 (もう帰りたい……)


 そんな弱音を心中で吐きながら零聖はよろよろと立ち上がった。


 ◇


 「……」


 「……」


 イベント会場を後にした一姫と恋だが、何故か二人はしばらくの間、何も喋らずただ並んで歩いていた。しかし、信号機のある交差点で止まると……


 「はぁ〜〜〜〜〜ッ!最ッッッ高なんですけどPhoinixくん!!」


 堰を切ったように恋が溜息とも歓喜の叫びとも取れる声を洩らし、右手で頭を抱えた。


 「凄いファンサービスだったよね」


 一姫も同意したように言う。あれだけ人気があって距離の近いファンサービスをしてくれるアーティストはなかなかいないだろう。


 「うんうん!これはもう推すしかないっしょ!しかも最後名前まで呼んでくれたし!そうだ!朱雀さん少し時間ある?どっかでこの熱を語り合いたいんだけど」


 「いいよ。行こっか」


 興奮する恋に微笑ましい目を向けながら一姫は頷いた。

 零聖のデートの時間はまだある。少し時間をお茶をするくらい大丈夫だろう。


 まるで夢を見ているような気分だった。生歌も凄かったし、実物も想像していたよりずっと格好良かった。

 零聖くんも誘えば良かったかな、と今更ながら思った。今度はライブにでも誘おう。

 そして、最後の握手では名前まで呼んでもらえて……


 「……あれ?」


 ここで一姫はあることに気が付いた。今まで熱に浮かされていたが故に気付かなかった事実に。


 (何でPhoinixさん、わたしたちの名前を知ってたんだろう?)


 二人とも名前を言ってなかったはずだ。にも関わらずPhoinixは二人の名前をまるで呼んでいた。


 そう考えた途端、一姫はPhoinixの姿に既視感を覚え始めた。記憶のフィルターがかかって分からないが誰かに似ている気がする。まるでイベント以前に会っていたかのような。

 Phoinixは二人の名前を知っていた。ならば彼は二人の共通の知人であると考えるのが自然だ。


 となるとPhoinixの正体は――


 「朱雀さーん?」


 しかし、そこへ一姫の思考を邪魔するように離れたところから恋が叫んでくる。

 どうやら気付かない間に足を止めてしまっていたようだ。


 「どうしたのー?置いていくよー?」


 「何でもないよー!ごめんねー!」


 「きっと自分の記憶違いだ。忘れているだけで自分達は最初に名前を名乗っていたんだろう。それをPhoinixさんが覚えていくれていた。Phoinixさんがわたしたちの知人だなんてあるはずがない)


 そう自分を言いくるめると一姫は恋もとへ急いで走っていった。

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