空席の椅子

米田竜一

第1話 allegro

構内は人通りが多い割に静かだ。もう5月の連休明けだというのに未だに新入生を勧誘しているサークルがちらほら。新入生といってもその年齢層は実に幅広い。国が生涯学習を推進し、社会人になってからでも学び直す人々が増え、多様なジェネレーションがひしめき合っている。

とはいえ、新入生の半数は俺と同じく高校を卒業したてのやつが多いけど。


イーサンとは入学式前の交流会で出会ったロックドラムを叩ける貴重な人材だ。歳は自分よりかなり上だと思うけどまだ正確な年齢は聞いていない。

聞く必要がないから聞かない。俺にとって重要なのは彼がドラマーであること。

イーサンにも自分にも言えることだけど、今の時代楽器を演奏する人はどんどん減ってきている。まして電子クリックを使わない生のビートでロックを演るなんてのは21世紀初頭にちょんまげで刀振り回しているようなもの、というのはちょっと言い過ぎたかな。


「イーサン、そっちの準備はオッケー?」

「こっちは大丈夫。計画通りカナタのピアノからセッティングしよう」

スネアをチューニングしながら少し高ぶった声でイーサンが応える。


オートリフターを運転しながらパレットの上に楽器と一緒に乗っているイーサンに気を払いつつ、構内の道を慎重に進む。

大学の正門をまっすぐ行ったところに半円形にくり抜かれた舞台がある。

半円のすり鉢状の舞台までは階段兼観客席が取り囲み数人の学部生が談笑をしている。

舞台の近くの木陰にオートリフターを停車して俺とイーサンはピアノを運び出す。

化学繊維でできた人工筋肉を備えたパワードウェアを着込んでいるので楽に運搬ができる。舞台上手にピアノをセッティングし瞬く間にドラムセットを舞台中央にセッティング。


数人の学部生が何か始まるのかと訝しんだ目でこちらを見ている。さらに何人かは端末で大学のイベントスケジュールをチェックし始めている。時間がない。だが幸いまだ守衛はこちらの動向に気がついていないようだ。


「イーサン、あまり時間はない、やれて多分3曲くらいかな。でもここまできたら焦らずじっくり音楽を楽しもう」


「オーケー、それじゃ一つ盛大にやろうか」


ピアノから始まるイントロ。メインのテーマを2オクターブ高いところで弾く。4小節後ドラムが入り同じテーマを今度は中音域で奏でる。

展開部で対位法的な旋律の掛け合いが交差し中世のクラシック音楽を匂わせつつも、ドラムの猛烈なビートが楽曲を前に押し進め古臭さを感じさせないように工夫してある。


本当ならバンドサウンドがやりたかった。

悲鳴のように唸るエレキギターにシャープで図太いベース。

全身を掻き毟るような扇情的なボーカルに荒々しくもタイトなドラムス。

だけど現状メンバーは俺とイーサン二人だけだし俺のギターの腕もまだ発展途上で人前で演奏できるレベルにはない。

苦肉の策で編み出したピアノとドラムによるゲリラライブだったけどオーディエンスの反応はまずまずといったところだ。続々と半円形舞台を取り囲むように人だかりが出来始めている。


4曲目の途中で騒ぎを聞きつけた守衛がこちらにやってきた。

まあ予定通り、むしろここまで演奏できたのはラッキーかな。

「今日はここまでだな」

俺とイーサンは目配せして楽器の撤収にかかる。

ほどなくして守衛に学生IDを提示させられ俺たち二人は学務室に呼ばれたのは言うまでもない。


だけどこの時蒔いた種が数日後にちゃんと芽吹いて俺たち5人を引き合わせ、ミレニアム音楽同好会を結成する事になるんだからやっぱり行動こそ正義なんだよね。



「なに今の。無許可であんなもの持ち込んでわざわざパフォーマンスとか、どんだけ承認欲求強いんだよ。ってミーア、あんたまんざらでもなさそうだね。相変わらず年代物のカメラなんてぶら下げちゃって」

舞台に降りていく階段の最上段で、カメラを握った水原ミーアは今しがたファインダーに収めた彼方たちの写真を眺めている。黒の跳ねっけのあるショートヘアーに細めのチノパンとTシャツ。マニッシュと言うよりボーイッシュで少しあどけなさが残る目鼻立ち。


「うん、なんか新鮮じゃない?もっとこう原始的な衝動に駆られているっていうか。あと生の楽器の響き?それも生身の人間が出すあの感じとか」

15歳の誕生日の夜にパパに連れていってもらったジャズの生演奏が聞けるレストラン。

期待して行ってみたら演奏していたのはAIが制御しているヒューマノイドだった。20-21世紀に活躍した有名なジャズプレイヤーの膨大なデータを学習したヒューマノイドの演奏は限りなく人間の演奏に近いんだけど、どこまで行っても交わらない人間とAIの平行線のようなものを感じさせた。円の正方形化のような不毛な作業。


そして今耳にした彼方たちの演奏は感情の高ぶりが自然に演奏に現れていて、聞いているとこちらまでその熱量が伝わってくる人間らしい演奏だったんだな。


「あ、これじゃない?今学内の掲示板にさっきの人たちの動画が上がってるよ。なんかサークルだか同好会だかを作るからメンバー募集してるらしいよ」

端末を操作しながらクラスメートの紗希が動画のリンクを飛ばしてくれた。

動画を見ながらミーアはぽつり

「虎穴に入らずんば孤児を得ずって誰の名言だっけ?」



ゲリラライブから2日後の金曜日の昼休み。

俺とイーサンはまだ立ち上がってもいない同好会の暫定的な溜まり場として、大学構内の最も北側に位置する研究棟の休憩スペースを勝手に占拠していた。


「やっぱりこの動画、惹きが弱いよねぇ」

休憩スペースのソファに座りながらぼやくイーサン。動画は同好会のメンバー募集のために製作した1分弱のもの。スタジオで撮った演奏風景がシャッフルされ、あい間あい間に今の時代にロックすることの難しさとやりがいが黒地に白のテロップで差し挟まれるドキュメンタリー風に仕上がっている。


「編集したのはクラウドAIサービスのキャスパーだからな。俺は素材を投げただけだ、文句はキャスパーに言ってくれ」


「ドキュメンタリー風にしろって依頼を出したのは彼方だろ?やっぱり2000年代のミュージックヴィデオ風に仕上げた方が直感的に訴えるものがあるんじゃないかな?」


「今のご時世に『あ!2000年代のMV風でカッコイイ!』って言ってホイホイやってくる奴がいるか?いいかイーサン、俺たちはそもそも啓蒙をしていかなければいけないんだ。それも単なる懐古主義に陥らず、反骨精神の本質を正しく行動に示さなければならないんだよ。ベーシックインカムとAIによる自動資産運用サービスで寝ぼけた老人たちに冷や水をぶっかけるべくロックしなければならない。Don't trust over thirtyage的な」


「っておい、ロックに年齢は関係ないだろ。だいたい平均寿命が100歳を超えた今の時代と60歳くらいで老人扱いされてた昔とじゃ訳が違う」


「俺が言ってるのはあくまで精神論的な意味で」


などと二人でやりあっていたら新入生らしき人物が会話に割って入ってきた。


「あの、すみません。ミレニアム音楽研究会の方ですよね?」


「君、もしかして入会希望?」


色白で淡白な目鼻立ちにおそらく地毛であろう金色の髪。男にしては丸みのある頬を少し紅潮させながら、線の細い肩にかけたギターケースを下ろして喋り出す。


「羽山彼方さんですよね!?キャンパスアリーナでの演奏見てました。あれオリジナルですか?凄い格好よかったです!なんていうか、自分の語彙力ではうまく表現できないんですが初期衝動みたいなのがよく出ていて見ていて興奮しました!それで学内の掲示板に上がってたお二人の動画を見て ”バンドやってるんだ” ってなって、あ、自分ベース弾くんです」


一息に言い終えると置いていたケースからベースを取り出してストラップを肩にかける。手の位置や適度な脱力からしておそらく楽器経験者だとわかる。

俺は顔のニヤつきを堪えつつ同好会のリーダーたる品格を失わないように心がけて話す。


「嬉しいな、早速同志に会えるなんて。改めて自己紹介させてもらうよ。俺は羽山彼方。今年入学したばかりの1年です。キャンパスアリーナでのライブではピアノを弾いてたけど今ギターを練習していて、いずれギター&ヴォーカルでバンドがやりたいと思ってます。そしてこっちのおっさんがイーサン、ドラムを叩かされてるよ」


「おい、彼方!年上なんだからもっと気を遣えよ!あと君はテンションが上がると軽口になるな。あー、改めて、イーサン・ファインです。彼方と同じ1年だけど社会人枠で入ってるから年はちょっと上かな。彼方とは入学前のオリエンテーションで出会ってお互いに楽器をやっているっていうんで意気投合してね。専攻は経済学」


「その情報いらなくない?もっとこうさぁ、尊敬するドラマーとか、、」


と、これ以上イーサンに絡んでいる場合ではない。

俺は空気を読みつつベースを構えた入部希望者の方を向く。


「お二人とも仲がいいんですね。いいなぁ。僕はテオ・ミルズと言います。情報工学部の2年なんですけどあまり仲の良い友達がいなくて。ロックが好きな人も周りにあまりいなくて、大学入ったらバンドをやろうと思っていたんですけど何も行動に移せないまま1年過ぎちゃって」

侘しさと焦燥が同居したような複雑な微笑みを湛えてベースを爪弾く。


「まだ1年が過ぎただけじゃないですか!大丈夫です、これからよろしくお願いします」


握手を求めようかと思ったけど初対面でお互いにまだ壁があるのを感じて少し躊躇った。


「ところでテオさんは好きなバンドいる?the fijianとか聞く?前世紀だったらHero Sunとかも俺的には外せないんだよね」


「わかります!僕もfijian好きですよ!1stと2ndは傑作中の傑作ですよね!MVもかっこいいんですよ。あれベースのスパイクがディレクションしているんですよね。あ、そういえば」


好きなバンドの話で盛り上がりかけたところに水を差して申し訳なさそうな苦笑を浮かべて、テオは先ほど自分が通ってきた通路の方を指差した。


「実は入部希望の子がもう一人いて、途中まで一緒に歩いてきたんですけど話しかけづらいから先に行って様子見て来てって言われてそのまま放置して来ちゃったんですけど、あ、あそこの自販機に背をもたれかけている女の子です」


緑のパーカーにぶら下げたカメラをいじりつこちらの様子を窺いつつ、少し小柄な女の子がそこに立っていた。テオがこちらに来るように手招きをする。

それに応じて女の子は俯き加減にこちらにやって来た。


「こんにちは、君も入会希望?」


女の子とまともに話すのが久しぶりで声が浮ついてしまった。動揺をなるべく表情に出さないように努めながら話しかける。


「はい!この間の無許可ライブみて凄いなぁって感動しちゃいました。生演奏を初めて見てあんなに生き生きとしてて迫力があるのって凄いなぁって。あのっ、楽器って難しいですか?実は私楽器は何も経験なくて音楽もそんなに詳しくないんですけど、、だから教えて欲しくて」


俺は反射的に一瞬戸惑ったような表情を出してしまった、ようだ。

というのも相手の子の表情がちょっと曇って寂しそうな線を描いていたから。

自分のこういうところが本当に嫌になる。すなわち人間関係を構築していく中で、その人間が利用価値のある人間かどうかで態度が変わってしまう自分本位なこの性格。

慌てて取り繕うとしかけた次の瞬間、目の前の女の子は先ほど一瞬見せた寂しそうな表情を一蹴してさらにアグレッシブに畳み掛けてきた。


「演奏では役に立たないかもだけど私映像作れるんです!専攻も先端映像メディア学科でMVとか動画編集もお茶の子さいさい?なんです。絶対役に立ちますから!」



そこから怒涛の勢いで彼女のプレゼンが始まった。

俺たちが見せられたのは彼女が過去に作った映像作品とよくできた3Dポートフォリオだった。映像作品は3分くらいのショートフィルムから、彼女の好きなバンドの好きな曲に勝手に映像を付け足した二次創作MVや、VJソフトを駆使して作られた幾何的な模様の映像群。

でも俺が一番引き寄せられたのは一枚の写真だった。

それは古風なマンションの屋上と思しきところ、中央には空席の椅子、椅子の上には花束が手向けられその足元にはアコースティックギターが横たわっている寂しげな一枚だ。背景の奥には青空を背に錆びた鉄塔が細くそそり立っている。


「ねえ、この写真って何処で撮ったの?」

イーサンとテオにプレゼンを続けている彼女に割り入って俺は質問した。

彼女は目を輝かせながらこちらににじり寄って丁寧に解説しだした。


「嬉しい。それ、私のお気に入りなんです。おじいちゃんから譲って貰った年代物のアナログカメラで撮ったやつで、場所はおじいちゃん家のマンションの屋上だったんですけど老朽化が進んでて去年取り壊しになっちゃったんです。だからもうその場所は存在しないんです。でも取り壊され、存在しなくなることでかえって私の中でその場所の存在が大きくなっていって、なんだかそれがすごく不思議だなぁって」


「ああ、なるほど。その感覚分かるな。自分の見てきたものが確実に過去のものになり分解され散り散りになる。記憶の中には確かにあるんだけど他の記憶とも混濁して本当にそこに何があったのか、どんな音がしてどんな匂いだったかどんどん「本当」から遠ざかっていく感じ」


「やっぱり君面白いね。そういう「感覚」好きだな。あ、名乗るの忘れてた。私水原ミーアって言います。今年入学した1年です。みんなからミーアって言われてます。君、羽山彼方くんだよね?カナタって呼んでいい?」


「なかなかアグレッシブでいいね。気に入ったよ。じゃあ俺もミーアって呼ばせてもらうよ。改めて、こっちの少し老け顔でドラムを叩いていたのがイーサン。そして今日入会してくれた金髪のイケメンベーシストのテオさん」


「イケメンって、久しぶりに聞いたよ。あと俺もテオでいいよ」


少しはにかんだような笑いを見せてテオが言う。


「俺のこともイーサンって呼んでくれていいから。あとさ、もう4限の授業始まってるよね」


その一言で皆一斉にそれぞれの講義に散った。すぐの再会を誓って。

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