3

 急須で丁寧にいれた熱いお茶と、おいしい和菓子までいただいて、のんびり。


「おばあちゃんの話、当たってるかもしれないよ。鏡さんは霊感があるんだよ」

「やめてください、天狗さん。あれのことだったら、わたしのせいかどうかもわからないですよ」


 バイト初日のことだ。

 古い盃を手にしたら、その盃が実際に使われていたらしい時代に飛んでしまった。

 手を放したら現実に戻ってきたし、その後でもう一度盃に触ってみても、なにも起こらなかったけど。

 その後も、いわくありげな物を見つけるたびに天狗さんは嬉々としてわたしに触らせようとしたけれど、結局その後は、珍しいことは起きていなかった。


「たぶん、夢を見たんですよ」

「二人で同じ夢を見るものかなあ」


 わたしと天狗さんが話すのを、おばあさんはにこにこ笑いながら聞いていた。


「へえ、そんなことがあったのね。きっとめぐり合わせなんでしょうね」


 しばらくくつろいで、そろそろ倉に戻ろうか、という話になった。


「じゃあ、おばあちゃん。片づけに戻るよ」

「引き受けてくれてありがとうね、天ちゃん。あぁ、せっかくあがってもらったから、開かずの間の奥の戸棚も見てくれないかしら。あそこにもよくわからないものがしまってあるのよ」

「いいよ」


「じゃあ、いこうか。鏡さん」と案内されるので、天狗さんに続いて、わたしも席を立った。


「あの、開かずの間って?」

「ん? ああ。そう呼ばれてるだけで、ちゃんと開くんだけどね」


 座敷を出て、廊下を進んで、家の奥へ向かう。

 古い家なので、廊下はちょっと薄暗かった。

 照明は新しい製品に取り換えているみたいだけど、新しい家って、部屋の壁紙が白だったり、光の入り方を考えられていたりと、明るい印象になるように設計されているもんね。

 こちらのお家は、柱や天井に使われている木材も濃い飴色になっているので、全体的に色が暗い。

 薄暗く感じるのは、そのせいもあると思う。


 天狗さんについて奥へ向かうと、ふしぎな部屋があった。

 倉の入り口にあるような大きな木戸がついていて、いまは開け放たれている。

 内側も、廊下や座敷や、ほかとはすこし違う。

 壁は漆喰で白く塗られていて、壁際に和箪笥わだんすが並んでいる。

 箪笥タンスの上には置き物がずらっと並んでいて、壁にも、額に入った古い写真や、絵が飾られていた。


 大きさは、六畳くらい。

 畳の上には大きなテーブルが置かれて、温泉宿の客室みたいに、給湯ポットと湯飲み、お菓子が置かれていた。

 部屋の奥には押し入れがあるものの、窓はない。

 入り口は、廊下に面した木戸だけだった。


「天狗さん、ここは?」

「古いだろ? ここだけは、初めに建てた当初の部屋を残してあるんだって」

「初めって、明治時代?」

「そう。初代当主が使っていたらしいよ。いまは、おばあちゃんのギャラリーみたいになってるけど」


 天狗さんの目が向いた先は、和箪笥わだんす

 ところ狭しと並んだ置き物は、木彫りの熊に、どこかの祭りの山車や踊り子のミニチュアに、オランダの木靴や水車を思わせる陶磁器に、洋館のミニチュアに、ガラス製の置き物に――はっきりいって、まったく統一性がない。

 旅行のお土産置き場というか。

 誰かのお気に入りグッズを並べたスペースっていう雰囲気というか。

 くつろぐための部屋というよりは、コレクションを並べる部屋という感じ。


「奥の戸棚って、これかな」


 入り口をくぐって中に入る天狗さんに続いて、部屋の奥へ。

 押し入れを開けると、客用なのか、布団がぎっちり詰まっていた。

 ほんとに温泉宿みたいだな――。


 押し入れの一角に、古い戸棚が収まっている。

 引き戸が二つ、引き出しが六個くらいついていて、パタン、パタンと音をたてながら、天狗さんは中をたしかめた。


「どれのことだろう」


 整理すべき物を探す天狗さんの手もとを、わたしも覗きこんだ。

 なにしろ、明治時代からあるお部屋の戸棚だ。

 お宝でも眠ってるんじゃ――と、野次馬根性。


「なにかありますか?」


 わくわくと声をかけた時。

 ぎい……と、背後で重い音が鳴る。

 振り向くと、入り口の戸が閉まっていた。

 閉まりきった証の、ゴン、と低い音が響く。

 戸の向こうから、おばあさんの品の良い声がきこえる。


「では、ごゆっくり。天ちゃん、しっかり鏡さんをおもてなししてね」


 ついで、ガチャンという金音。


「えっ、ちょっと、待って」


 慌てて戸に駆け寄って木戸の取っ手に手をかけるけれど、びくともしない。

 もともと重い木戸だったけど、ここまで動かないってことは――。


 うしろから、天狗さんの淡々とした声がする。


「外から鍵をかけられたな」

「鍵って、なんで!」

「いまは開きっぱなしだけど、戸には鍵がついていて、中にはいった人を閉じ込めることができるんだよ。それで開かずの間って呼ばれていると、話にはきいていたが――」

「でも、どうして閉じ込められなくちゃいけないんですか。わたし、天狗さんのおばあさんに対して、なにか失礼なことをしたでしょうか?」


 この大豪邸に暮らす上品なおばあさまのご機嫌を損ねることでもしちゃった?

 気をつけていたつもりだったけど――。

 おばあさんのほうも楽しそうにしてたと思ったけど――。

 じつは、京都の人が「お茶漬けでもいかがですか?」って長居をすすめつつ、「まだ居座るのかよ、早く帰れよ」って、裏では不機嫌になってるやつと同じ部類だったんだろうか。


「いやいや、逆だよ。おれとしたことが、うっかりしていた」


 天狗さんは腕組みをして、ため息をついた。


「うちのおばあちゃん、気に入ったお客を閉じこめる癖があるんだよ。最高のおもてなしだと信じているみたいで」


 気に入ったお客を閉じこめる、癖?

 最高のおもてなしだと信じている?


「癖? それ、癖っていうんですか?」


 さっぱり意味がわからないんですが。


 天狗さんに出会ってから、すでに二週間。

 ふしぎな人だなぁと思っていたけれど――。

 この人がふしぎなんじゃなくて、もしかして、一族みんながふしぎなのか?


 庶民とお金持ちだから、常識が違うのか?

 それとも、やっぱり宇宙につれてこられてしまったのか?

 ここは宇宙なのか?


 いや、でも、地球だよ。


「天狗さんのお家って、どうなってるんですか……」

「ザシキワラシみたいに、お客様には家の中に長く留まって欲しい、っていう意味なのかなぁ。精一杯おもてなししたいらしいよ。――まあ、落ち着きなさい、鏡さん。開かずの間といっても、完全に閉じ込められたわけでもないよ。あそこの戸は開くようになっている」


 天狗さんは木戸の下のほうを指した。

 よく見れば、分厚い木戸の下のほうには引き戸がついていた。

 とはいえ、A4サイズくらいだ。

 小さな子どもでもくぐり抜けるのは難しそう。


「あの隙間じゃ、脱出できないじゃないですか」

「ここに閉じこめられている人に食事を届けるための隙間らしいんだよ。そして、おれたちはスマートフォンも持っている」


 天狗さんは、ジーンズのポケットからスマートフォンを取りだした。


「開かずの間だろうが、Wi-Fiは自在に通れるからな。あの隙間があれば、宅配ピザの受け取りもできるだろう」

「いえ、ピザが食べたいわけじゃ……」


 ええと、論点がずれています。


「まあ、こうなってしまったら、おばあちゃんが気を変えないかぎり外から開くことはないだろうし、諦めてくつろごう」

「――諦めきれませんが」

「あと数時間もすれば母さんや姉も帰ってくるから。そうしたら開けてもらおう」

「あの、念のため聞いておきますが、お母さんやお姉さんにはお客さんを閉じこめる癖はないですね?」

「そのはずだな」

「じゃあ――」


 仕方なく、テーブルにつくことにした。

 畳の上に座ろうとすると、「はい」と座布団を足元に置かれる。


「あ、どうも」


 座布団はふかふかしていて、クッションとまではいかなくても、やわらかく脚を包んでくれた。

 ふしぎな人だけど、天狗さんはやっぱりお金持ちの御曹司で、紳士なんだろうなぁ。

 座布団を提供する心遣いとか、さしだす時のスマートな仕草にも、生まれ育ちがでている気がする。

 品がいいし、気も利く人だ。


「お茶でも飲もうか」


 さっそく天狗さんは、テーブルの上にあった急須に茶葉を入れはじめる。

 ポットからお湯をそそぎ、熱い煎茶を出してくれた。


「すみません」

「お菓子もあるね。どうぞ、鏡さん」


 さあ食べてくださいといわんばかりに盛られた菓子器も、すっと差し出される。

 個装になったおせんべいやクッキーが山盛りになっていた。

 自分では買わないゼリービーンズや、飴や、ちょっとレトロなお菓子もあった。


「お気遣いすみません。どれを食べようかなぁ~」


 選びはじめて、ふと気づいた。

 このお菓子もお茶も、なぜここにあるんだ?


「あの、どうしてお菓子もお茶も用意されてるんですか。おかしくないですか?」


 気に入った客を閉じこめるのに使う部屋だろうが、準備が整いすぎてないか?

 お邪魔したのはついさっきなのに。


 天狗さんは思いだし笑いをした。


「おばあちゃん、倉の手伝いをしにきてくれている人がいるって話した時から、会うのを楽しみにしていたからなぁ。鏡さんを閉じこめる気満々だったのかな。そういや最近、やたらいきいきとしてたな。ごはんの量も増えてたし、朝から準備してたのかなぁ」


 あのですね――。


「おばあさんが健康なのはたいへんいいことだと思うんですが。お孫さんの知人を閉じこめるのが生き甲斐みたいになってるのは、どうかと思いますよ? ――ええと、こっちはなんでしょう?」


 テーブルの上には、漆塗りの文箱も置かれていた。

 蓋を開けると、中には、直筆の手紙が。


  このたびは我が家におとずれてくださり

  まことにありがとうございました。

  ごゆるりとおくつろぎください。


 丁寧に筆で書かれていて、しかも、達筆。

 老舗の温泉旅館のおもてなしのような心温まるメッセージ――ではあるが。


「ありがたいけど、ずれてます……」

「おばあちゃんなりのおもてなしなんだよ。ほらほら、娯楽もあるよ」


 手紙の下には、手づくりのおもちゃもあった。

 プレゼントみたいに和紙でくるまれた包みが二つあって、それぞれに、こちらも達筆でこう書いてある。


  ●おくつろぎセット① 謎解き! 脱出できるかな? 宝探し体験

  ●おくつろぎセット② ハラハラドキドキ! 朝までコックリさん


「昭和感がすごい……」


 すべて手作り。

 天狗さんのおばあちゃんが、一生懸命趣向をこらして考えてくださったらしい、っていうのは、伝わってくるんだけど――。

 せっかく用意してくださったことを考えると、大変心苦しいけど――。


 心を鬼にしてはっきりいうと、現代っ子がそそられる内容じゃなかった。

 だいいち、閉じこめられてるわけだし。

 閉じこめておいて、「さあ、これでくつろいでください」っていう態度をとられても、「できるかよ!?」としか思えないでしょ?


「天狗さん、お母さんかお姉さんに連絡できないですか? おばあさんを説得してもらえないでしょうか」


 尋ねたけれど、振り向いた天狗さんは、目をきらきらさせていた。


「え、なに? どっちも面白そうだ。なあ、鏡さん。どっちにする? どっちがやりたい?」


 天狗さんの手には、おばあさん手作りの、おくつろぎセット。


「あのですね――」


 あのおばあさんもおばあさんだけど、孫も孫だ。

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