第39節 -二人の為に鐘は鳴る-

 英国での任務を終えたマークתはジェイソンの希望通り、その地で出会った少女、アルビジアを伴ってセントラルへと帰投することになる。

 大西洋方面司令に籍を置き、機構を統括する総監レオナルド・ヴァレンティーノは彼女を機構の隊員として採用することに迷いを見せなかった。

 マークתから報告として上げられた内容通りに、彼女の類まれなる自然に対する知識や特別な感受性、さらにイベリスと同じ意味での “特別” な側面が備わっていると確認するとすぐに機構の隊員として採用したのだ。

 能力を見込まれたアルビジアはルーカス付きの准尉補佐官-階級としては三等隊員とほぼ同等で准尉見習いというものである-として登録され、翌5月にはマークתへ正式に配属されることになった。

 今回の英国調査とは別行動となっていたマークתのもう一人のメンバーであるフロリアンはドイツでの任務から帰投後にアルビジアと出会うこととなるが、彼女とイベリスが同郷であると知ると納得した様子を見せてすぐに打ち解けた。

 こうして心強い新たな仲間を得たマークתは次なる任務に備えて日々を過ごすこととなる。


 一方、セルフェイス財団は支部で起きた事件の2か月後である6月に新型薬品CGP637-GG グリーンゴッドの試験運用を完全に停止するに至った。

 およそ1年間に渡る管理区域での試験運用の中止と共に、これに合わせて世界中で進行中であったグリーンゴッドを用いた自然再生計画も永続的に凍結されることとなった。

 この件については機構が英国政府に対して勧告した疑義において、グリーンゴッドの持つ重大な副作用の懸念が認められたことが大きい。

 4月以後に機構から報告されたデータによって自然環境に与える重大な悪影響は当初の想像を遥かに超えるものであることが発覚。この情報は国際連盟を通じて全世界へ共有され、薬品のもつ危険性が改善されるまでの間はいかなる理由をもってしても使用することが禁じられることが決定された。

 また、財団当主であるラーニーが最も危惧していた自然再生計画凍結による多額の損害賠償や責任追及の法的措置などは一切行われることは無かった。

 それは今回の一件において疑義の声を最初に上げた機構が “ある理由” を持って用意周到な政治的根回しを行った結果である。

 財団側が薬品の危険性に気付いていたにも関わらず計画を進行させようとしたという “事実” は伏せられ、機構が薬品の危険性に気付き強制調査権を発令した日以降、指摘を受けたセルフェイス財団の全面的な協力をもって当該薬品の副作用の可能性を改めて確認したと公式に発表されたのだ。

 機構が危惧したのは、そもそも事の発端においてセルフェイス財団にグリーンゴッドを持ち込んだ少女、アンジェリカの存在である。

 元々、彼女は財団が凋落する様子を見ることを第一の目的として掲げていた。つまり、ここで財団の根幹を揺るがすような事態を作れば彼女の思うツボということになる。そもそも、なぜ彼女が財団を解体にまで追い込むような策を講じたのかが分からない。

 このままセルフェイス財団という巨大組織の影響力や権威が地に失墜することで “別の問題” が生じる可能性も排除できない。

 さらに財団側からグリーンゴッドのサンプル供与を受け解析した結果において、機構の科学力をもってしても薬品の厳密な構造解析は不可能であった。

 それだけの代物を生み出し財団の凋落を狙ったアンジェリカという少女の目論見に乗る行いは危険であるという判断に加えて、そもそも財団も彼女の被害者であるということから機構はそのような立場をとることを決めた。

 その代わり、今回の件で機構はセルフェイス財団との間に強い繋がりを構築することに成功し、以後は彼らの強力なバックアップを受けることが可能となったのであった。



 そして西暦2037年7月

 イングランド南東部でセルフェイス財団、世界特殊事象研究機構、そしてアルビジアという少女を交えた一連の事件が終息を迎えて3か月の時が経過した。


 夏の輝かしい日差しが降り注ぐ大西洋の海原。

 その中心に浮かぶ機構の大西洋方面司令 セントラル1 -マルクトにある日、一通の招待状が送付された。

 差出人はラーニー・セルフェイス、シャーロット・セルフェイスの連名であり、玲那斗とイベリスに宛てられたものである。

 届けられた招待状の封書を開けて内容を確認した玲那斗とイベリスは互いの顔を見合わせて笑う。招待状の内容に特に目を輝かせたのはイベリスだった。

 そして、招待に応じることに決めると善は急げとばかりにすぐに休暇申請を出して2人揃って英国へと飛んだ。


 そう。喜びを隠しきれずに飛びだった2人の目的は “結婚式への参加” である。


                 * * *


 雲の隙間から光が差す。天使のはしごが幾重にも地上へかけられた夏の午後、玲那斗とイベリスは3か月ぶりにイングランド南東部のライにあるセルフェイス財団支部へ訪れていた。


 ラーニーとシャーロットが結婚する。その便りを受け取った2人はすぐに式への参加を返信。そして式が挙げられる日に合わせてセントラルから渡英し、今日という晴れの日に再びこの場所へ訪れたのだ。

 本来、巨万の富と名誉を授かっているセルフェイス財団当主の結婚式ともなれば派手で豪華な式を催しそうなものだが、ラーニーとシャーロットは親しい間柄の限られた人々にのみ招待状を送り、慎まやかな結婚式を開催することを選んだらしい。


 この日、玲那斗とイベリスは式の前に新郎新婦であるラーニーとシャーロットに挨拶をすることが出来た。現地に到着した玲那斗とイベリスを受付で待ち構えていたサミュエルが、2人の姿を見つけるとすぐにラーニーとシャーロットの元へ案内したのだ。

 どうやら本人達の希望で玲那斗達が訪れる時をサミュエルは待っていたらしい。

 案内された先でラーニーとシャーロットと会った玲那斗とイベリスは、以前この場所で起きた事件を感じさせることのない和やかな雰囲気で互いの再会を喜び合った。

 特にシャーロットは、お祝いの言葉を言ったイベリスを笑顔で抱き締めて再会を喜んだ後に当時の非礼などを改めて謝罪し、式に参加してくれたことを心から感謝した。

 それと同時に、シャーロットは挙式が終わった後のブーケトスでは極力自分に近い位置にいて欲しいとイベリスにお願いしたのであった。


 そして今。支部内の特設会場にて荘厳な雰囲気で行われた挙式はつい先程終了し、これから庭園中央に位置する〈祝福された三方〉を模した噴水前で新婦によるブーケトスが行われる予定となっている。

 この地の平均気温より5度以上も外気温が上昇したこの日は、日向に立っていると汗ばむ陽気であったが、相変わらずの美しい自然に囲まれた財団支部の庭園では幾分か涼しく感じられる。

 イベリスはシャーロットにお願いされた通り、極力噴水近くの場所に玲那斗と一緒に立っていた。

「もうすぐかしら?」そわそわした様子でイベリスが言う。

「丁度今来たみたいだ。」

 玲那斗がそう言いながら視線を向けた先にはラーニーとシャーロットが並んで歩く姿があった。

 2人はとても幸せそうな表情を浮かべてこの日専用に装飾された支部の玄関から伸びるカーペットの上をゆっくりと歩いてくる。周囲の来客は2人を万雷の拍手で迎えた。

「綺麗ね…」純白のドレスを着たシャーロットの姿を目にし、うっとりとした表情で拍手をしながらイベリスは言った。

 そんな彼女の横顔を眺めながら玲那斗は言う。「あぁ、綺麗だ。」

 そしてラーニーとシャーロットが噴水前の特設舞台に上がると、その日の司会を担当していた財団の職員が言った。

「それでは、これより新婦シャーロット様によるブーケトスを行います!」


 司会の言葉を合図にシャーロットはくるりと後ろを振り返り観客へ背を向ける。

 この時、イベリスは彼女が振り返る瞬間に少しだけ自分の位置を確認し、目配せをして微笑んだような気がしていた。

 そしてシャーロットは手に持っていたブーケを後ろの観客に向かって投げる。

 綺麗な放物線を描いたブーケはイベリスのすぐ近くに落ちそうな気配だ。

 どうして良いか一瞬考えたイベリスだったが、ブーケの落ちそうな場所を見取った玲那斗が軽く肩を叩いたことですぐに少し前に歩み出てブーケを手に取ったのだった。


 出来レースではあるが、シャーロットはこのブーケをどうやらイベリスに受け取ってほしかったらしい。玲那斗は確信めいたものを感じ取っていた。

 舞台の上から拍手を送っているシャーロットの安堵したような穏やかな笑顔を見ればそれは一目瞭然だ。周囲の来客も事前にそのことを知っていたのか、ブーケを手に取ったイベリスに笑顔で拍手を送っている。

「良かったな。」玲那斗は嬉しそうな笑みを浮かべて喜ぶ彼女へ言う。

 すると彼女はリナリア公国で使われていた言語を用いてこう言った。

「玲那斗、ブーケトスの意味を教えて頂戴。」

 その言葉に玲那斗は一瞬硬直したが、すぐに〈なるほど〉と思った。


 そうだった。現代におけるブーケトスの意味を彼女はまだ知らないのだ。


 内包するレナトの魂があるからだろう。リナリアの言語を完璧に理解できる玲那斗は、彼女にしか分からないように同じくリナリアの言語を用いて言った。

「幸せのおすそ分けさ。ブーケを受け取った女性は次の花嫁になると言われているんだ。」

 玲那斗は14世紀頃にこの国で発祥したと言われるイベントの意味を彼女へ伝える。

 その言葉を聞いたイベリスは口元に手を当てると、先程よりもさらに嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 そして少しだけ目を潤ませながらシャーロットの方を向き手を振って応えたのだった。


 レナトとの結婚が約束されたイベリスは西暦1035年、その婚姻を果たすことなくこの世を一度去った身だ。

 そんな彼女にとって〈次の幸福を貴女に〉というシャーロットのメッセージはとても心に響いたのだろう。

 シャーロットがそのことを知るはずはない。しかし、1人の人として互いの幸せを思い願うという気持ちが2人の間にほんの小さな奇跡を起こした。


 庭園には幸福の到来を告げる鐘の音が鳴り響く。

 地獄のような経験を経て天上の薔薇を手にした新緑の革命者は、こうして新たなる道行きをこの世で最も愛する人と歩み出すこととなった。



 尚この日、イベリスは一番最初にこの地を訪れた時からずっと心残りにしていたことを解消することも出来た。

 それは “風が吹くとふわふわと揺れる柔らかそうな緑の壁に触れること”。

 式が終わった後で『何か希望があれば遠慮なく言って欲しい』と言ってくれたシャーロットに頼み、快く承諾をもらった彼女は数か月の時を経てそれを実現したのだった。



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