波乱の始まり
入学式の翌日、俺の気分はあまり良くなかった。出来ればあまり目立たない平均的な生活を送りたいと思っていたのだが、その企みは睡と重によって見事に阻止された。
二日目の朝、自室でブレザーを着ながら昨日の注目を浴びた件について考える。まだ近所に住む幼馴染みと妹がいる程度だろう。その二人がちょーっと可愛いってだけだ。
つまり! まだブラコンの妹を持つ兄で近所の住む幼馴染みがいるくらいのポジションにくらいはなれるかもしれない、俺は静かに暮らすことを諦めないぞ!
「お兄ちゃん! 一緒に登校しましょう!」
そんなことを考えていると思考に妹からの割り込みが入った。日常を破壊する猫なで声だった。
「睡、目立つから登校は別の方がいいような気がするんだが?」
しかし睡はめげずに俺に問いかける。
「お兄ちゃん、私と一緒に登校しないということは歳月さんと登校するって事ですか?」
「なんでそうなるんだよ、一人で登校しようってだけだよ」
睡の目が細くなって鋭い声で言う。
「お兄ちゃんがひとりで登校できると思ってるんですか? 絶対にあのおん……歳月さんが誘ってきますよ? 目立つでしょうねー! 幼馴染みと登校するとか特別な関係なんでしょうねー? その点、妹なら同じ家から出るので一緒に登校してもなんとも思われませんよ?」
くっ……確かに幼馴染みでは憶測を呼びかねない、兄妹で登校は普通……普通だよな?
普通の概念がよく分からなくなってきた、一般的? 平凡? 一体何を基準に普通と呼ぶのだろう? なんにせよ妹と一緒に登校するのは普通なのだろうか? まあ同じ家から出るのだからそれほど勘ぐられることはないだろう。
「分かったよ、一緒に行くか?」
ニコリと笑って睡は頷いた。
「はい!」
その笑顔には一点の曇りも無かった。眩しいなあチクショウ……泣く子と地頭には勝てぬと言うが、笑顔の妹も追加して欲しいなあ……
朝食のスクランブルエッグをスプーンで口に運びながら考える、できる限り目立たない空気のような存在になるために何が必要だろう? 昔はうらやましいだのブラコンを抱えてて可哀想だの随分と自分勝手な感想を持たれたものだ。
だから高校では羨ましくも可哀想でもない、ごく一般的な高校生としての生活を望んでいる。そのためにはどうすれば注目を浴びないか考えなくてはならない。
そんなことを考えていると朝食の皿が空になった、シンクへ運んで睡を眺めるととろんとした顔で俺の方を眺めていた。コイツの考えることはよく分からない。中学までもそうだったし高校からもきっと同じなのだろう。睡に俺の考えが分からないように、俺にも睡の考えは分からない双子だからと言って心が通じているわけじゃないんだ。
はぁ……
一つため息をついて高校生活も妹とある程度一緒に過ごす覚悟を決めた。人が社会性を持って一人では生きられない以上誰かとの関わりは避けられない。だったらたまたまその『誰か』が妹だって問題無いだろう。
俺は通学用の鞄を手に取って睡に言った。
「行こうか?」
「はい!」
とたたと小走りに部屋から鞄を撮ってきた睡が俺と一緒に家を出る、何故か手を繋いでいることについては気にしないように……
「いや、なんで手を繋いでるの?」
「兄妹では普通のことでは?」
「小学生かな?」
俺の言葉を無視してグイグイ引っ張られる、この小さな身体のどこにそんな力があるのだろうか?
そうして家を出て、昨日は気にするほどの余裕もなかった桜並木の下を歩く。春だなあ……
「ねえお兄ちゃん……こうしてると、その……恋人みたい」
「おはよ」
「おはよ、重」
「ケッ」
「睡ちゃんそんなに私が嫌い!?」
「いえいえ、ちょっと風邪気味だっただけですよ? うつすと悪いので離れて歩いて貰えます?」
「俺も離れようか?」
「ああ! お兄ちゃんは是非そのままで!」
こうして手を繋いだ俺たち兄妹の横を重が歩いていく。この光景は小学校以来だな。
中学生になってから少しだけ離れた三人の関係性がまた近くなったのはきっといいことなのだろう。思春期特有の意識していたのが高校にもなってくるとそういうことが気にならなくなってくる。
通学路を歩きながら今までの微妙な関係性から、さっぱりとした幼馴染みになれたことは少し心地よい感覚を覚える。
「誠と睡ちゃん、あんた達まわりの目って知ってる?」
俺が周囲を見回すとものすごく注目を浴びていた、その視線は俺と睡の繋がれた手に注がれている。
「睡、そろそろ手を離そうか」
「もうちょっと……」
手をサッと離す、睡はこちらへ飛び込んでくる。ポスンと俺の腕に飛びつくのでかえって目立ってしまった。
「こら睡、もう学校が近いんだからちょっと離れろ」
「はーい」
渋々といった感じでようやく三人が普通にならんで歩く格好になった。
「しかし……重も結構注目されてないか?」
「へ!? 私!?」
黒髪をバサバサ振りながら周囲を見渡して俺たちと近くをならんで歩いていることが注目を浴びる原因になっていることに気がついたようだ。
「じゃ……じゃあまた教室で!」
そう言ってスタスタと先を歩いて行った。アイツのことはよく分からないな……
「へへへ……お兄ちゃん……二人きりですね?」
ニヤニヤしながら睡がそう言う。注目を浴びているのは承知の上で俺から離れる気は無いらしい。
まあいい、『お兄ちゃん』と呼んでくれるなら兄妹以外の何物でもないし、そんなに深く詮索されることもないだろう。
昨日と違い学校に余裕を持って着いたので今日は走る必要がない。これなら下手な注目はされないだろう。
教室の扉を開けてはいると睡が数人の男子から視線を感じたらしく俺の影にササッと隠れた。これも兄の務めというものだろうか……?
チャイムが鳴るまでの間、睡ととりとめのない会話をする。特に話題があるわけでもないが、どうやらコイツは男子とそれほど多くの関わりを持ちたくないので身内の俺と話している方がいいと言うことらしい。
そうして朝のニュースについての話などしていると重も話に割って入ってきた。
「あんた達は家でも一緒にいるのに飽きないのねえ……」
「お兄ちゃんに飽きるってちょっと意味が分かんないですね」
「話の種はいくらでも入ってくるからな、それを誰と共有したっていいだろう?」
「ま、あんた達がいいならいいけどね。私も話に入れてくれない?」
「ヴェ……」
「だから睡ちゃんは露骨に私を避けるのやめて欲しいんだけど!?」
「いえ、別に重さんが嫌いというわけではないですよ」
「そこまで露骨に態度に出されて分かんないわけないでしょ!」
「いえいえ、お兄ちゃん以外の大抵全部が嫌いというだけで重さんが特別嫌いということはないですよ?」
「睡ちゃん……将来が不安になるわね……」
そんな暴言にも気にすることなく付き合ってくれる重は良いやつなのだろう。俺たち兄妹の間に割って入るのは割と難易度が高いらしく、話に入れないか、一度こういう態度をとられると二度と割って入らない人が多い中、重は遠慮なく割り込んでくる。その距離感は心地のいいものだ。
睡は開けられた窓から入ってくる風にロングの髪をなびかせながら心地よく微睡んでいる。そういえば朝の当番がコイツだったので早起きしたのか?
俺は重に小声で言った。
「ちょっと睡を休ませてやろう」
「そうね」
そうして俺も重も自分の席に着いた。そこで隣から声が飛んできた。
「なあなあ、誠、お前って歳月さんとも仲がいいのか?」
但埜がそう聞いてくる。まあ確かに仲が良さそうにしていたものな。そりゃあ気になるか。
「別に特別な関係じゃないよ、ただ前から近所に住んでるだけだ」
「美少女と同居して、美少女の隣に住んでるか。羨ましいかぎりで」
「一人は妹だからな……?」
「それでも、だよ。生活に彩りが出るだろう?」
「俺は無色透明の生活がしたいんだがなあ……」
世の中というのはどうにもままならないものらしい。世間がうらやむほどなのかは知らないが、少なくとも睡も重も第三者からみても可愛いということは確からしい。
キーンコーンカーンコーン
おっと、今日から普通に授業があるんだったな。但埜も普通に席から教科書を取りだして授業を受ける準備をする。コイツはこれで案外人の事情には深入りしないデリカシーを持っているらしい。それは好奇心を無闇に出さないという案外と難しいことだがコイツはそれができるようだ。
コイツが隣の席だったことに安心しながら一限の英語が始まるのだった。
キーンコーンカーンコーン
一限が終わり僅かな休み時間が与えられた。
「なあ誠、俺は日本に骨を埋めるつもりなんだが英語なんて勉強する意味があるのかなあ……」
但埜はあまり英語が得意ではないらしい。かくいう俺も自室のサーバを構築でもしなければ英語など勉強しなかったであろう事を考え、普通の人はサーバを立てたりしないと言う結論に至った。
「卒業できる程度に出来ればいいんじゃないか? 少なくとも俺やお前が死ぬまでは日本では日本語が使われてるだろうし」
「だよな! 鬼畜米英! 英語なんでファッキューだ」
英語の悪口を英語で言うのはどうなんだろうと思うが、なんだかんだでちゃんと教科書は読んでいたし、多分補修になるようなこともないだろうと思い取り立ててそれについては言及しなかった。
キーンコーンカーンコーン
そうして午前の授業は粛々と進んでいった。
そうして迎えた昼休み。
当然お昼には昼食を取るわけで……
「何でこのメンツで固まってるんだ?」
「お兄ちゃんとお昼を取るのは妹の義務ですよ!」
「私は睡ちゃんと一緒に食べようと思って……別にアンタがどうとは思ってないからね!」
俺たちは高校生になったというのにいつもの三人で弁当を食べていた。但埜はなんだか怖いものでも見るような目で学食に逃げていった。
「お兄ちゃん! どうぞ」
俺の前に睡の作った弁当から取り出された唐揚げが突き出される。もちろん自分の箸で持っているわけではない。
「いや、さすがにそれはちょっと……」
「お兄ちゃんが食べてくれるまで私は粘りますよ!」
その執念をもっと建設的なことに使えないのだろうか……俺も渋々睡の箸から唐揚げを食べる。味は完璧なんだよなあ……
「あんた達ねえ、もうちょっとまわりの目を気にしないの?」
「俺にいわれても困るんだがな」
「私は気にしないのでまったく問題ありません!」
堂々と宣言する睡に俺も反論は出来なかった。開き直った人間ほど強いものはないということを思い知らされた。そうして俺の昼食はクラスから好奇の目で見られながら進んでいくのだった。普通って手に入らないものなんだなあ!
「睡、高校生なんだからもうちょっと周りを気にしような?」
「分かりました!」
おお……さすが俺の妹、物わかりがいいな!
「もっとアピールしていく路線がお兄ちゃんの好みなんですね!」
「違うから!」
ダメだ……まったく理解していなかった。重の助け船を期待してそちらに目線をやると肩をすくめて呆れているだけだった。味方はいない!
そうしてゴタゴタはあったものの昼食は無事食べ終わった。しかし三人でのトークが昼休み一杯されたので結局俺は好奇の目から逃れることは出来ないのだった。
キーンコーンカーンコーン
ようやく昼休みが終わり午後の授業が始まる。現代文だが『作者の気持ちでも考えてろ』と揶揄されるが実際はそんな問題は少ないんだよなあ……小学生の頃にあったくらいだろうか?
もっとも小学生に期待される作者の気持ちとやらは教師の『俺を満足させる感想をよこせ』だというものだった。それを理解するまでは本音を書いて随分と怒らせたものだった。
とはいえ、現代文は日本語が読めれば特典がある程度は保証されるボーナス教科、適当に聞き流しながら要点だけは書き取っておこう。
睡は現代文で困ったことはないらしいと聞いていたが、余裕を持て余して眠そうにしていた。重は比較的苦手らしく必死にノートを取っていた。三者三様の授業になっている。
そうして午後の諸々の授業は終わった後の放課後、当然のごとく睡が一緒に帰ろうと言ってきた。
「お兄ちゃん! 一緒に帰りましょう!」
「お前は……結構運動できたろ? 部活とかいいのか?」
睡はためらいも迷いも無く息をするように答えた。
「お兄ちゃんより優先することがあるわけないじゃないですか!」
その答えに一切の淀みは存在せず、まるでそれが常識であるかのように言い切った。
「睡ちゃん! 今日は私も一緒させてもらうわ」
「なんで疑問形ですらないんですか?」
「あなたがそれを言うの? いいわよね? 誠?」
俺はため息をついてここで言い争いを起こすよりはマシだと判断した。
「分かった、三人で帰ろうか」
「む……」
「じゃあ帰りましょう」
「一緒に帰るのはいいですけどお兄ちゃんは渡しませんよ?」
「はいはい」
「もうちょっと考えてから喋れよ!? 誤解を招くだろうが!?」
まるでそれは恋敵のごとく重を扱う睡に俺はどうしたものかさっぱり分からないのだった。帰宅しながら俺は睡と重に挟まれていた。
人によっては羨ましいのかもしれないが睡と重の間に挟まれているわけで、ハーレムとは到底言いがたい針のむしろの気分を味わう羽目になるのだった。
――帰宅後、睡の部屋
「ふぅ……順調順調。全ては私の計画通りに進んでいます。お兄ちゃんの外堀からじわじわと埋めていかなければなりませんからね。お兄ちゃんに私以外は不要なのです!」
お兄ちゃんは私に付き合ってくれているので問題ありませんが……
私は昔からのご近所さんに負けるわけにはいかないと堅く心の中で誓いました。
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