【決意の心、今を生きる死人たち】

【決意の心、今を生きる死人たち】①

「お待たせ。じゃ、行こうか」

 自室である206号室の扉を閉めた要が、小夜に言う。二人は横に並んで、二号棟の出入り口へと向かう。

 咲子がいる三号棟を出たあと、要が銃と荷物を置きたいと言ったため、彼の部屋がある二号棟に寄り道してきたところであった。

 空に昇る太陽は真上に差し掛かっている。もうそろそろ昼になるというところだろう。スマートフォンの充電が切れた要と小夜には、今の正確な時間は分からない。

 太陽が昇っている時間帯とはいえ、隔離棟には危険な能力者たちがたくさんいる。そのため、要は小夜が受付に行くまでの付き添いだ。

「……」

 二号棟を出た二人は、会話もなく横に並んで歩いている。要は左にいる小夜を見ながら、人差し指でぽりぽりと頬を掻く。小夜に銃を向け、怒鳴った身の要としては、小夜と二人きりになって少し気まずいのだ。

「……咲子さんに、なに貰ったの?」

 沈黙に耐え切れず、要が切り出した。

「これです」

 と、小夜はポケットからマッチ箱を取り出して見せた。そこには『喫茶 砂時計』と書かれている。

「お店の名前ですかね。素敵ですね」

「そうだね」

 要は頷く。

「中も綺麗でしたし、コーヒーが美味しかったのでまた行きたいですね」

「そうだね……」

 それには要も微妙な表情だ。確かにあの店のコーヒーは絶品ぜっぴんだが、そこにいる『魔女』のことを考えると多少複雑な気持ちになる。また「賭け」に誘われたらと考えると、どうにも足が向かない場所だ。

「……あのお店、今はどうなっているんですかね」

 マッチ箱をポケットにしまって、小夜が言った。歩きながら要が返す。

「こっちの世界で、ってことだよね。咲子さんがいないから……もうなくなっちゃってるんじゃないかな。調べてみようか?」

「できるんですか?」

「まあ、それぐらいならすぐにできるし……」

 と言った要は口を閉じ、少し静かになった。対価を集中させて、あの店がどうなったか調べているのだろう。

 この男が自主的に口を閉じ、静かになったところを見るのは先月以来かもしれないと、小夜はふと思った。もしかしたらおしゃべりなところも『京谷要』というキャラクターに合わせているのかもしれない。

「……うん。残念ながら、あの店は駐車場になってるね。あの周辺で残ってるのは、商店街と百貨店ぐらいだよ」

 と、数秒ののち、要が対価で調べた結果を報告した。

「そうですか……。じゃあもう、あの店はあの場所にしかないんですね」

「あの場所にしかない、って言うのも変な言い方だけどね。あそこにあるのが当たり前だよ。あの世界にあの店があるのは、当たり前のことなんだから」

 要の言葉に、小夜は思い返す。あの店があるのはどういう場所か。要の言う通り、あの店があそこにあるのは当然だろう。あの世界は「過去」でできているのだから。

「そうですね……」

 そう言ったきり、二人の会話はそこで終わった。

 二人は隔離棟と組合を繋ぐ通路に入り、まっすぐに受付へと向かっていく。

「……」

 会話がなくなり、また要は気まずくなる。左側にいる小夜越しに芝生しばふの庭を見たりして、ぽりぽりと頬を掻く。

「と、ところでさ。その髪、本当にどうしたの? 気分転換にしては大胆だいたん過ぎると思うんだけど……」

 ぎこちなく要が切り出した。

「だから、なんでもないですってば。しつこいですよ」

 不機嫌さが混じった声で小夜は答える。二号棟に入った時にもそう聞かれたので、小夜は少し苛つき始めている。

「そんなに気になるなら私の頭の中を覗いてみればいいじゃないですか。できるんでしょう?」

「そりゃ、まぁ、できるけどさ……」

 頬を掻きながら要が言った。

「なんですか。もしかして今さら、『勝手に頭の中を覗くのはどうだろう……』なんて思ってるんですか」

「ん……。そう、かな……」

 小夜が、心底理解できないという風に眉をしかめた。

「あなたにもそういう感情があったんですね」

「……あのさあ、本当に僕のことどんな人間だと思ってたの? 僕だってそれなりの良心りょうしんはあるよ」

「そうですか。ただのウソツキだと思ってましたよ」

「うーん……。否定できない自分がいるのが悲しいな……」

 要が困った顔で笑う。

 二人が通路の半分ほどを過ぎた時。

「あれえ」

 前から一人の人物がぶらりぶらりと歩いてきた。二人は足を止める。

「お前ら何してんの、こんな所で二人そろって」

 二人の前で立ち止まったのは、異能力事件専門捜査室の室長、泉小路照良である。小夜の父親であり、小夜の直属ちょくぞくの上司だ。

「……なんだその顔は」

 照良は驚いたように少し目を開いて、痛々しく腫れあがった小夜の顔を見た。小夜の髪はうなじのあたりまで短くなっていてぼさぼさで、着ているスーツもところどころが破けている。

 照良は小夜の顔を指さし、要に一言だけこう聞いた。

「……もしかして、殴った?」

 要はすぐに、千切ちぎれんばかりに首を横に振って否定する。

「本当に?」

 照良が確認するようにもう一度聞く。要は何度も首を縦に振る。

「ちょ、ちょっと待ってください室長。この怪我は彼がやったものではありません」

 と、要をかばうようにして小夜が前に出た。

「これは私が自分で選んだことの結果です。彼は関係ありません」

 小夜は強い眼差しで照良を見る。

「……ふうん。なんでもいいが、それ、冷やしとけよ。あとが残るぞ」

 ひとまず照良は納得したようだった。要はほっと息を吐く。

「で、一週間も何やってたのかなあ。連絡よこさねえし、どころか連絡もつかねえし。もも激怒げきどしてるぞ」

『桃太』というのは桃太郎のあだ名だ。照良は彼をそう呼ぶ。

 と、小夜は照良に聞き返した。

「一週間……? 室長、今日って七月十七日じゃないんですか?」

「何言ってんだ? それは先週。今日はほら、お前が出て行った日からちょうど一週間だ」

 照良が、自分のスマートフォンの画面を小夜に見せる。ディスプレイに映るのは、初期設定のままの壁紙と『7月24日』の日付。小夜の顔から、さあっと血の気が引いていく。

 隔離棟303号室に入った日から、本当に一週間が経過していた。

 それもそのはずである。咲子のいる世界は小夜たちがいる世界から四十年前の昭和五十六年だ。その時点で向こう側とこちら側には大きなズレがある。いくら向こうの世界で数分や数時間を過ごそうが、こちらの世界と同じ時間が過ぎるとは限らない。

「それで、どこ行ってたんだよ」

 スマートフォンをしまいながら、照良が聞いた。小夜は正直に答える。

「……隔離棟の303号室です」

「あっそ。あそこから、よく一週間で帰ってこられたなあ」

 照良は笑いながら言う。馬鹿にしているような軽さを、言葉に含んでいた。

「ん」

 と、照良はひらいた左手を小夜の前に出した。

「いろいろ盗んでいっただろ。さっさと出せ」

「……」

 小夜は素直に上着のポケットから上司のIDカードを取り出し、照良の手の上に置く。

「銃と弾もだ。あのあと大騒ぎだったんだからな」

「……すみませんでした」

 小夜は言いながら、ホルスターに入れていた銃を抜いて逆に向け、照良の手の上に置いた。

「おい、弾はどうした。一発だけ持って行っただろ?」

「それは撃ちました」

「ほお。撃てたのか。どうだった?」

「……特にこれといって、思うものはありませんでした。あまりいい気分ではないですね……」

「そうか」

 正直に答えると、照良はそれだけ言った。

「あと、カナメくんも」

 照良が要を見る。

「君も俺に渡す物、あるんじゃないかなあ」

「……」

 要も素直に、ズボンのポケットから青色のUSBメモリを取り出して照良の手の上に置く。

「うん。素直でよろしい」

 照良は満足げにそう言うと、USBメモリを上着の内ポケットに入れる。小夜が持っていた銃は、脇に提げているホルスターにしまった。

「俺の机ぶっこわしたことは、もういいわ」

 照良が、小夜を見る。そしてにこにこしながらこう付け加える。

「お前クビ。明日から来なくていいぞ」

 そしてさらにこう付け加えた。

「家にも帰ってこなくていいぞ。組合の紹介状ぐらいは書いてやるから、そこで頑張れ。じゃあな」

 そのまま小夜の横を通って、歩き去ろうとする。

「……」

 自分が何かするべきかと、要は歩き去って行く照良の姿と、横にいる小夜を交互に見ている。

 小夜は包帯まみれの拳をぎゅっと握ると、

「……待ってください、室長!」

 と、振り向いて照良を引き止めた。照良は足を止め、首だけを小夜のほうに向ける。口に火のついていない煙草を一本くわえていた。

「何が『室長』だ。俺がお前の上司なのは終わった。二度とそれを口にすんじゃねえ」

「いえ。まだ、その関係は終わっていません」

 小夜は、照良のほうへと歩み寄りながら言った。立ち止まり、上司を見上げる。照良も体を小夜に向け、小夜を見下ろす。

「私は捜査官を辞めるつもりも、クビになるつもりもありません。……お父さん」

「それを言うんじゃねえ。今の俺は『室長』だ。言ってみろ」

 火をつけた煙草を吸って、口から煙を吐く。「上司」の顔を崩さない父を見つめて、小夜は言った。

「私を現場に出してください。室長」

 小夜の眼には決然けつぜんとした感情がはっきりと浮かんでいる。少なくとも突発的な言葉ではないことを、照良はその目から感じ取る。

「……」

 照良は煙草を吸った。長い時間をかけ、口から白い煙を吐き出す。小夜の向こうで突っ立っている『うそき』を見やると、小夜の目を見て、一言だけこう問いかけた。

「できるのか?」

 それは様々さまざまな意味を含んだ一言だった。それに小夜は、

「はい」

 と、強く頷いた。

 それが嘘や誤魔化しではないことを、照良は見抜いている。

「今までよりらくじゃねえぞ。辞めたいって言っても今度こそ辞められないが、いいのか?」

「はい」

 小夜は頷く。その目はぶれていない。ぶれず、固く、揺らいでいない。確かな決意と意思を、はっきりとその目に浮かばせている。

「一瞬でも迷ってみろ。容赦ようしゃなく撃ち殺すからな」

「はい。それで構いません」

 小夜の目は、照良をまっすぐに見つめ返している。

「いいのか? お前が死にかけてるその時、俺はお前じゃなくて、他の奴を選ぶかもしれねえぞ」

「構いません。覚悟はできています」

 小夜の目は一切ぶれていない。その奥にはっきりとした覚悟が浮かんでいることを、照良は感じ取る。

 そのことにほんの一瞬照良は、ふ、とかすかに笑みを浮かばせた。普段本音を掴ませない「上司」の顔から、娘の成長を認める父の顔を照良は一瞬だけ浮かばせた。

「何があったか知らんが、いいになったじゃねえか」

 照良は右手を伸ばすと、小夜の頭をがしがし撫でた。突然のことに、「部下」として張り詰めていた小夜の顔と雰囲気ががれかける。

「あの部屋で、なんかあったか?」

「おとう……室長や流鏑馬君の言っていたことが、やっと分かっただけです。それだけです」

「ふん。そうかよ」

 照良は小夜の頭から手をのける。興味なさげな返答だが、その顔はどこか嬉しそうだ。

「じゃ、明日からきりきり働けよ。期待してるぜ」

 それはどちらの意味だろうか。「親」としての期待か、それとも「部下」としてこれからの仕事っぷりに期待しているということだろうか。父を見上げながら、小夜は思った。

「今日はもういい。明日からさっそく、現場の捜査官として面談の続きに混ざってもらおうかなあ。遅刻なんかしたら……今度こそクビにするからな」

「はい。ありがとうございます」

 上司の顔に戻った父に、小夜は頷く。

「あと、めちゃくちゃ怒ってるから桃太には謝っとけよ。現場に出ることになったって、お前の口から言っとけ。あいつ、今日はいねえから明日の朝にでもな」

「はい……」

 あの冷徹な先輩と顔を合わせるのは、正直なところ気が乗らない。303号室に行く前にも心にぐさぐさと刺さる言葉をたくさん言われたのだ。私も現場の捜査官になったといったら、あの先輩はなんと言ってくるのだろう。

 だが自分も組織の一員となっている以上、上司の言う通り自分の口から先輩にその報告はしておかなければならない。

「あ、それと。昇級しょうきゅうしておめでとうと言いたいところだが、もう一つ」

 と、照良が満面の笑みで言った。小夜はなんだかいやな予感がした。

「なあなあでませておとがめなしってのもまわりによろしくない。ってことで今回も勝手な行動したから、しばらく減給げんきゅうな。四週間は休みがないと思えよ」

 小夜は上司のその言葉に、絶句して固まる。

「じゃ、そんな感じで明日からよろしくう」

 固まっている小夜に背を向け、照良は隔離棟のほうへぶらりぶらりと歩いて行った。


「僕はここまでかな。ほら、今日は外出許可証も事前じぜんに出してないし。脱走あつかいになっちゃうから」

 照良と別れて少し歩いた二人は、受付がある待合室と隔離棟を繋ぐ自動扉の前で足を止めていた。

「脱走扱いになるって……。先月は堂々どうどうと脱走しようとしていたじゃないですか」

「それはだって……ギリギリだったから」

「だからって脱走する人がいますか」

「仕方ないじゃん。外出許可の申請出しても二週間とかかかっちゃうんだよ。そんなの待てないよ」

「……急いでなかったら、許可が下りるまでちゃんと待つんですか?」

「うん。そりゃもちろん」

「信じられません……」

 小夜は額を押さえ、心底から信じられないとばかりに首を横に振った。要はそんな小夜を見ながら苦笑する。

「まあそれはいいです。外に出る用事があるのなら、受付で許可を取ってきましょうか? 当日でも私と一緒なら外出できるでしょう?」

「うーん……そうだねえ。東條さんの所は今日じゃなくて明日にでも顔出せばいいし……どうしようかな」

 要はもしゃもしゃと頭を掻く。

「じゃあ、一緒にごはんでもどうかな? 先月のことと今回のこともあるし、そのおびってことで僕がご馳走ちそうするよ。小夜ちゃんはお財布持ってこなくていいからね」

「持ってくるも何も……中身からっぽなんですけどね」

「うん。知ってる。アカリ君にお金全部あげたんでしょ? よくやるよ」

 そういえば咲子さんの世界でそんなことを言っていたなと、小夜は思った。どうやらこの男に隠し事などは本当に無意味なようだ。

「……一応聞きますが、ご馳走するっていう言葉、信じてもいいんですよね?」

「どう思う? ほら、僕ってウソツキだからさ」

 要は意地悪いじわるな笑みを浮かべてそう言った。小夜は前にもそう言われたことを思い出し、小さくため息をついた。

「……じゃあ受付で許可もらってきますから、待っていてください。くれぐれも脱走しないように」

「分かった。前みたいに、この施設からは脱走しないようにするね。僕も携帯充電してるから、部屋に取りに行ってくる。またあとでね」

 要が言い、小夜はそのまま分厚い自動扉をくぐる。小夜の背中を見送ってから、要も来た道を戻っていく。二人はここで一旦別れた。

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