第17話 頬

 「何とかなりそう?」


 夕焼けの空の下、桃井さんと二人でいつもの坂を歩く。


 彼の記憶を消すのを条件にホームランを打つと約束してしまった僕は、彼女に本気

で心配される。


 「まあ、何とか…。やってみせるよ」


 理由は分からないけど、桃井さんには弱いところは見せられなかった。今日だっ

て、そういう気持ちがあったから、諦めずに頑張れたのかもしれない。蓮井君の無茶

なコーチングに何度も文句を吐いたけど。


 「そっか」


 前をぼんやりと見ながら、虚ろな様子で返事をする彼女。それは不安、というか不

機嫌に見えた。僕にはやはり無理な条件だと思っているのだろうか。それとも、そん

な約束を彼女と相談することなく勝手に決めてしまったから怒っているのだろうか。


 僕は、のんびりと眺めると、夕焼けに映える彼女の真っ白な肌がまるで陶器のよう

で、風に触れただけで消えてしまいそうなくらいに綺麗だった。


 「なに?」


 「い、いや、何でもない!」


 よこしまな感情で彼女を見つめていた僕に気付き、怪訝そうな目を向ける彼女に、

僕は慌てて目を逸らした。


 逸らした先に、坂の、ガードレールのすぐ下に、翔が、寂しそうに立っていた。


 「翔…」


 出かかった声は、やがて消える。誰の耳にも届かないまま、僕の声は消える。


 心配するふりをして、本当は彼のことを避けている僕は、やはり卑怯者なのだろう

か。学校で腫れ物のように扱われる彼と、縁を切ってしまった僕の選択は賢明だった

のだろうか。


いずれにせよ、僕は最低な人間だ。


 「白木くん」


 「っ…。いっ?」


 急に目線が桃井さんの方を向く。


 思わず変な声が出たのは、彼女が、思い切ったことをしてきたからだ。


 突然、両方の頬を指でつままれて、引き裂くように反対の方向に引っ張られる僕

は、事態を飲み込めずに困惑した。困惑しまくった。


 「も、ももも…ももいひゃん?」


 間の抜けた声しか出してくれない両手を、どけようにも、それが拒絶するような行

為になってしまうのではと懸念して、結局、彼女の言葉を待つしかできなかった。


 「ダメ!」


 「ふぇ?」


 「そんな暗い顔しちゃダメ! そ、空は、こんなにも綺麗なんだよ!」


 すると彼女は、僕の顔を次は斜め上に向ける。


 声が、出なくなった。


 震える彼女の手が、口をさらに引き伸ばされたからではない。


 「ほ、ほら…。だから、白木くんも、これくらい明るい気持ちにならないと! 蓮

井君のためにも、頑張ろ!」


 息が詰まるくらいに眩しく尊い夕焼けの下、震わせながらも気持ちのこもった声を

僕に届ける彼女が、靄のようにかかった僕の闇を、いとも容易く晴らしてしまった。


 「だ、だからこそ、白木くんは今日はちゃんと休んでね! でも、宿題はちゃんと

やんなきゃだよ? あっ、勉強できない私に言われると嫌だったか…」


 真面目な話を切り上げるように、おどけた口調で、僕の数歩先を歩き始めた。

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