2-4

 テーブルに並んだ料理から、しばらく目が離せなかった。湯気の立ったご飯に味噌汁、焼き魚に、ほうれん草の和え物。漬物まで付いている。

「毒なんか入ってないって」向かいの席で、ルカ先輩がむくれた。

「これ、全部先輩が一人で?」

「あり物だけどね。まあ、座りなよ」

 わたしは先輩の向かいに腰を下ろす。二人で箸をとり、夕食が始まる。

「先輩の手料理を食べる日が来るなんて」

「あたしを何だと思ってる」

 味噌汁を啜ってみる。

「ちゃんと味噌汁の味がする」

「失礼な独白が漏れてるぞ」

「まさか嫁入り修行じゃないですよね?」

「暇なんだよ、一人で海を漂ってるのは。ろくに仕事もないし、話し相手はイルカだけだから、新しい趣味でも見つけたくなる」

「それで料理ですか」

「他には釣りとバードウォッチングを始めた」

「楽隠居みたいですね」

 これが先輩の求めた生活なのかと、ふと思う。ダイバーになる道を捨ててまで、軍に入った理由なのか、と。

 先輩は、どうして軍になんか入ったんですか?

 どうして、わたしの前から急にいなくなったんですか?

 本人に会ったら、直接訊きたいと思っていた問いだった。だが、いざこうして相対してみると、言葉は喉につかえて出てこなかった。そうなるようにわたしの喉を締め付けているのは、わたし自身だった。

「そういえば」自分をなだめるために、わたしは言った。「さっき、外でイルカを見ましたよ」

「へえ」

「船の近くを飛び跳ねてて。あれって、おととい逃げ出したっていう一頭じゃないんですかね」

「そうかもしれないね」

「呼んだら戻ってくるかも」

「うん」

「先輩?」なにか、会話の手応えのようなものが感じられなかった。

 先輩が箸を止めた。それから、テーブルに目を落としたまま言った。

「あの子はさ、人間を恨んでるんだよ」

「人間を、恨む」

「あの水槽、見たでしょ」

 わたしは船底に並んだシリンダーたちを思い出す。空の一本は、内側に小さくヒビが走っていた。

「あそこにあった傷は、あの子が頭突きした痕だよ。あんまり激しかったから、仕方なく海へ離したんだ。他の子たちへの感情の逆流も心配だったし」

「原因は何だったんですか?」

「さあね」ルカ先輩は肩を竦める。「言語化されてない、怒りの感情だけが〈ドリトル〉越しに伝わってきた。危うく脳が黒焦げになるかと思ったよ」

 先輩は箸を持った手でこめかみを叩き、小さく笑った。わたしは笑えなかった。

「やっぱり軍に報告した方がいいんじゃないですか?」

「そうなんだけどね」彼女は持っていた茶碗を置いた。「でも、そうすると他の子たちもどうなるかわからない。同じ環境にいたからって、処分されないとも限らない」

 たしかに、その可能性は大いにある。同じ工場で作られた車に欠陥が見つかれば回収されるのと同じ道理だ。軍にとって武装イルカはそういう位置づけなのだ。

「だからさ、もう少し待ってみたいんだよ。あたしの方でも、色々と理由を探っているところでさ」

 同じ部屋で暮らしていても滅多に聞けなかった先輩のしおらしい声に、わたしは頷いた。

「何か手伝えることはありますか?」

「大丈夫。自分の問題は自分でなんとかする。ナギにはナギの仕事があるでしょう」

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