#6

 ついに私はやり遂げた。


 二学期になって、白木は学校に来なくなった。


 何日間も靴箱の中身を確認するが、そこには校舎の中で利用する上履きしか置かれ

ていなかった。


 「やったよ、お姉ちゃん」


 白木を失意のどん底に突き落としてやった。


 あいつがお姉ちゃんを崖から突き落としてくれたように、私があいつを深い闇の底

に、生き地獄に突き落としてやった。


 なのに、なぜ。


 私の心は、満たされなかった。


 「そんなことは、ない…。だって私は、白木のことを憎んでいたんだから」


 声に出して自分に言い聞かせる。


 『唯奈!』


 「っ!?」


 声の方向に咄嗟に振り返る。


 「お姉ちゃ…」


 聞こえるはずのない声が、私の耳に届いた。


 その声は、怒っていた。


 滅多に怒ることのない優しいお姉ちゃんが、私を怒っていた。





 「なんで、そんなこと言うの?」


 私は、苛立った。


 彼女のために、あいつのことを呪ってきたのに、どうして私が悪者みたいに言われ

なければいけないんだろう。


 母親だってそうだった。


 あの日、お姉ちゃんが死んだ日、いや、正確にはあいつがお姉ちゃんを殺した日。

『チカラ』を使ってお姉ちゃんを殺したことを、母親は微塵も信じてくれなかった。


 そのことを訴えた瞬間の、お前は何を言っているんだ、という冷ややかな眼差しは

今でも覚えている。数秒後に頬を打たれたのも。


 まあでも、そんなことを信じろ、というのが無茶な話だろう。でも、少しだけでも

いいから、私を励ましてほしかった。信じてくれなくてもいいから、黙って聞いて欲

しかった。


 それなのに、あの人は、私なんかより、白木圭のことを気遣った。


 『唯奈のために、こんなに泣いてくれてありがとう』


 私の頬を叩いた母の手は、白木圭の頭を我が子のように優しく撫でた。


 ああ、そうだ。


 お姉ちゃんだって、結局、最終的には白木の顔を見て思い出した。あの林の中で、

白木の顔に釘付けになった姉の顔。あいつの『チカラ』のせいで知らなくてもいいこ

とを知ってしまった。


 「あいつばっかり、ズルいんだよ。だから、バチが当たったんだよ」


 お姉ちゃんも、母親も、父親も、教師も、白木の取り巻きたちも。


 的外れの馬鹿どもめ。


 いい加減気づけよ、あいつのやったことに。あいつが取り返しのつかないクズだと

言うことに。


 あんなやつ、死んでしまえばいい。


 夕陽に照らされた帰路を歩くと、目の前に三人の男女が見えた。


 私がよく知っている顔ぶれだ。


 あいつの本当の顔を知らないで。呑気でお気楽なやつら。


 だから言ってやった。


 私が親切に、気付かせてやった。


 「人殺しの友達さんたちじゃん」


 学校中の人気者の二人と、人からどう見られているか気にしているような気弱な

女。こいつらが真実を知ったら、確実に白木との縁を切る。ハッキリと絶交すること

はないかもしれないが、それでも多少の軋轢は残るだろう。


 白木の人間関係を断ち切り、引導を渡す。


 あとは、約束通り、灰岡が、あいつを殺す。


 これで、いい。


 これでいいんだ。


 しかし。


「だからさ、私は私のやりたいようにやるだけよ」


 私なんかよりも圧倒的に背の高い、赤井千夏が、人殺しの肩を持った。


 自分は白木の味方だと、他の二人もそんな顔をして私を見据えた。


 何かを言いかけてやめた蓮井信隆の前を歩く彼女の背中を睨みながら、握り締めた

ままの拳が絶え間なく震えていた。





 だから私は、自分の手であいつを殺すことにした。


 「なんで…なんであいつばっかり…!」


 灰岡だって。


 どうせ灰岡だって、あいつを殺さないんだ。


 最終的に、あいつは私じゃなくて、あいつの味方になるんだ。


 本人から拒絶されてるのに。


 対等な友達でもないのに。


 まあでも、そんなことはどうでもいい。


 屋上のドアを開けると、白木と、その取り巻きたちが、人殺しの過去なんてお構い

なしに笑い合っている。勝手にあいつの人生をハッピーエンドにしてくれている。


 許せなかった。


 『圭くん!』


うるさい。


 『白木くんが悪いわけないでしょ! 何バカなこと言ってるの! ごめんね、うち

の娘が』


 うるさい。


 『だからさ、私は私のやりたいようにやるだけよ』


 うるさい。


 『なにせ俺たち、まだまだ子供だしなっ!』


 黙れ。


 どいつもこいつも、幸せそうな面をして私に物申しやがって。


 許さない。


 全てあいつのせいだ。


 あいつさえいなければ…。


 あいつさえいなければ!!


 全力で向かう私に、気付くものはいなかった。どうせ、大切な人を奪われた苦しみ

なんて分からないやつらなんだ。本当の痛みを、孤独を、恨みを、不幸を、絶望を知

らない。


 白木だけが、私に気付いた。


 その時には、もう遅かった。


 私が伸ばした手は、白木の腹に触れて、そのまま彼の身体ごと屋上の外へ押し込ん

だ。


 彼の身体が、手すりのない屋上の外へと倒れ込む。完全に倒れてしまえば、位置的

に、誰かの支えがなければ真っ逆さまに地面へと叩きつけられる。


 周りにいるやつらはどうせ気付かない。


気付けない。


死が身近にない遠い存在だから、反応が遅れる。


ああでも、白木じゃなくて、あいつが一番大切にしているだろう桃井春流でも落とし

てやればよかった。私と同じ気持ちを味合わせてやってもよかったな。


そうだ…、あいつは、もうお姉ちゃんのことじゃなくて、あの女のことが好きなん

だ。小学5年生で時間が止まったままのお姉ちゃんを切り捨てて、今を生きる中学二

年生の桃井春流を選んだ。


白木の体勢が、さらに傾く。


そうだよ。


やっぱり白木が死んだほうがいい。あの世で、お姉ちゃんに永遠に許しを乞うとい

い。


死ね。


死ね!


…。


『へえ、唯花ちゃん、上手だね。こんなに上手だったら、画家でも漫画家でも、何で

もなれるよ!』


死ぬのは私じゃないのに、走馬灯のようなものが流れた。


絵を描く私に笑顔を向ける白木。


「白木っ!!」


この場にいないはずの声が、近くで聞こえた。


これも、走馬灯…?


身なり検査で必ず教師から咎められる容姿をした男子が、全速力で駆け寄り、外へと

傾く白木を、走った勢いで一気に押し戻した。


白木が、屋上の床に倒れ込むのを横目に、私の視線は、下へと落ちてゆく彼に釘付け

だった。


そして、彼は落ちた。


背中から落ちて、力なく開いていた目を、閉じた。


呆然としていた意識が、鮮明になっていく。


お姉ちゃんが死んだ時と似て非なる感情が、私の内なるところから沸騰するように湧

き上がった。


 「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 どうにもならない気持ちを声に出した私は、冷静さを完全に失いながら、とにかく

彼のいる下を目指して走り出した。


 一秒でも早く、たどり着けるように。


 たどり着いたところで、私には何が言えるだろう、何が出来るだろう。そんなこと

は考えなかった。


 ただ、彼のところへと、一秒でも早く…。


 目を閉じてか細い呻き声を発する彼が、私に気付いて目を開けた。


 「灰岡さん!! なんで…、なんで!!」


 だらんと伸された身体の、両肩の袖をそれぞれの手で握り締め、揺らす。医学的

に、やってはいけないことなのかもしれないけど、それでも、彼に触れざるを得ない

くらい、彼は動かなくて、意識が遠くて、どうしていいのか分からなかった。触れて

いないと、彼がどこかへ行ってしまうようで、怖くなった。


 私が、突き落としたくせに。


 他人を傷つけているのは、私の方だった。


 彼が、口を開いた。


 その言葉に、涙が止まらなくなった。


 「お前を、人殺しになんか、させねえ…」


 「だから、庇ったの? …バカじゃないの…ねえ…起きてよ…、ねえってば…、灰

岡さんっ!」


 言いたいことを言い終えたように、彼はゆっくりと瞼を閉じて、そのまま眠りに就

いた。

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