第12話 脱却へ ③
バンカーヒル。
薄緑のおおらかな大地、しっかりと根を張ったたくましい木々。即席で作られた砦の木材がやや視界を遮るが、のどかな雰囲気は変わらなかった。小鳥が歌を口ずさみ、海からの心地よい風が木々の髪の毛を優しく揺らす。
一人の兵士が緑の丘を全速力で走っていた。苦しそうな顔をし、息を荒げて走る様子は、穏やかな絵面に異様な歪みをもたらしていた。他の兵士たちは雑談をしたり、本を読んだり、気持ちよくいびきをかいたり、煙草を吹かしたりしていて、走ってくる兵士に注意を向けない。兵士は何か叫ぼうとしているが、息が荒くなりすぎて言葉出てこなかった。
丘の中腹を超えたとき、ようやく兵士は声を振り絞れた。
「逃げ……」
最後の言葉は激しい爆発音と地響きでかき消された。兵士のいた場所は大きくえぐられ、砂の柱が立ち昇る。消された緑、駆け巡る戦慄。他の兵士たちは大慌てで武器を手に取った。その間にも、丘の中腹に二個目の土柱が爆音と共に発生した。
「て、敵だぁ!」
「敵襲だぁ!」
「伏せろ!」
轟音が耳を砕き、立派な木々が虚しく地面に頭を垂れた。
「応戦しろ」
土煙で視界も悪くなってきた。声が四方八方から飛び交っている。
大砲の攻撃が続く中、植民地軍はあちこちで反撃を始めた。銃を丘の下に向かって撃ち、狙撃兵が大砲の準備をしている敵に向かって弾丸を飛ばす。先手を取られたとはいえ、彼らには自由を求める希望がある。丘をめぐって激しい交戦になった。
後方から待機していた仲間たちも集う。中には、大砲が乗った車を押してくる者たちもいた。
ゲイジはボストン市からその光景を望遠鏡で見ていた。
「くそぉ、そう簡単にはいかないか……。だが、総力ではこちらが勝っている。攻撃の手を緩めてはいけないぞ」
イギリス兵が砲撃の合間を縫って、丘を走って登り始めた。
「撃て、撃て、撃て!」
植民地軍は走ってくる敵に狙いをすまして殺しにかかる。もちろん何人かはその弾丸で絶命するが、敵が登ってくるにつれて焦りが腕を鈍らせ、命中率が下がってくる。
敵の数が多い。煙の中から絶えず兵士が丘を登ってくる。今の人数での守備は不可能だ。
ついに、刃と刃が交錯した。銃の先端に刃がついている。それで相手を刺し殺すのだ。弾が飛び交い、大砲が大地を破壊し、刃が肉体を貫く。鮮血が、残った緑の地面を赤く染め、ものの数十分でのどかな緑の世界は存在を消した。
「下がれ、後ろの丘まで下がるんだ」
イギリスの勢いに押され、植民地軍は退却し始める。
「待て!」
深みのある声が戦場に響き渡った。
「こんな無様な退却をして恥ずかしくないのか」
「だ、誰だ……?」
兵士の一人が声を上げた。
「あ、あの声は。コンコードの戦いで、イギリス軍を退けた、図太い男だ!」
歓声が鳴り響く。コンコードでの戦いの様子は各地で広まっていた。植民地軍の最初の勝利である。当然、民兵たちを率いたこの図太い男は、伝説級の評判を持っていた。
「俺がここにいる理由は一つ。イギリス軍を殲滅することだぁ! お前ら、俺に続けぇ!」
「おぉぉぉぉ‼」
崩れかけていた士気が最高潮にまで盛り上がった。
図太い男は自信ありげに大きく笑った。
次の瞬間、図太い男が立っていた場所に、大きな土柱が上がった。静まり返る戦場。
「図太い男がやられたぁ!」
「逃げろ、逃げろ、退却だあ!」
「何だったんだあいつは!」
植民地軍は後ろの丘まで退却を始めた。敵は破竹の勢いで進んでくる。
だが、奇襲に対しての第一陣の踏ん張りは充分であった。一個後ろの丘では、植民地軍がしっかりと準備を整えていた。十分な人数の兵士、大砲、士気。それらを用意するための時間は十分に稼げたということだ。奇襲により、戦わずして逃げてしまう軍もある。
「撃て」
合図で、待機していた植民地軍の火器が声を上げる。前に出すぎたイギリス兵たちが瞬く間に撃ち抜かれる。しかし、イギリスは突撃を止めない。数で無理やり押してくる戦略だ。ここでも壮絶な打ち合いが始まった。
互いに地面をえぐり合う。丘の取り合いをしているはずなのに、丘がなくなってしまいそうな勢いだった。
夜がきて一旦イギリス軍は引いたが、日が昇るとすぐに激しく襲い掛かかった。そしてまた陽が沈むまで、休むことなく戦い続ける。数日間激戦が続いた。数と勢いでごり押ししてくるイギリスに対して、植民地軍は地の利を生かして何とかしのぎ、戦況は膠着しかけていた。
しかし、時間を重ねるごとに劣勢を強いられたのは植民地軍だった。士気が劣っているわけではない。ただ、イギリスに比べ、後方からの支援が遅いのだ。その些細な欠陥が徐々に戦況に変化を見せ、じわりじわりと植民地軍は後退を余儀なくされた。
「後方はどうなってるんだ?」
植民地軍の後方は、何故か前方より慌てていた。正規軍の発足が発表されたとはいえ、そんなすぐに戦場にこれるわけもなく、ここにいる兵士は全て民兵だった。こんな大規模の戦争は初めての体験。前線は適応せざるを得ない状況だったので最適な行動をとることができたが、後方ではできなかった。指揮官もいなかったし、経験あるベテラン的な立ち位置の者も特にいなかった。それぞれが口々に自分が得た情報と、今すべきことを大儀そうに叫んでいるため、どの情報を信じて、どの行動をとるべきかが全くもってわからない。
ロチカ、オリー、ジャックはこの入り乱れた後方の渦にちょうど呑み込まれているところだった。
「おい、おーい」
オリーは大声で言った。近くにいる人とも叫び合わないと会話が成立しないほど後方は騒がしい。何故後方がこんなにも混沌としているのか。
「何だ?」
ジャックが大声で聞き返す。
「何をすればいい?」
「後方でやることなんて決まってるさ。武器の補充、怪我人の処置、援軍の……」
ジャックは彼なりに大声を出したつもりだったが、すぐに雑音にかき消された。
「え、何だって?」
「だから……」
ジャックがもう一度言おうとしたのをロチカが、ええい、と妨げる。
「ここはもう収集がつかん」
酷すぎる後方部隊だと感じた。魔法界の戦争でこんな杜撰な後方支援部隊がいたら激怒して叩き潰しているところだ。
しかし、今から後方を立て直すには時間がかかりすぎる。その間に前線は崩壊するだろうし、既に崩壊しかけているかもしれない。
ここは、一つ、腕の見せどころだ。
ロチカの体は高ぶった。
「ジャックはここに残ってていい。おいオリー」
オリーは片手を上げて答えた。
「戦場に降り立つぞ」
「おぉ! だけどどうやって」
ロチカがオリーの肩に手を置いた。オリーが不思議そうな顔をした瞬間、二人はもう空にいた。
「うわぁ!」
空を歩くことはできないが、優れた跳躍力と簡単な浮遊魔法を組みあわせれば、空に行くことくらいはできる。
「落ちるぞ」
落下が始まった。絶叫するオリーを放っておいて、ロチカは冷静に木の中心に降り立ち、また跳躍した。それを繰り返し、繰り返し行い、二人は木々を踏み台に空を駆けていった。数回でオリーも落下に慣れ、興奮した歓声をあげ始めた。
激しい戦場がよく見える。やはり植民地軍は劣勢だ。数が違いすぎる。
「次のジャンプで突入だ。準備はいいかい、オリー?」
オリーは大きく深呼吸をした。暴走の気配が体に循環するのを感じる。
戦だ。
「おうよ!」
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