盤上の神域

萩月絵理華

プロローグ

【開会式・神が待つ盤上のはずれで】

「さ、ゲームマスターよ。“魔法の世界のゲーム”……かぎとなる駒の配置と新たな盤上の整備、全て完了いたしました。いつでも始められますよ」

 そう言って、高級ホテルのドアマンのような格好をした男が、車椅子に座る人間に腰を折る。

此度こたびは駒をそうとっかえしたわけですが。誰が最初にこのゲームをクリアしますかねえ。うっぷっぷっぷっぷ」

 ドアマンの男が、鼻の下のひげを触りながら言う。一度聞いたら耳にこびりつく、特徴的な笑い方である。

 男が話しかけているのは、車椅子に座る小柄な人間である。いや、「それ」を人間と呼んでよいものか。

 そこに座っていたのは、人の形をした黒い影だった。ジジジ……とその姿にはノイズがかかっており、体と顔の表面には黒い砂嵐のようなものが渦巻うずまいている。その人影の顔に鼻や口もなければ、体の起伏きふくさえもない。例えるならば、黒色のマネキン人形が車椅子に座っていた。

「このゲームは三度目ですからね。個人的な意見を言えば、そろそろ誰かがクリアしてほしいところですが」

 と、違う人物が言った。右目にモノクルをつけ、燕尾服えんびふくのようなものを着た長身の男である。風貌ふうぼうからしてどこかの執事にも見える。

 三人がいるそこは、暗いホールのような場所だった。まわりにはぽつりぽつりと照明が置かれ、畑仕事をする人間や、楽しそうに食卓を囲む家族の映像が壁に映し出されている。

「うっぷっぷっぷ。我々は盤上に置かれた透明な駒。展開されるゲームに私情しじょうはさんではいけないのでは? ユースフェルト」

 ひげを触りながら、ドアマンの男が言った。

「……そうですねジーニー。つい心の声がれてしまいました。フ、フ、フ」

 ユースフェルトと呼ばれた燕尾服の男は、肩を揺らして小さく笑う。

「では、ワタクシも心の声を漏らすついでに。

 ワタクシも個人的に言えば、今までで一番面白かったのは『“うそ虚構きょこう”のゲームマスター』スカーレット様の“嘘と虚構のゲーム”ですかねえ。そのゲームではワタクシ『目撃者もくげきしゃ』の駒でしたが、あの盤上は駒としても実に面白かったですう。嘘つきだらけのゲームでしたねえ。

 あとは……ペルドット様の“圧倒的喜劇のゲーム”ですかね。あのゲームも大変すばらしかったですねえ。コメディと馬鹿馬鹿しさが合わさったゲームというか……ペルドット様の自己満足というか……いやいや! ゲームマスターが広げる展開に文句を言うつもりはありませんがねっ!

 あ、もちろん。三度目となる今回の“魔法の世界のゲーム”も大好きですよおう。どのような展開になるのか期待しておりますう。うっぷっぷっぷっぷ」

「ゲームマスター:スカーレット様のゲームは『嘘と虚構』がうずまくミステリーですからね。ジーニーは『目撃者』の役でしたが……フ、フ、フ。“虚言きょげんの”『目撃者』でしょう? わたくしは“自称・正直者”の『証言者』の駒でしたね。フ、フ、フ、フ、フ」

 燕尾服の男が、また肩を揺らして笑う。

 その時。キイ、と車椅子が軋む音がした。二人は雑談をやめ、そちらに顔を向ける。車椅子に座る人影が、近くにあるテーブルに右手を伸ばしていた。長く、細い人影のその指にはにごった灰色をした戦車の駒が握られている。

 人影はそれを、テーブルの上にあるチェス盤の右端にコトリと置いた。

「ほおう。ワタクシはそこですか。では、お先に行ってまいりますう」

 ドアマンの男は車椅子の人影に一礼すると、煙となってその場から姿を消した。

 テーブルの上のチェス盤の真ん中には、七つほどの駒が集まっていた。そのすべては歩兵だが、色が黒と白以外に染められている。

 ある歩兵は金色こんじき。また別の歩兵は深い紫色。また別の歩兵は血のような鮮やかな赤で、また違う歩兵は透明に近い純白。あい色やすみれいろ炎色ほのおいろの歩兵もいる。

 そして盤のはずれにはノイズが走る黒い王の駒と、透明な戦車の駒が一つある。先程置いた戦車の駒の横には、すでにやみいろの女王が置かれていた。

 チェスというていではいるが、駒の色や配置などはお構いなしのようだった。

 車椅子の人影は、ジジ、とノイズがはしる体を背もたれに預ける。それと同時、暗かったホールが一瞬にして景色を変えた。頭上には満天の星空が広がり、巨大な天体てんたい望遠鏡ぼうえんきょうがある部屋へと。

「……では、わたくしも盤上に行ってまいります。また後程のちほど。『“魔法の世界”のゲームマスター』よ」

 燕尾服の男はそう言うと、優雅に一礼して体を蒸気じょうきに変える。そのままどこかへと消え去っていった。

 巨大な天体望遠鏡がある部屋に、車椅子に座る人影だけが残される。その姿が、ジジジ……とぶれる。

 テーブルの上に置かれたチェス盤の真ん中……集まる歩兵たちの近くに、下から生えるようにして蒸気が吹きだした。その中から、透明な戦車の駒が現れる。

 その瞬間。七つの歩兵たちはまるで会話をしているかのように動き始めた。

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