#4

 六月はあっという間に終わり、今日は学校の大きなイベントの一つ、クラスマッチがあった。


 男子はグラウンドで、女子は体育館で競技をするが、私は、外にいた。


 「打てるわけないじゃん。バカじゃないの?」


 グラウンドの誰からも笑いものにされながら、白木圭はバットを振る。こちらが恥

ずかしくなるような至極みっともない空振りを二度繰り返す。


 周りからのヤジで、すっかり萎縮してしまっただろう。もうあいつに、希望なんて

見えない。


 「『チカラ』を使える段階まで行けないなんて、つまんない」


 溜息を吐いて、やはり『チカラ』に依存することしかできない能無しだったか、と

嘲る。


 『君の記憶を消したいんだ!』なんて啖呵を切った割にはこの様だ。


 放課後、普段よりも少しだけ様子の違うあいつの姿を見かけた私は、後を付けた。


 あの時の河川敷で放った言葉には、人殺しのくせに、人を助けたいという覚悟のよ

うなものが遠くからでもよく見えた。


 しかし、現状は散々だ。


 こいつは結局、口先だけで人をたぶらかすくせに、最後の最後にその人を騙す。平

気で裏切る。


 『チカラ』なんてものがなければ、白木圭なんてただの弱虫。弱いお前は『チカ

ラ』に頼ってお姉ちゃんを殺した卑怯者。


 このまま三振して、社会的にも死んでしまえ。


 様子が急変した。


 白木圭が、審判にタイムをとった。


みんな何事かと思いながら、こんなやつのために試合の再会を待つ。


すると白木は、バットから手を離し、両手で頬をつねった。


あほらしい顔と行為に、グラウンド一帯は怪訝そうにどよめく。「何やってんだ」と

苦笑する男子たちの声。


 あんなことのためにタイムをしたのか、と呆れと苛立ちと、嘲りに包まれたグラウ

ンドで、ありえない事態を目の当たりにした。


 白木圭の振るったバットが、向かうボールを跳ね返し、そのボールがクラスマッチ

用に設置された柵を超えた。


 立ち止まる相手チームの外野手。


 白木圭は、ざまあ見ろと言わんばかりの顔で、悠々と、地面を一歩一歩、踏みしめ

るようにしてゆっくりとダイヤモンドを駆けた。






 白木は、歯を見せて笑っていた。


 お姉ちゃんを殺した後日、私の家に来た時には闇の真っただ中にいるような顔をし

ていたくせに、眩しい夏の空の下、あいつは清々しく笑っていた。お姉ちゃんのこと

なんか、忘れてしまったように。『チカラ』なんてなくても、自然と記憶から消えて

いるかのように。


 私は歯噛みする思いで、グラウンドを去った。


 白木圭は、蓮井信隆との約束通り、『チカラ』を使うだろう。


 蓮井が野球をやめることになったと言われている新人戦の大失態の日と、彼が大事

にしている人、あるいはものの記憶が完全に消える。


 彼が大事にしている存在。


 もしそれが、彼自身ではなかったら。


 「おお」


 「やっぱりヤバいな、あいつ」


 「一年生の時からベンチ入りしてたのに、何で止めちまったんだろうな、あいつ」


 「新人戦の時、連続でエラーしたんだってよ。あれから一年くらい経ってるのに全

然鈍ってねえな」


 白木圭が必死になって柵へと運んだのがバカらしく見えてしまうほど、蓮井信隆の

打球は余裕の柵越えだった。


 この調子だと、決勝戦に行くのは、蓮井信隆のチーム。


 ちょうどいい。


 最悪な記憶を消し、試合に勝たせていくことで徐々に蓮井の自信を取り戻す試み。


 うまくいけば、蓮井信隆は自信を取り戻し、結果として白木の『チカラ』が肯定さ

れることになる。


 勝負だ。


 私は、踵を返す。


 体育館へと足を運ぶ。


 蓮井信隆の大切な存在を、あの女が彼に渡した『お守り』だと決めつけて。


 それだったら素敵な話じゃないか。


 赤井千夏も、蓮井信隆も、互いに互いを想い合う。素敵な関係。


 私がそれを台無しにして、粉々にしてやる。


 全ては、白木圭を否定するために。


 恨むなら、白木を恨んでしまえ。


 「あなたの負けよ。灰岡翔」


 この先の喜びに顔を綻ばせながら、私は勝利を確信した。




 「彼氏いたんだな。友達いなさそうなくせに」


 「あなたには言われたくないです」


 赤井千夏。


噂通り、同性も異性も、どんなタイプの人間も引き寄せてしまうオーラを感じていた

が、惚れた男のことになると、ここまで小物に成り下がってしまうとは、何とも哀れ

だ。私のクラスのサルどもと変わりないではないか。


 恋愛なんてものに興じるから人間の質が下がるのだ。こうして大事そうにしていた

お守りも、恋愛などという下らない感情のせいで見ず知らずの私の手に回ってしまっ

た。


 「相変わらず冷たいな、お前。物好きな男もいたもんだぜ」


「あんたみたいな立ち聞き男よりはマシよ。どうせ誰からも異性として求められたこ

ともないくせに」


 「へえへえ」


 呆れるように失笑する灰岡。相変わらずヘラヘラと軽薄に笑う。


 「そこまでして、あいつを殺してえか?」


 彼の顔から、軽薄さが嘘のように消えた。


 表情を、怒り一色に染め上げる剣幕が、突如として私の目線に差し込んだ。声色に

も纏う怒気。


 「あんたには、関係ないでしょ…。気安く話しかけるな、嫌われ者」


 咄嗟に目を逸らした私は、不本意だが、威嚇するように睨む彼から逃げるように、

早足でグラウンドへと戻っていった。


 なによ。


 あんただって、あいつに裏切られたくせに。


 知ってるんだよ。


 白木圭の『チカラ』を利用して万引きしてるの。


 あの桃井とかいう女にだけ、みっともなく泣きながら本心をさらけ出したことも。


 用済みになった暇つぶしのくせに。


 「あいつも死ね…」


 白木の『チカラ』が否定されたら、あいつが白木を殺して、あいつも自ら命を絶

つ。


 死ね。


 死ね。


 私のことを認めないやつらは、全員死んでしまえ。


 握り締めた拳と、地面を踏みしめる脚が、炎天下などお構いなしに震えていた。


 


 私の目論見は、逆効果だった。


 グローブに立てかけてあったお守りを目の当たりにした蓮井は、確かに『思い出し

た』。


 しかし、かつてのような落球は全くなく、むしろファインプレーをやってのけてし

まうほどだった。


 「まあ、今回は俺の勝ち、と言いたいところだけど…、ウィンウィンってことにし

てやるか」


 雫程度しか残っていないオレンジジュースと溶ける氷の水分を、ストローで往生際

悪く吸い取り上げて、安堵したように笑う灰岡。


 「あんなの、ただのラッキーじゃん。蓮井信隆の精神力がもともと強かった。赤井

千夏の想いを力に変えた。ほとんど蓮井信隆の自力。白木の『チカラ』なんて、あっ

たってなくたって、関係なかった」


 「でも、クラスマッチで野球をさせることが出来たのは白木が動いたおかげで、白

木が本番に備え努力してホームランを打った。白木圭の自力」


 「っるさい! 嫌われ者!」


 「いっ!」


 向かいに座る灰岡翔のすねを力強く蹴る。私程度の非力でも、さすがに痛かっただ

ろう。顔を歪める彼にざまあ見ろと鼻で笑う。


 「いったた…。でもさ、分かったろ?」


 「なにが?」


「白木の『チカラ』はさておいて、あいつが他人のためにここまでやれるんだってこ

とが」


 「っ…」


 言葉が詰まった。


 何も言えなくなった私に、彼は続ける。


 「なあ、お前は白木が本当にあいつを殺したと思ってるのか? お前の話による

と、白木がお前の姉ちゃんが宿泊先で喧嘩して、それに腹を立てた白木が、記憶を

『チカラ』で消して…。でも、あいつは優しかったんだろ? お前にも優しくしてく

れたんだろ?」


 「黙れ…。あんたに何が分かんのよ? 私のお姉ちゃんのこと、知らないくせに。

白木の心すら開けなかった嫌われ者のくせに。知ったような口を利くな。無神経。余

計なおせっかい。邪魔」


 私は席を立ち、入り口のある二階へと出て行った。


 自分が飲み食いしたトレイもそのままテーブルに置いて、そのまま去る。


 あんな、なんの苦労もしたことのなさそうなやつに、私の気持ちが分かってたまる

か。


 学校中の人間に敬遠されてるくらいの不幸しか持ち合わせていないくせに、大事な

人を失った私に何が分かるのよ。


 白木が良いやつだからって、だから何なの?


 『良いやつ』だったら得体のしれない不気味な『チカラ』で人を殺していいの?


 大嫌いだ。


 少しだけ信用し始めた私が馬鹿みたいだ。


 灰岡も、一緒。


 私のことなんか信用してくれない毒親どもと、全くもって一緒なんだ。


 「終わってなんか、ないんだから」


 拳を握り締める。


 昨日、白木と桃井春流が、ある一人の少女と出会ったのを見た。話の内容から白木

が灰岡と万引きをしていた時に一度接触し、『チカラ』を使って記憶を消したとい

う。


 そして彼女は、家出少女だった。


 期待。


 瞬間、胸に浮かんだのは、その感情ただ一つだった。


 「こいつなら…」


 白木の『チカラ』を完膚なきまでに否定できるかもしれない。


 ただの直感でしかなかったが、家出少女だったという境遇に賭けるしかなかった。


 青一色の空の下、私は身支度を始めるために、自宅へと歩みを進めた。

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