イルカの火

佐藤ムニエル

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 風が出てきた。嵐が近いのだろう。天気図を調べると、船の針路に当たることはなさそうだが、揺れは覚悟が必要なようだ。

『大丈夫。外に出なければ海に落ちることはないさ』頭の中にクラウスの、変声前の少年の声が響く。

「もしかして、慰めてくれてる?」

『そのつもりだけど』

 わたしは肩をすぼめる。それから、

「到着まであとどれくらい?」

『このまま順調にいけば三十分で到着だよ』

「わかった。ブリーフィング資料を出して。着く前にもう一度読みたい」

『了解』

 視界にPDFが現れる。

『今時、律儀にPDFで資料を作るなんて、さすがはお役所だよね』

「自分だって官製のくせに。パッチを当てて」

 偽装解除パッチにより、表紙に書かれた〈第六七回 海底資源調査シンポジウム〉が別の意味を持ち出す。文字はそのままだが、わたしは〈作戦要綱〉の意味で認識する。

 ページを、レベル2の速度で捲っていく。全体の概略と目的がわかればいい。

「クラウス」

『何だい、ナギ?』

「つくづく、わたしはこの任務に不向きだと思わない?」

『カナヅチの君が、どうして基地船なんかに派遣されるかということ?』

「茶化さないで」

『〈くだん〉が出した結果だからね』と、クラウスは言った。〈件〉は本部の戦術策定AIだ。『僕たちには考えも及ばない事情があるんじゃないかな』

 十二時間前、司令部に呼び出された時のことが思い出される。薄暗い作戦室には、わたしの直属の上司が座っていた。

 わたしは、彼の口から発せられた言葉を上手く処理できずにいた。

「端的に言えば、ルカ・イヌイは反乱を企てていることになる」

 噛み砕いた、というより虚飾を外したような言葉になっても、意味を解するまで時間が掛かった。理解するのを拒否していたのだと、今になってみるとわかる。

「彼女が乗り組む基地船のサーバに、不可解なスタンドアロン領域が確認された」

「お言葉ですが」と、わたしは前置きし、「プライベートデータの可能性はありませんでしょうか」

「それにしては容量が異常だ。個人の記録の域を遙かに超えている」

「しかし、不明領域が存在するからといって、すぐに反乱に結びつけるのは……」

「〈件〉の出したリスク判定はAだ」

 五段階あるうちの二番目。限りなく黒に近いグレーと見なされているということだ。最も高いS判定では、有無を言わさずに浄化部隊が出動し、対象を制圧する。

「基地船のAIから収集したデータに基づいた結果だ。最終的な判断は実地で情報を収集した上で行うことになる。だからこそ君の調査が必要なんだ」

「わたしを選出したのも、〈件〉ですか」

 上司は頷いた。

「君は彼女とは長い付き合いだそうだな?」

「彼女は養成学校時代の先輩です」それから少し迷ったが、おそらく知られていると思い付け足した。「寮では二年間、同室でした」

「近しい間柄というわけだ」

「手心を加える可能性は加味されているのでしょうか」

「その辺、〈件〉は抜かりないはずだ」上司は言った。「実際のところ、彼女とはどれだけ親しかった?」

 言葉に詰まった。客観的プロフィールならいざ知らず、内面的な部分までデータがあるのだろうかと考える。脳スキャン時に取られた可能性も否定はできない。

 ややあってから、わたしは答えた。

「同居人として、一般的な間柄だったのではないかと思います」

 上司はまた、頷いた。

「なら問題はないだろう。対象を警戒させないという意味でも、君はこの任務に最適だ」

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