古書屋の鞄

倉沢トモエ

第1話 古書市

 紙の産地であるこの町では半年に一度、広場で古書市が開かれる。

 普段は路地裏の薄暗い店で気難しい顔をしていることが多い店主たちだが、この日ばかりはさまざまな顔を見せる。

 もともと愛想のよい者は、このような時も変わらない。

 なんとも大勢が集う場は気が進まず、広場を取り仕切る広場係当番の若者に引っ張り出されてなんとか表に出た者は、土竜がお天道様の下に出たかのように、縮んでしまった。

「せっかく稼ぎ時なのに。しっかりしなよ」

 赤子の頃を知っているような若者に叱咤されるのもなんだかにくらしい。

 または遠くから、荷台一杯に品を積んだ馬車を駆って集まる者もあった。

 なにしろ鑑札さえあれば届け一枚で店を出せる上、人も多く集まるその分、余禄も多いのだ。

「魔女様、やはりいらっしゃいましたな」

 先週より古書市を目当てに、町の宿屋に逗留しているこの老紳士、昨年までは都で詩を講義していた学者である。学舎を定年となり、夫人とともに長年の勤めをねぎらう旅の途中であった。

「これは先生、ごきげんよう」

 この町で茶と薬を商う魔女もまた、この市を訪れていた。

「先日はお世話になりました」

「もう、奥様のお加減はよろしいのですか」

「汽車での長旅に不慣れでしたうえ、馬車に酔いやすいたちでして。けれどもうすっかり良くなりました。あとでこちらに来ることになっております。

 本日は、なにかお求めに?」

「ああ、こちらを」

 魔女は、古書市の客を目当てに店を出す、紙屋に用があったのである。市では絵葉書、筆記具、古切手を扱う店も数軒出ている。にぎわいに欠かせない、食べ物の屋台もある。

「可愛らしい紙が出ているのです。苦い薬を包むのには助かります」

「ははあ、子供が好みそうな柄ですな」

 色とりどりの花や小鳥、馬、玩具の模様を散りばめた薄紙数種類が手に入った。

 大判の紙は筒に巻かれているので、数種類もあれば抱えて歩くのも難儀であるが、気に入りの品であれば、容易たやすいことである。

「お目が高い。

 これは、うちの若い画工の会心の作ですよ」

 通りがかった印刷工房の主人が、そう言いながらのぞきこんできたのに魔女もこたえた。

「さようでしたか。どれも、色もきれいで心ひかれました。きっと手渡せば誰にも喜ばれましょう」

「ほら。今日は広場の当番をしている、あの風船を配っている娘ですよ、それら図案をこしらえましたのは。どうぞご贔屓に」

 主人は次の用事がひかえていたらしく、あわただしくその場を辞した。

「これは先生」

 次には、見事な筆跡の古証文を一枚一枚眺めていた男が紳士に気づいて声をかけてきた。

「なんと。書の修行に出たと聞いて、あれから何年経ったかね?」

 この、インクの匂いがする男、教会の写本室に勤める室長である。かつて紳士の教え子であったという。互いに便りが途絶えていて、案じていたところの奇遇であった。

「よいことですのう」

 魔女が目を細めると、

「市は、ありがたいものです。こうして人と会うこともできますから」

 紳士も室長も、口々にそう申して互いの消息を伝えあうのだった。

 そのように言われるのもなるほど、見渡せば様々な顔がある。

 あちらの巻物を扱っている店には、古物商が挨拶をしているし、あすこにいる、たしかあの身なりのよい男は都の書肆の番頭で、腕の良い製本職人を探している、と、方々に声をかけている様子。

 紳士のような学者もいれば、貧乏学生もいる。

 紙、本、古物、は、まこと様々な人物とつながっているものだ。絵本やおもちゃ絵をねだる子供もいる。

 

 広場のあいた場所では、さきほど主人が言ったように風船を配る者や、紙飛行機を指南している者もいて、子供たちが集まり次々に風船をねだり、また紙飛行機をこさえては飛ばしている。屋台の菓子をねだる者もある。

 そんなときに、ふいに魔女は身をかたくした。なにか気配を感じたのかもしれない。

 紙飛行機を指南しているのは、旅行用の簡易書棚となっている、大きな革の鞄を広げている古書屋だった。なにか古紙を子供たちに配り、よく飛ぶ飛行機の折り方をくり返し伝えている。

 飛行機は風に乗りよく飛んだ。

 日よけ雨よけのため幌を張った古書屋の出店の上をいくつもすべるように飛んで、教会の鐘つき塔の上まで届くものさえあった。

 そのたび子供たちは歓声を上げて、駆けだす者、遠い空で小さくなってゆく飛行機を見送る者、届かなくなり泣き出す者、そこまではいつもの古書市の風景である。

「あら、」

 泣き出すのは紙飛行機の子供だけではない。駆けだして転んだ子供が風船を手放し、虚を突かれたような顔をしたその次には泣きじゃくりはじめた。

「泣かないで。踏んだり蹴ったりだね」

 広場係の娘が、もうひとつ風船を渡して機嫌を取ろうとしたところ、ぱん、と、空高くで音がした。

 踏んだり蹴ったりもここまで続くことがあるものか。空高く飛んで行ったかの風船は、どこまでも飛ぼうとした紙飛行機と衝突して割れたのである。

「あらあら」

 風船の残骸と紙飛行機が落ちてくる。

 そこに駆けつけて魔女は間に合った。

「魔女様」

 紙飛行機の主も追いかけてきて、間に合った。

「お前のかい?」

 帽子をかぶった、洗濯屋の息子だ。

「そうなんだけれど、」

 自分の紙飛行機が風船を割ってしまったことをなんとなく後ろめたく思い丁寧に詫びると、泣いていた子は機嫌を直した。

「びっくりしたなあ。そんなに尖っていたかなあ」

「見せてごらん」

 誰でも折れるようなやさしい飛行機である。

「広げてもいいかい」

「うん」

 魔女が紙飛行機の折れ目を広げると。


「魔女様、なにかあったの」

「ううん、なんでもない紙飛行機さ。

 でもね、あんな小さな子を泣かせる事故があって、持ち帰るのも験が悪いかもしれないよ。ここは私がひとつ、まじないをかけようね」

「うん」

 洗濯屋の息子は、本物のまじないが見られるとは、これは役得だと目を輝かせる。

「ごらん」

 気づけば子供たちが集まり、人だかりができていた。

 魔女は広げた紙飛行機を半分に折り、また半分、そのまた半分、と、小さく手の中におさめるほどにした。

「そら」

 空に向け手をひらくと、手のひらから紙の蝶がひらひらと風に乗って飛び、飛んでゆくうちに光る粉になって散り散りに消えていった。

「すごいや」

 小さな手の拍手が鳴りやまない。

「さすがです」

 大きな手の拍手も聞こえた。

 かの鞄を広げている古書屋である。

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