第14話 天使の眼差し

 田中、鈴木、佐藤。きっとどの学校にも二人以上はいるであろうこれらの苗字は、平凡な苗字として扱われてきた。


 もしかしたら本人達はもっと個性的な苗字が良かったと思うかもしれない。自分だけの苗字、自分だけの名前。きっと一度は誰もが考えるであろうもしもの自分。


 いくら先祖や両親からもらった苗字と名前とはいえ、違うものを想像してしまうのは仕方がない事だ。


 他を羨むというのは人間の本能のようなもので、俺達のようなキラキラネームを持って生まれた者達は平凡な名前を、そして平凡な名前を持って生まれた者達は個性的な名前になりたかったと思う事くらいある。


 さて、唐突だがこのクラスには天使が四人いる。

 

 一人は俺の席の後ろに座る和服が似合いそうな黒髪の美少女、相崎天使エンジェル


 その名前の通り天使のような笑顔を見せるのだが、如何せん口が悪い。もはや誰に対しても遠慮なく毒を吐く彼女は毒ガス兵器天使ちゃんという異名まで持っているくらいだ。


 普通ならそんな周囲に敵を作るような事を平気でする彼女はクラスで孤立するはずなのだが、天使エンジェルちゃんにお近づきになろうとする男子が後を絶たなかった。


 それは天使の毒息エンジェルブレスに含まれる成分が男を魅了する、というわけでは当然なく、単純に言葉使いが巧みなのだ。


 俺も席が近い事もあってよく話すのだが、当たり前のように悪口を言われている筈なのに何故か苛立たなかった。むしろもっと罵って欲しいと思うことがあるくらいだ。


 もちろん俺はMではない。ただ、天使エンジェルちゃんのお願いには何故か逆らう気が起きないだけだ。


 出会った当初はナンバー1キャバ嬢みたいだと思ったが、ここまで来るともはや支配者として社会に君臨出来るのではないかと思わせられる。人を使う才能とでも言うべきか、彼女は高校一年生にしてすでに社会人が何年もかけて習得するスキルを身に付けているらしい。


「そんな地下アイドルのストーカー風にねっとり変態チックな目で見ないでくれないかなぁ。とってもとーっても気持ち悪いからさぁ。あ、もしかして私の足置きになりたかった? でも今は守州丸マシュマロ君の役目だから駄目ー」

 

 天使エンジェルちゃんが自然な笑顔で罵倒してくる。


 もちろん俺はそんな変態ではないので普通に天使エンジェルちゃんを見ていただけだ。そもそも誰が好き好んで足置きになりたいと言うのか。と思ったが、天使エンジェルちゃんの足元で四つん這いになっている守州丸マシュマロが怖いので何も言わない。


「ところで前から思ってたんだけどさ、足置きの位置ってパンツ見えないの?」


 天使エンジェルちゃんのスカートに限らず、この学校の制服の丈は少し短い。


 守州丸マシュマロが少し視線を動かせば、簡単に見える位置に視線があるはずだ。もちろん俺の位置からでは見えないようにしているようだが、健全な高校生としてはどうなんだ? 


 少なくとも俺が守州丸マシュマロと同じポジションになったら遠慮なくガン見する自信がある。


「ぼ、僕は一流の足置きだ! そんじょそこらの二流達と一緒にしないでくれ! 大体! パンツを見る足置きがどこにいるっていうんだ!」

「足置きに人権なんてないんだから関係ないよねー。主人公ヒーロー君は家具に自分の裸を見られて恥ずかしいと思うの?」

「お、おう……」


 どっちの発言も問題過ぎてツッコミ切れなかった。


 少なくとも自称一流の足置きを名乗るのはお前以外に見たことねえよと言いたい。


 まあ本人達が納得しているのなら別に構わないけどさ。ちなみに勝手に発言をした守州丸マシュマロはお仕置きとして靴の踵でグリグリと痛めつけられていた。


 そんなこんなでチャイムが鳴り、朝礼が始まる。その頃には守州丸マシュマロも自分の席に戻り、大人しく一時間目の用意を始めていた。




 昼休みになると、天使エンジェルちゃんは数人の下僕を引き攣れて食堂に行く。そんな空いた席を唯一神ゆいかが座り、俺も向かい合うように弁当を広げ始めた。


「んふふー。今日のお弁当は一体何かなー。あ、唐揚げだー!」

「よかったな」

「うん! むふふー」


 好物の唐揚げが入っていたことで満面の笑みを浮かべている。本当に喜怒哀楽を隠さない、無邪気な笑みだ。見てるこっちまで嬉しくなってしまう。


 全寮性である魁鳴学園には、昼食にはいくつかの選択肢がある。一つは購買でパンや弁当を買う事。ただしこれはかなり競争率が高く、大抵力の強い運動部が美味しい物を持って行ってしまう為、一年生にはあまりお勧めされていない。


 二つ目は単純に学食だ。これは食券販売機で食券を購入して食堂で食べることになる。かなり豊富な種類とそこそこの味に人気が高く、その分並ぶ時間がかなり長い。


 そして最後、俺や唯一神ゆいかが選んでいるのが、寮のおばちゃんお手製の日替わり弁当だ。前日のうちに申請をしておけば、朝学校に行く前に渡してくれるシステムとなっていた。


 冷めてしまっている点や、弁当を選べないというデメリットはあるが、安いし何より心の籠った弁当は冷めていても美味い。もっとも、俺は購買に行く時間や食堂での待ち時間といったものを少しでも短縮したいという気持ちもあるが。


「やっぱりおばちゃんのお弁当が一番だ!」


 唯一神ゆいかはそんなおばちゃん達の味が大層お気に召したらしく、毎日日替わり弁当にしている。


 前に一回だけ購買と食堂に連れて行ったことがあるのだが、人が多すぎて目が回りそうだと言っていた。実際にグルグル目を回していたので、それ以来連れて行くことはなくなった。


「いやしかし、食堂のおばちゃんも侮れねえな。この唐揚げマジで美味いし」

「ああ、幸せだぁ」


 恍惚とした表情でモグモグ口を動かす唯一神ゆいかを見れば、おばちゃん達もさぞ作り甲斐があるとだろう。実際、毎日食堂まで行ってお礼の言葉を口にする唯一神ゆいかは、寮のおばちゃん達から大人気だ。


 お弁当だけいつもデザートが入ってたり、メインの量が多くなっているのは日頃の行いの賜物だろう。

 

「あぁん。唯一神ゆいかさんのその顔、エロ過ぎ! 可愛すぎ! お持ち帰りしたいですわぁ!」

「別にエロくねえよ。可愛いのは認めるけどな。てかいきなり出てくんなよ天使フェリス唯一神ゆいかがビックリして目を丸くしてんだろ」

「あらん……それはごめんなさいね」


 クラスメイトの天使フェリスは言葉では謝罪しているが、目を血走せてハアハアと息を荒げながら驚いた顔の唯一神ゆいかを見つめている。そして徐々にその顔を唯一神ゆいかへと近づけていく。


「ちょ、天使フェリス近い! 顔が近いぞ!」

「近づけてるのですわ!」

「何故だ!?」

「それはもちろん貴方のお顔をもっと見たいから! あぁ、一体どんな味がするのかしら?」


 本気でキスまでしようとしているのか、それとも舐めようとしているのかわからないが、そろそろ唯一神ゆいかが本気で涙目になっているので、助けることにした。


「おいコラ金髪縦ロール。いい加減にしろ」

「アギャッ!」

 

 バネのようにクルクル巻かれた二つの縦ロールを思い切り掴むと、勢いよく後ろに引っ張る。


 不意を打ったせいか、それとも想定以上に弾力のあるロールだったのか、天使フェリスは一切抵抗出来ないままブリッジをするように後頭部を机の角にぶつけていた。


「お、ぉぉぉぉぉ」

 

 あまりの痛みい後頭部を押さえながら悶絶する天使フェリスだが、俺は変態がこの程度で反省するわけないと知っているので、罪悪感などなかった。だが正面にいた唯一神ゆいかはそうではないらしく、慌てて天使フェリスへと近づく。


「だ、大丈夫か天使フェリス! こら主人公ヒーローやり過ぎだぞ!」

「あぁん。唯一神ゆいかさんの生足。おパンツ。ぐへへ、ええのええのぉ。この角度は最高じゃけぇ」

「えっ? うわぁ!」


 天使フェリスの視線に気付いたのか、慌てて唯一神ゆいかが距離を取る。


 しかし本当に最低だなこいつ。心配して近づいてきた相手のスカートを覗こうとするとか中々出来ないぞ。ていうか口調が滅茶苦茶じゃねえか。


「ぅぅぅ……」


 唯一神ゆいかは顔を真っ赤に染めてスカートの裾をぎゅっと握る。その姿は何かエロ可愛い。変態じゃなくてもお持ち帰りしたいと思わせるだけの威力があった。


 とりあえずスマホを取り出して一枚写真を撮る。


「よし」

「後でその写真メールしてくださいね」

「お前にやると碌でもない事に使いそうだから嫌だ」


 天使フェリスの要望を却下すると、信じられないと言わんばかりに目を見開いて俺を見つけてくる。


「そんな!? ワタクシの何がいけないというのですか!」

「今のお前の顔を鏡で見てみろよ。それが答えだ」


 相変わらず興奮状態の変態フェリスは、唯一神ゆいかの可愛さに鼻血を出していた。


 もはやただの犯罪者だ。


 見た目と口調は生粋のお嬢様といった風だが、中身がこれでは彼女の両親も報われないな。しかし、結構な勢いで頭をぶつけたはずだが、こいつは何でこんなに元気なのだろうか?


「やはり変態はこの程度じゃダメだったか」


 俺は近くに武器がないか探す。出来れば一撃でこいつを粉砕出来るのがいい。


 そう思っていると、購買や食堂から食べ終わった生徒達がぞくぞくと教室に帰ってくる。その中に一人を見つけた瞬間、俺の中で次のプランが決まった。

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