第7話 人工知能、心配する

 部屋まで辿り着くと、アイナがぺこりと浅く頭を下げ、去ろうとする。

 

「それじゃ、今日採ってきた山菜で夕食作ってきます。少々お待ち……を?」


 一瞬、掌と掌が密着する音がした。

 クオリアがアイナの掌を掴んでいる。

 

「その選択は誤っている。料理よりも、自身の修復行為を優先するべきだ」


 視線は、アイナの腹部に移っていた。

 先程アロウズに殴打された箇所だ。

 アイナも察すると、何でもない事のようにはにかむ。


「だ、大丈夫です……見ての通り、元気ですよ」

「否定。あなたの動きの規則性に、微細ながら乱れが生じている。それらは腹部の損傷から由来するものと思われる」


 既にアイナの一挙一動をラーニングしてしまっていた。

 故に、体を庇った無理のある挙動に反応してしまった。

 人工知能時代には無かった筈の、配慮である。


「料理は自分クオリアが代替する。あなたは腹部が修復されるまで休息行為を取るべきだ」

「……ありがとうございます。でも、今日のクオリア様の御働きを見て、私ももっと頑張らなきゃって思えました」


 しかしクオリアは、僅かに表情を曇らせていた。

 諦めきれないような、そんな子供みたいな顔だった。


「説明を要請する。あなたのダメージを修復するために、自分クオリアに出来る事はあるか」

「……クオリア様、お時間を少しだけ頂いてよろしいですか?」


 アイナがそう言うと、クオリアと共に部屋の中に入る。

 廊下との境界線を隔てる扉が閉まる。空間には二人きり。

 

「生き物の体は、全てとは言えないですけど、生きている限りは時間が癒してくれます」

「状況理解」

「だから、これくらいの怪我なら時間が癒やしてくれます」


 でも、とアイナは続ける。

 

「死んでしまったら、人は元に戻れません。殺された側も、殺した側も。それが命です」

「説明を要請する。“殺した側”に分類される存在に、どのような害があるのか」


 かつて、数多の人工知能を殺した側に属していた破壊兵器――人型自律戦闘用アンドロイド“シャットダウン”だったクオリアにとっては、理解できない内容だった。

 殺された側は、以降、永遠に機能を停止する悪影響があるのは分かる。

 だが、人工知能を“殺した”時に、悪影響を受けた経験はなかった。


「最初に人を殺すと、ずっと眠れなくなります。それに慣れると、心が死んでしまいます」

「心」


 前世で、クオリアに発生した唯一の問いバグ

 その主人公たる心の登場に、クオリアの思考回路が一瞬停止する。


「心は、死という概念を持っているのか」

「はい。心が死ぬと、痛みの概念が分からなくなって……いっぱい、人を傷つけます。誰が死のうとも、自分が生きていく為なら……なんだってやるようになります」

「状況、不明瞭……」


 “まるで心の死を知っているようなアイナ”の言葉を、全て理解しきれないクオリア。

 何故、人は他者を破壊すると眠れなくなるのか。

 何故、心は人殺しになる事で死んでしまうのか。

 何故、矜持を忘れ去った無秩序な化物になってしまうのか。

 小さな疑念がぐるぐる回っている間に、クオリアの僅かな混乱を理解したのか、アイナがクオリアの掌を握る。

 

 そして真っすぐに、眼を見てくる。


「勿論、自分が殺されそうになった時にまで不殺なんて、そんな綺麗事を言うつもりはありません……ただ、不要な殺生はおやめください。そして、自分を殺す事も、です」


 クオリアは視線を逸らして、回答する。


「提案を受諾する」

「よかった」


 花のように咲いた笑顔が、またクオリアの前を塞いだ。

 再び視線を逸らす。逸らしてしまう。理由は分からない。

 胸の熱に晒されたような感覚を、この笑顔から取得してしまう。

 

「しかし脅威があなたを攻撃した際、排除も選択肢に含む可能性はある」

「仕方ない時もあると思います……それなら、私も危険は冒さないように気を付けますね」


 アイナも少しだけ顔を赤らめながら、更に笑みを深める。

 

「先程は、本当にありがとうございました。私が今こうしていられるのも、クオリア様が私を守ってくださったお陰です」

「……“どう、いたし、まして”」


 学びたての言葉を応用すると、袖で笑顔を隠すアイナ。

 猫のような耳も少しだけぴくぴく動く。

 少女の笑窪を見つめるクオリアはふと、こんな事を言うのだった。


「……“美味しい”」

「美味しい?」

「あなたのその顔が、自分クオリアの味覚で検知した訳ではないのに、視覚から“美味しい”を検出した」 

「えっ、と……」


 戸惑うアイナを見つめながら、クオリアの脳内は既に未来の懸念を見ていた。

 この世界には、脅威に分類される存在が多い。

 ビックボアやアロウズよりも上位の脅威個体が出現した場合、クオリア単体のスペックでは対処不可能と予測されていた。

 その為に、情報が必要だった。


 アイナの“美味しい顔笑顔”を奪う可能性を、排除する為に仕入れるべき情報を検索する。


 一つだけ、未知の情報が引っかかった。


「一つ、説明を要請する」

「なんでしょう」

「“魔術”の説明を要請する」

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