第26話 待つしかなかった

 「すごい、きれいなおうち~」


「そんなことないよ。二人が来るって母に連絡しといたから間に合わせできれいに掃除したんだよ」


「ねえ…」


「「?」」


 あらたまった口調で、言葉を切り出す僕を、二人はどうしたものかと注視した。


 「やめにしないか?」


 「えっ」


 青島さんが、案の定、よく分からないと言った顔をする。


 説明するのが苦しかった。


 「たぶん、君のお父さんは、優しくなんかない」


 「どうしたの、白木くん? 急にそんなこと言っ…」


 「なんで?」


 弱弱しく問う桃井さんの声を遮って、刺すような視線で僕を睨みつける青島さん

に、目を合わせることが出来なかった。


 「だって、酷いことをした人なんだろ? 虐待されてることを、君の弟だって知っ

てたんだろ?」


 「ちょっと、白木くん!」


 桃井さんが慌てるのをよそに、僕は喋りだすと止まらなくなった。


 突然、青島さんに胸倉を掴まれて頬を張られそうでも、僕は言わざるを得なかっ

た。


 何としてでも、彼女の父親に合わせないように、僕は尽力した。


 今日は確か、彼女の父親は午後の三時に帰ってくる予定だった。


 顔写真も、きっと家の中にあるんだろうけど、思い出すなら、本人に直接会ってか

らがいい、という彼女の要望を尊重し、午前十時現在、青島さんは僕の『チカラ』に

よって、『大切な人』と、『僕が指定した日を、そのまま丸一日分』を忘れている。


 そう。僕が万引きした日、あの日を丸一日分、忘れてしまっている。


 その日に何があったのか。


 絶対に、思い出してはならない記憶。


 「あんたさ、それ、本気で言ってるの?」


 怒りで紅潮した顔を僕に近づけて、今にも手が出そうな勢いで僕を睨む。


 「本気だったら、どうする? 再会したって、どうせまた、気味に乱暴するはずだ

よ。髪を染めた家出少女なんて、そりゃあ歓迎されないでしょ」


 パン、という音が耳元で鳴り、じんと空気に沁みるように頬に痛みが走った。


 首は、右に動いた。


 「バカじゃないの? 今さら何言ってんの? 今日、会わなくたって、私はこの家

でしばらくは暮らしていかなきゃいけないんだから、どうせその父親を思い出すに決

まってるでしょ! それに…、父親がどんな人であっても、他人のあんたにそこまで

言われる筋合いはない」


 彼女は、酷く取り乱し、もう僕の言葉に耳を傾けなかった。


 「帰って」


 「…」


 「帰ってよ!!」


 大声で怒鳴る彼女に、それでも僕は…。


 「ごめん、それはできない。責任を取らなきゃいけないから」


「またそれ!? どうせ父親の記憶を失ったくらいで、会えばすぐに思い出すんだか

ら。虐待の記憶ばっかりだったとしても、私には、たった一人のお父さんなんだか

ら…! あなたの責任なんて、要らない世話だわ!」


「そうじゃない! …そうじゃないんだ!」


「じゃあ、何よ?」


「それは…」


 言い淀む僕に、いつか訪れる災厄が、予定よりも早く訪れた。


 玄関が開き、閉まる音が、聞こえた。


 青島美奈の、父親。


 災厄の『引き金』となる人物。


 「あっ」


 「ダメだ!」


 「っるさい! 離して!」


 掴んだ手を振り払われた僕は、その場に跪き、ただ絶望を待つしかなかった。


 「白木くん…?」


 さっきまで怯んだように様子を見ていた桃井さんが、僕に問う。


 「どうしてそんなに、会わせたくないの?」


 「…」


 僕は、答えなかった。


 それは、待たずして、分かることだから。


 昨夜、僕の腹を殴った男。彼女に一生残り続ける傷をつけた男の顔を思い出す。僕

は、やっぱり『チカラ』がないと、何もできない。誰かの力になることが出来ない、

役立たず。




 『返してよ!』




 ごめん…。


 「美奈っ!!」


 彼女の父親の声を遮るように玄関が開き、そして閉まる音が、再び聞こえた。

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