私は、あいつを許さない

#1

 私はあいつが大嫌いだった。

 『チカラ』なんてもので、お姉ちゃんを殺した。

 だから私は、あいつを憎み続けた。人を殺したくせに生き延びる卑怯者が、自ら命を絶つまで憎み続ける。

 人殺しくせに。

 希望の光を求めるような顔で日々を過ごす。

 不愉快だ。

 いざとなったら、私が…。



 「あっはは」

 「マジでウケるよね~」

 「告ってきたくせにフラれたら、手の平返したように睨みつけてくるのヤバいって」

 昼休み。

 5限目の体育に備え、体操服に着替える。

 言葉の節々から頭の悪さがよく分かる女子たちの会話を聞き流しながら、とっくに着替えを済ませていた私は、小さな紙切れに目を落とす。

 「低次元なやつら…」

 私は、自分だけにしか聞こえない音量で、呟く。

 こいつらは昼休みが始まってからおよそ三十分もの時間を恋愛なんて下らないことで盛り上がっていた。

 知性を放棄したサルどもが。

 好きでもない男に告白されたくらいで被害者ヅラする女子どもは、本当にサルらしく、キャッキャと矯正を上げながら教室を出て行った。

 小さなメモ帳に目を落とし、しかしまだ教室には何人も人間が存在していることを嫌って、私もそのまま教室を出て行った。

 ドアを開けると先ほどのサルどもが、隣の教室で着替えていたゴリラのような男子たちと共鳴するように高笑いして歩いていた。

 すれ違う生徒たちに構うことなく、平然と廊下の幅を埋め尽くすほどの並列で歩き続ける。一方で、壁に背をくっつけるように、前方から迫りくる彼らの壁をすり抜けようと必死な男子は、どう考えても惨めでしかなかった。

 こんなところから、抜け出したかった。

 小学校の時から変わらない、閉塞した空間。

 ルックスと暴力の前では学力も芸術も無力なこの小さな檻のような世界から、一秒でも早く抜け出しかかった。

 お姉ちゃんだったら。

 私が、他人を恐れて自分の殻に閉じこもる目黒唯花じゃなくて、強いとされる人間にも対等に笑いあったり喧嘩し合ったりできる目黒唯奈だったら。

 そう、私は、姉になりたかった。

 強くて、優しくて、他人の悪意なんかに簡単に屈することのなかった彼女の姿に憧れていた。

 姉になりたかった。

 でも今は、姉にならなければならなかった。

 私の手に触れた姉の暖かさと、私の耳に優しく響く姉の柔らかい声、ずっと近くに居たいと思わせる姉の匂い。

 それらすべてが、日が沈んで見えなくなっていくように、私の記憶からゆっくりと時間をかけて消えてしまいそうで、怖かった。

 だから、私自身が姉と同じようになることで、私の中のお姉ちゃんは生き続ける。

 仏壇にある写真なんかに魂が宿っているはずがない。

 あんな母親を、私は絶対に信じない。

 そう、私のことを信じてくれなかった母親も、父親も、クラスの連中も、どいつもこいつも、呆れるほどに頭の悪いやつらで、目障りで耳障りで、邪魔だった。

 彼らを、そんな存在にしたのも、全てはあいつのせい。

 なにより、私が最も心を開き、絶対的に信じていた姉を殺した『あいつ』が、憎いなんて言葉では形容が追い付かないほどに、自ら手を掛けてでも殺してしまいたいくらいに死んでほしかった。

 あいつが、私の何もかもを奪った。

 私が、あいつを殺す。

 昨日、嫌みなくらいに眩しい光を放ったあの坂で、姉のことなんかまるで何もなかったかのように、幸せそうな顔をして女と笑い合っていたあいつの全てを否定し、どん底の、さらに底の、失意の最底辺に突き落として、あいつを殺す。

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