第23話 別れ

 それ以来、二人はなんとなくぎくしゃくしていた。お互いに言葉は交わすものの、会話はすぐに途切れがちだ。だが、レティリエの命が狙われている以上、常に二人で行動を共にしなければならない。

 その日も、レティリエは村の中心部で他の女達と一緒に繕い物をしていた。グレイルはと言うと、レティリエの側で他の男達と土木作業の手伝いをしている。普段であれば、彼と一緒にいる時間はとても嬉しくて幸せなものなのだが、グレイルは周囲への警戒を怠らない為に、終始険しい顔をして黙ったままだ。こんな状況で楽しいはずがない。

 レティリエはため息をつきながら、手元の布に針を通す。慣れた手つきで針を動かしながらも、先日の言い争いが何度も頭の中を駆け巡っていた。


(どうしてあんな彼を困らせることを言ってしまったのかしら……)


 いつもであれば、例えそれが自分の意にそぐわないことであっても受け入れていた。ただ黙って耐えれば良いだけ。そうやって自分の身を守りながら生きてきたはずなのに。

 考えながらチラリとグレイルの横顔を盗み見る。自分は多分……彼が怒ることをわかっていてわざとあんなことを言った気がする。彼がそんな自分に失望することも。だが、なぜそんなことをしたのかは自分でもわからなかった。


 周囲で孤児院の子供達が駆け回るのを見ながら、鬱屈した気持ちで針を通していくと、途中でふと糸が足りないことに気がついた。予備を持ってくるのを忘れたのだ。ついてないわ、と思いながらも、レティリエは立ち上がってグレイルの側へ歩み寄った。


「グレイル、糸が足りなくなっちゃったの。取りに帰らないといけないわ」

「ああ。わかった」


 グレイルが作業の手を止めて立ち上がる。村の中心から孤児院なんてすぐの距離なのに。どこかに行く度にまるで子供のように付き添われなきゃいけない自分に申し訳なさを感じる。


「グレイル、近くだから一人で行けるわ。すぐ戻るから待ってて」

「確かにこの頃ジルバもセヴェリオも村を留守にしていることが多いが……念のためだ。俺も行く」


 グレイルの言う通り、最近二人の姿を村で見ることが少なくなった。何をしているかはわからないが、多分次に襲う群れへ偵察に行っているのかもしれない。これをチャンスとばかりにレティリエとグレイルも村中を駆けずり回っていたが、ジルバの配下であろう狼が変わらずに彷徨いている為に、クロエの子供を探すのは難航していた。


 立ち上がるグレイルと共に孤児院へ向かう。二人が孤児院の近くまできた時だった。

 背後からの気配にグレイルが瞬時に反応し、バッと後ろを向く。だが、狼の姿になるより前に、敵の狼が白刃の牙を光らせながら襲いかかってきた。グレイルがレティリエを庇うように咄嗟に腕で攻撃を受けると、鋭い牙が彼の腕に食いこみ、辺りに鮮血がほとばしった。


「グレイル!!」


 レティリエの悲鳴が響き渡る。と同時に影から続けて二匹の狼が現れ、彼目掛けて一斉に飛びかかった。グレイルも腕を振り切ると同時に黒狼の姿になり、間一髪で二匹の攻撃を交わす。そのまま背後に飛びさってレティリエの前に立つと、姿勢を低くして臨戦の構えをとった。


「お前らは誰だ! ジルバの差し金か?!」


 グレイルが吠えると、三匹のうちの一匹がふんと鼻を鳴らした。


「セヴェリオ様がいない今、お前の首を持っていけばジルバ様に喜んでもらえるだろう。お前にはここで死んでもらうぞ」


 村で襲われることはないと過信していたが、最近彼らが不在にしていることで手柄を狙う手下達が強行手段に出てきたのだろう。グレイルも応戦する姿勢を見せたが、セヴェリオ陣営の狼を三匹同時に相手にするのはさすがの彼でも不可能に近い。グレイルはギリッと歯を鳴らすとくるりと踵を返した。


「レティ、逃げるぞ! 乗れ!」


 慌てて彼の背に乗ると、グレイルが勢いよく地面を蹴った。三匹の狼も吠えながら追いかけてくるが、今回ばかりはもとより体格の良いグレイルの方に分があった。あっという間に三匹と距離をとり、森にその身を同化させる。

 脇目もふらずに走り続け、村の外の森へついたと同時にグレイルが足を止めた。

 

「グレイル、大丈夫?!」


 彼の背から飛び降りたレティリエがグレイルに駆け寄る。人の姿に戻ったグレイルの腕を取ると、大きな咬傷とそこから流れる鮮血がレティリエの手を濡らした。


「グレイル……ごめんなさい」


 痛々しい傷跡を見て、レティリエの目から涙があふれでる。


「ごめんなさい。私が村を出たくないってワガママ言ったから、こんなことになっちゃったのね。私が……さっさとここを出ていれば良かったのに」

「レティ、俺は大丈夫だ。自分を責めるな」

「ううん、私のせいだわ……ごめんなさい……ごめんなさい。私、やっぱり村を出る」


 自分がいることで、事態はさらに悪くなっているのだ。グレイルが泣きじゃくるレティリエの背中を撫でるが、レティリエは彼の腕に額を押し付けてホロホロと泣いた。




 決心したからには早く行動に移した方が良い。レティリエとグレイルは話し合った結果、次の日の早朝の狩りで村を出ることを決めた。人がいない早朝であれば、不審な狼がいたとしてもすぐに気づけると思ったからだ。

 暫くの間顔を見られなくなるからと、レティリエは最後に子供部屋に向かった。ベッドに眠る無垢な額に一人ずつキスを落としていくと、一番小さな女の子がくすぐったそうにフフッと笑った。

 マザーがいない今、朝起きて自分までいなくなってしまったら、子供達はどう思うだろうか。クロエに後を頼んだので心配はいらないと思うものの、寂しい気持ちは拭えなかった。


「レティ、行くぞ」


 グレイルの言葉に静かに目を伏せると、レティリエは頷き、部屋を後にした。



 村を出てグレイルの背中に乗る。風を感じながらそっとグレイルの毛並みに顔を埋めた。温かくて優しい彼の匂いがする。この走りが止まれば別れの時はやってくるのだ。彼はすぐ会えると言っていたが……この別れが今生のものにならないと言い切れるだろうか。


(グレイル。あなたはクロエさんを旅立ちの相手に選んでしまったのね……)


 心の中でそっと呼び掛ける。グレイルは強い。きっと必ず勝負に勝って自分を迎えに来てくれると思うものの、万が一のことがある可能性だって十分にあるのだ。死はいつどんな時も身近にあることは、先だっての戦いで身に染みている。もし、セヴェリオ達に負け、その命の灯火が消えるときに、傍らにいるのは自分ではなくてクロエだ。多分グレイルは気づいていないことだが、それは妻である自分にとって最も辛く、悲しいことだった。レティリエは目を伏せて、その時が永遠に来ないことを願っていた。


 かなり長いこと走っていたが、やがて走る速度が落ち、グレイルが歩みをとめた。


「レティリエ、ここからは別の群れの縄張りだから俺は行けない。でも、この森を抜けると、小さいが狼の住む村があるんだ。一時的だが、そこに身を隠していて欲しい。ことが終われば、必ず迎えに来るから」


 グレイルの言葉に、レティリエは力なく頷いた。その悲しみに満ちた色を見て、グレイルも痛ましそうに顔をしかめる。そしてそのままゆっくりとレティリエの小さな体を抱き締めた。


 自分の体を容易く包み込む大きな体。がっちりした背中に手を回して包容を受け入れると、彼の力強い心臓の音が聞こえる。厚い胸に顔を埋めると、優しい彼の匂いがした。

 グレイルはもう一度ぐっと抱き締めると、やがてゆっくり腕の力を緩めた。スルリと離れていく腕と同時に、体を包み込んでいた温もりも消えていく。


(あっ……)


 彼の手が自分の体から離れた瞬間、レティリエは思わずその手をとりそうになった。出しかけた手を慌てて引っ込め、ぎゅっと拳を握る。


「レティ、さよならだ」


 グレイルがくるりと背を向ける。その瞬間、レティリエの胸が激しい悲しみと切なさで痛んだ。


 ──行かないで。

 ──私のこと、置いていかないで。


 だが喉まででかかった叫びは、きつく握る拳と共に体内に留められた。時折振り返りながら少しずつ遠くなる背中を見て、レティリエの目から涙が溢れた。


 その大きな背中に、見たこともない両親の影が重なった気がした。



 もはや点ほどの小ささになったグレイルが振り返る。彼も離れがたく思っているのか、そのままじっとレティリエを見つめて立ち尽くしていた。


 ──行かなきゃ。


 ボロボロと泣きながらもレティリエは立ち上がった。彼を心配させてはいけない。自分がここにいれば、彼はより離れがたくなるだろう。

 レティリエはぐっと涙を拭うとくるりと後ろを向き、森の中へと駆け出していった。



 グレイルが言っていた村を目指して全力で走る。今回の自分の役割は、この先にある村に一時的に身を隠すことだ。何もできないからこそ、この役割だけはなんとしてでも全うしなければならない。

 泣きながらも懸命に走り続けていくうちに、段々と木々が少なくなり、前方に開けた場所が見えた。あそこまでたどり着けばきっと村はすぐそこだ。村人に頼んで、群れの中にいれてもらうようにお願いをすればやっと安心できるだろう。

 レティリエがいないことに気づいた追っ手が来ないことを祈りながら、すがるような気持ちで人影を探す。

 そうこうしているうちに、前方に一匹の狼が見えた。ふさふさした尻尾にピンと立った耳。同族の姿に安堵を覚え、レティリエは走るのをやめてゆっくりと彼に近づいていった。


「あの、すみません。この近くに狼の村はあります──」


 だが、振り向いた彼の顔を見た瞬間、レティリエの息がとまった。


 そこにいたのは、ジルバだった。


「お前は……!」


 ジルバの目が大きく見開かれる。咄嗟に逃げようと踵を返すが、瞬時に腕を掴まれてグイと引き寄せられた。


「ほう。監視の目をくぐって逃げてきたのか。良い度胸だ」

「どうして? どうしてあなたがここにいるの?」


 震えながら問うと、ジルバが不敵に笑った。絶体絶命の危機に、レティリエの体は凍りついたように動かない。

 なんとかここから逃げ出せないかと死に物狂いで考えていると、不意にガサッと草がこすれる音がして、レティリエはビクッと肩を震わせた。


「なぜ、こいつがここにいる?」


 現れたのはセヴェリオだった。さすがの彼もレティリエがここにいることは想定外だったようで、度肝を抜かれたような顔をしている。


「わからん。大方あの黒狼が手引きでもしたんだろう。こいつ自身も、なかなか頭が回るようだからな」


 ジルバの言葉に、セヴェリオが挑戦的な視線をレティリエに向ける。


「お前、逃げようとしたのか」


 鋭い声がとび、セヴェリオがグイとレティリエの顎を掴んで上に向かせる。震える雌狼の瞳を見て、セヴェリオは満足そうに笑った。


「このまま逃がすわけには行かねぇな……ジルバ、戻るぞ」


 この窮地を逃れる術をレティリエは持たない。レティリエは二人に連れられるがまま、再度森の中へと足を踏み入れた。

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