第30話 再生(☆)

 彼と再会してからの詳細は覚えていない。だが、自分の体を掲げるグレイルの胸に飛び込んで、その逞しい胸板に体を預けてわんわんと泣いていたことだけは覚えている。

 グレイルはその間ずっと抱き締めてくれていた。もう絶対に、それこそ髪の毛の一筋も手放したくないとばかりに、固く、固く、抱擁してくれた。


 フェルナンドとイリスがやってくる気配がする。グレイルが何事か喋っている。ふわりと体が宙を浮き、自分の体が横抱きにされるのを感じた。

 自分の体を包み込む心地良い体温と、たまらなく愛しい匂いに胸を震わせながら、レティリエはずっと彼の首もとにすがりついていた──。



※※※


 部屋に入ると同時に二人は寝台に倒れこんだ。場所は気を効かせたイリスが客用の部屋を貸してくれた。自分達を隔てるものは薄布一枚でも許せないとばかりに、衣服も何もかも取っ払って重なり合う。

 愛を交わす時の自分達は、間違いなく魂だけの存在だった。自分が彼で、彼が自分。そこに個人の区別はなく、肌に触れる感触も、思いも、互いが同じ感覚を共有していた。

 体の内側と外側、確かな彼の存在を全身で感じた瞬間、胸の奥から込み上げてくる熱い思いがレティリエの心の檻を完全に打ち砕いた。


「グレイル……私のこと、嫌いにならないで……!」


 体を貫く甘美な胸の震えと共に、レティリエは叫んだ。


「私のこと、離さないで! ずっと側にいて! ……私のこと……一人にしないで!!」


 グレイルの体にしがみつきながら泣き叫ぶ。もはや悲鳴に近かった。小さな頃から内に秘めていた、誰にも言えなかった言葉。口に出すことを許されなかった言葉。それらの言葉おもいを全部吐き出すようにして彼にぶつけた。

 恥も外聞もかなぐり捨てて、自分が大人の女性であることも忘れて、種族のしがらみも何もかもをうちやって、子供のようにわぁわぁと泣きわめいていると、グレイルが瞳を潤ませながら、自分を抱く腕に力をこめた。


「すまない……レティ。俺が悪かった……本当に悪かった。お前のことをわかってやれなかったせいで、お前のことを傷つけてしまった」


 ポツリと雫が落ちる。グレイルも泣いていた。金色の目から大粒の涙がこぼれ落ちて頬を濡らす。もはやどちらの涙かもわからないくらいに、お互い抱き合いながら泣き叫んでいた。


「俺もお前のことを色眼鏡で見ていたんだ……狼になれない、戦えない存在なんだって、決めつけていた……。でも違う。お前はちゃんと、頭を使って自分で自分の身を守ることができる。俺に守られなくても、ちゃんと戦場で戦えるんだ。レティは、他の狼と何ひとつ変わらない……俺がそれに気づいてやれなかった……すまない……本当にすまない」


 涙混じりの声でグレイルが思いを吐き出し、まるで項垂れるかの様にレティリエの胸に顔を埋めた。彼の頭を両手で抱き抱えると、自分の心臓の音がいつもより力強く、ハッキリと聞こえる。

 肌を重ねることで、彼は自分の心の痛みを分かち合ってくれていた。頬を伝い落ちる彼の涙の一粒一粒が、レティリエの心を洗い流していく。


 ──ああ、もう私は一人じゃないんだわ。


 彼の涙を見てレティリエは理解する。


 今まで孤独に抱えてきた思いと叫び。

 胸に宿るこの痛みは、もう自分だけのものではなかった。



※※※


 どれだけの時間を共有したかはわからない。だが、ふと目が覚めてレティリエはゆっくりと体を起こした。両の手のひらを呆然と眺めながら一糸纏わぬ自分の姿を視界にいれる。相変わらず狼になれる気配は無かったが……何か憑き物が落ちたかのように心が軽かった。

 今までずっと押さえ込んでいた思いを全部吐き出して、ひたすらに自分の心の痛みを彼にぶつけた。でも、グレイルは泣きながら全て受け止めてくれていた。

 あんなに泣いたのは子供以来だったと思う。いや、子供の時ですらあんなに大声で泣いたことはない。あの時の自分は、まるで赤子のように腹の底から泣いていた。


 だが──魂から出る産声と共に、自分は再度この世に生まれ落ちたのだ。


 今までと一切変わらぬ、だが確実に前と違う自分の体を見つめていると、起き上がったグレイルが後ろからそっと抱き締めてくれた。


「愛してるよ、レティリエ」


 自分を抱き締める腕に力がこもる。


「俺の隣はお前しかいない。今回のことでハッキリとわかった。だから……これからも、ずっと側にいて、俺と一緒に戦ってくれないか?」

「……本当に私でいいの?」


 後ろを振り向きながら震える声で答えると、グレイルが優しく微笑む。


「お前が信じられないなら、何度でも言うよ。俺の背中を預けられるのはお前しかいない。レティは戦える。自分の身も守れる。他の誰とも何一つ変わらない、お前は正真正銘、一人の狼だ」


 力強く告げる彼の言葉に──レティリエは歓喜で胸が震えるのを感じた。


 他の誰とも変わらない。

 その言葉は、自分がもっとも切望してきたものだ。他の者より劣っていると言われ続けてきた自分にとって、それはしがらみから解放してくれる魔法の言葉だった。

 

「……ありがとう、グレイル」


 彼の胸にすがりつきながら、震える声で言う。


「私のこと、愛してくれてありがとう」


 突如抱き寄せられ、力いっぱい口付けられた。様々な思いが込められたそれを、レティリエも僅かに口を開いて受け入れる。暫くの間お互いを感じあった後に、グレイルがゆっくりと唇を離した。


「これから村を奪還する時、側にいて、共に戦ってくれ。俺もお前を守らない。自分の身は自分で守るんだ。レティはそれができる。お前がきちんと戦えることを、二人で証明するんだ」

「うん……うん、ありがとう、グレイル」


 またしてもこぼれ落ちる涙をぬぐいもせずに、彼の背中に手を回す。ひとしきり彼の胸ですすり泣いた後、レティリエはゆっくりと顔をあげた。


「もう一回、キスして」


 甘えるように見上げると、頭上でグレイルが微かに笑った。そしてゆっくりと彼の手が顎に添えられる。


 それは今までのどれよりも情熱的で、甘美で、優しいキスだった。


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