第3話 孤高の殺人鬼

「……そう……ですけど、何で……」

「調べた。三途川みとがわ学園中等部の生徒だろう?」

 黒い少女は静かに僕を見下ろし、小さく首を傾げる。無造作に拳銃をコートの内側に仕舞い、乱暴に遺体を肩に担いで。黒曜石のように無機質な瞳に囚われて、私は無様に頷くことしかできなかった。見開いたままの僕の瞳を観察し、その人は薄い唇を開く。

「……当たりか」

 呟き、少女は素早く周囲に視線を巡らせた。徐々に黒く染まってゆく空、人通りの少ない路地。重そうなブーツを鳴らし、彼女は私に一歩近づいた。嵐の水面のように震える瞳を覗き込み、水晶に触れるように問いかける。


「お前は……人なんて、殺したくないんだろう?」

「……どうして、それを」

「見ればわかる」

 言い放ち、彼女は私の前に膝をついた。視界が黒く覆われ、鉄錆の香りが鼻をおかす。思わず息を吞むと、彼女は小さく溜め息を吐いた。

「たかが人一人死んだだけでここまで動揺する奴が、暗殺なんてしようと思うわけがないだろう。……いわゆる多重人格の類なら話は別だが、そんな情報は入ってきていない。それに三途川みとがわ学園は暗殺者志望の奴しか受験しないことと、そのを併せて考えれば、答えが出るのは早い」

「……?」

 頭の中が白く染まっていく。この人が何を言っているのか、全くわからない。動揺に混乱が上乗せされて、頭が上手く回らない。僕の混乱に気付いたのか、その人は呆れたように目を細めた。

「……まぁ、知らないだろうな」

「何……を」

 自分でもわかるくらいに震える声。さらに下がっていく体温。喉元にナイフを突きつけられるような感覚に、息が止まりそうになる。視界がノイズに侵食されて揺れて、アスファルトの地面が沈んでいくように思えて。必死に浅い呼吸を繰り返す僕に、その人はギロチンの刃を落とすように言い放った。


「お前は最初から、落ちこぼれに入学させられた」

「……そん、な」

「無関係な人間を一人、何も知らせず、最初から落ちこぼれ枠として入学させる。その犠牲者に選ばれたのが、お前だ。結城ミハル」


 ……喉元までせり上がる悲鳴が、抑えられない。全身に霜が降りたように動けなくて、指先にも力が入らなくて。視界が徐々に滲み出し、風を浴びた雨粒のように揺れる。心臓の鼓動がうるさい。まるで不整脈みたいだ。脳裏を意味不明な叫びが満たして、その中に確かな文字列が浮かび上がる。

 ――僕は、絶対に、『普通』にはなれない。

 無機質なゴシック体の文字が脳に浸透する。それは麻薬のように全身に回り、徐々に感覚を奪っていって。縋るように黒い少女を見上げるけれど、彼女はただ黒曜石の瞳で私を見つめるだけ。霜と麻薬に蝕まれたような全身を無理に震わせ、僕は死に物狂いで声を上げる。

「いや……だッ」

「……」

「そんなの……嫌だ。これじゃ、どっちにしろ……僕は」

 普通になれない――そう、言葉にできなかった。言ってしまったら、もう絶対に叶わなくなる気がして。声にならない悲鳴を漏らす僕に、その人は水晶を覗き込むように口を開いた。


「……『普通になる』ことが、望みか」

「っ!」

 凪いだ海のような声に、私は思わず視線を上げた。黒い少女は見透かすように私を見つめ、考えを巡らすように頷く。ばさり、強風に長い黒髪がはためく。それはまるで、カラスが羽を広げるかのように。

「……三途川みとがわ学園から逃げた者は、機密保持のために殺される。どこまでも執拗に追い回されて、無惨に殺される。あの場所に足を踏み入れた時点で、お前に救いはない。それを理解したうえで、それでも普通を望むか?」

 静謐せいひつな声は、契約書を突き付ける際の口上のように響いた。小さく息を呑み、僕はそっと口元から手を離す。目元に浮かぶ液体をぬぐい、黒い少女を正面から見上げた。……そんなの、決まってるよ。落ちこぼれの、せめてもの望み。ちっぽけだけど切実な、雛鳥の鳴き声のような望み。

「……もちろん、だよ。僕には、それ以外の望みなんてないから。……今の立場は嫌なんだ。僕は普通に生きたい……それだけなんだよッ!」

「……」

 暗く染まっていく空に、僕の叫びが反響する。黒い少女はただ、僕の瞳を静かに観察している。黒曜石の瞳を撃ち抜くように、僕は視線に力を込めた。対し、彼女は静かに頷き……懐から一枚のカードを取り出した。放り投げられたそれを受け止め、まじまじと見つめる。

「……これ、は?」

「私の連絡先だ。登録したらすぐに処分しろ。足がつくのはごめんだからな」

 不遜に言い放ち、黒い少女は立ち上がる。血の匂いと腐臭が鼻をかすめるけれど、もう気にならない。たぶん……もうすぐ、すべて終わるんだ。カードをぎゅっと握りしめ、顔を上げる。

「……わかり、ました。……えっと」

「あぁ……そういえば、名乗っていなかったな」

 思い出したように呟き、少女は私を視線で捉える。突然点灯した街灯に、カラスのような姿が映し出された。彼女は舞台の中央に立つように、堂々と口を開く。


「今は『ハーツ』と名乗っている。しがない、ただの殺し屋だ」


 凪いだ声と同時に、長い黒髪が風に広がる。

 その姿は、まるで……月を背に羽ばたくカササギのように見えた。

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