閑話 ヘキスト家

 

 


「おかえりなさいませ。旦那様」

「ああ」


 屋敷に戻ってきたヘキスト家当主であるカイラの父親を執事長が恭しく迎え入れる。それに対し、ヘキスト家当主はそっけなく返事をして、その側を通り過ぎた。


 このような反応は何時ものことなので執事長はそのまま次の対応に移ろうとしたが、不意に当主が今まで見たことがない様な表情をしていることに気付き、驚きのあまり目を見開いた。


「おい」

「っ、何でしょうか」

「今すぐリテロを呼んで来い。私はこれから執務室へ行く」

「はっ、畏まりました」


 執事長は当主の指示に従いリテロと呼ばれた人物を呼びに向かった。


 リテロはヘキスト家に仕える実行部隊の長を務める者だ。

 実行部隊は言い換えれば暗部であるが、暗部自体は貴族で持っていない家が限られるくらいには、大半の貴族家では持っているのが当然の組織である。

 しかし、ヘキスト家の暗部は同じ子爵家に比べて規模がやや大きい。これは、過去にヘキスト家が子爵家ではなく伯爵家であった時の名残であり、普段から多用していることを示している。


 実行部隊の主な仕事はヘキスト家にとって都合の悪い相手の暗殺、もしくはヘキスト家にとって都合の良い噂を流すことだ。仕事の中には人さらいや尋問等もあるが、ヘキスト家では実行の頻度が少ないため主な仕事から外れる。


「お呼びでしょうか」

「ああ。リグラント商会から貴族院に向かって馬車が出ている。印を持たせた者を付けさせている故、そいつと連絡を取りその馬車の中に居る者を今すぐ暗殺して来い。今すぐだ」

「……了解」


 ほんの少しの間をおいてリテロは了承の意を伝え、直ぐに執務室から退出した。それを見送った当主は執務椅子に深く腰を下ろした。


(貴族院の者が居たのは想定外だった。私としたことが悉く後手に回ってしまったものだ。あの者を貴族院に着く前に殺せる可能性は低いだろうが、無理とは断言できない以上やらんよりはマシだろう。

 それと、リグラント商会は貴族である私をあれだけ虚仮にしたのだ、目に物を見せてやらねばな)


 当主はそう考え執務机の上に置かれていた執事長を呼ぶための鈴を鳴らした。


(ああ、それとあの馬鹿娘の新しい相手も調べねばならんな。使える者ならいいが、あの馬鹿娘もいらんことをしてくれる。あれの所為で計画が台無しではないか!)


 リグラント商会でのことを思い出し、当主は怒りのあまり拳を強く握りしめた。


 実のところ、カイラがルークを崖から蹴落としたことに関してヘキスト家当主は一切関わっていない。しかし、カイラとの婚姻が成立した後にルークの事を暗殺する事を計画していたため、これ幸いと話を合わせただけである。


 ただ、娘による状況の報告を真に受け、ルークが確実に死んだと思い込み、その確認を行わなかったのが今回の失敗の大元だろう。まあ、カイラが不貞していたという事実が出て来た以上、婚約の破棄は避けられなかっただろうが。


「お呼びでしょうか?」

「ああ。リテロは既に指示済みだったな。ギミを呼んで来い」

「畏まりました。直ぐに呼んできます」


 呼び出した執事長に指示を出し、直ぐに執務室から出ていったのを見送った後、当主は実行部隊の一員であるギミに出す指示の内容を考え始めた。


 〇


「アギー!」


 カイラがヘキスト家の屋敷から少し離れた場所にある林の中で待っていたと思われる男を見つけて駆け寄る。

 アギーと呼ばれた男はカイラの頬が腫れていることに気付いているようだが、心配する素振りは見せず表情も変わることは無かった。


「待たせてしまってごめんなさい」

「それほど待っていないから大丈夫だよ。……それよりその頬はどうしたんだい?」


 あからさまに心配して欲しそうにしていたカイラに気付き、アギーはそう言葉に出した。それを聞いてカイラは嬉しそうな表情をした。


「これは……えっと、ルークに殴られて」

「は? そいつ生きていたのか?」

「そうなの! あの時死ねばよかったのに本当に最悪だわ。あ、でも婚約は破棄できたのよ!」

「そうか」


 アギーはカイラの反応を余所に何かを考えている様子で遠くを見つめる。婚約を破棄できたという報告が出来たことで有頂天になっていたカイラだったが、アギーから反応が返ってこないことに気付いた。


「アギー?」

「……ん? ああ、すまない。それよりも今後どうするかを決めないとな」


 先ほどまで、カイラは婚約破棄出来たことを一緒に喜んで貰いたいと思っていた様子だったが、アギーが今後の事と言ったことで喜び、すっかりそのことを忘れてしまったようだ。


 そうして互いに今後の事を軽く話し合った後、2人は他の者に気付かれないようその場で別れ帰路についた。

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