5.帰還

「やだ、クサナギったら油まみれじゃない。帰ったら一緒にお風呂にはいろーねー」

「て、てめぇ卑怯だぞ!! 誰のおかげでロケットが止まったと思ってんだよ!」

「あたしがあそこまで運んだからでしょ!!」

「うっせーぞ! 俺の話の間中、泣きながらヤメテェ、ヤメテェって命乞いしてたくせによ!」

「現実を改変してんじゃないわよ、このホラ吹きAIが! このこのこのこのっ!!」

「だーーーっ! 土を巻きあげんな!! 泥のひと粒に何億個の細菌がいると思ってんだ!」

「おまえらいい加減にしろーっ!!」

 怒りに震えるおとうさん――鯨岡の怒声でようやくツカサとクサナギの口喧嘩も休戦となった。ロケットがスタンバイ用のタワーに戻り、ヘンリーが迎えに行ってからずっとこの調子だったので、周囲も呆れてどう声をかけていいかわからなかった。

「無事に作戦も完了して、生きて戻ってきたってのに――なんで俺が声を張り上げないといかんのだ!」

 ツカサとクサナギはロケットの管制棟近くまで戻ってきた。すでに人質は解放されて、海と空から手近な病院へと運ばれている。運良く死傷者はいないということだった。その人たちの運送のため、マクレアンとコフォーズはすでに島から去っていた。

 ツカサは未だ怒りが収まらず、ぷいとそっぽを向いてふてくされた。

「糸居紘太は一命をとりとめたぞ」

 鯨岡は囁くようにそう告げた。

 ツカサはその瞬間、自分が立っている場所が間違いなく現実で、そして今までの出来事が全て本当にあったことなのだと改めて認識した。

「だが薬物依存が治ることはない。これからあいつに待っているのは死ぬまで続く闘病の日々だ……」

 骨と皮だけのようになってしまった紘太の顔が、苦く冷たい味とともにツカサの脳裏によみがえる。

 テロを未然に防ぎ、こうして再び地面を踏みしめられたというのに、まったく勝利の実感がないのは、彼と一緒に東京に戻れないからに他ならなかった。

「ごめんなさい……」

 ツカサはふざけたことを率直に詫びた。クサナギに、じゃなくて鯨岡にだったけれど。

「おいスケート靴」

 唐突に鯨岡が言った。

「なんだよ昭和ロボット声野郎」

 深刻な気持ちが若干和らぐ。昭和を生きていないツカサでも、それはけっこう的確な表現に思えた。

「俺をここに呼んだのはおまえだな」

「なんのことだよ」

 クサナギは彼をからかうようにひらひらと靴紐を泳がせる。

「エルトン・ジョンの『ロケットマン』だ。あの着信音を鳴らしたのはおまえだろ。おまけに串本の天気予報なんかで釣りやがって。悪趣味だ!」

「だから、なんのことだって言ってんだよ。第一オレがおまえら呼びつけてなんの得がある?」

 ツカサは自分の足元を見つめた。

「あんたがオジラのこと呼んでくれたの?」

「なんだかんだ言って、ツカサちゃんのこと心配だったんですね」

「うっせーぞ、ツルッパゲ! お、オレの計画に必要だっただけだ。誰がこんなケツデカ女!」

「……」

 最後の悪口は置いといて、ツカサはなんとなくクサナギの思いやりみたいなものを感じることができた。なんだかんだ言って、彼の協力がなければとてもこんなところまで自分が来ることはできなかっただろう。そしてあんな姿の紘太と会うこともなかった。

 この冒険に無駄なことなどひとつもなかったとツカサは思う。ロケットの中での経験すら、自分を強くしてくれたと感じることができる。

 口には出さなかったけれど、ツカサはクサナギとの絆を再確認していた。それにあのときの言葉――ひとつだけ確かめたかったことがある。

「ツカサを護ることができたことには感謝している。それに免じて、今回だけはおまえの確保と処分に猶予を与える。その代わりツカサ、このスケート靴の面倒はおまえが見ろ」

「へ?」

「なんでそんなに上から目線なんだよロボット野郎」

「黙れ。貴様が粗大ゴミか燃えないゴミかがわからんだけだ」

 そう言い捨てると、鯨岡はきびすを返した。隣に立っていた白蛇が、うやうやしく手を差し伸べる。

「さあ、私たちは船で帰りましょうか。港まで案内しますよ」

 ツカサは一度振り向いて、樹々の上から突き出したロケットの先端を見つめた。あの中で脂汗を垂らしてテンキーを押してから、まだ五分と経っていないのが不思議だった。

 港に向かう道中で、ツカサはそっとクサナギに訊いた。

「ホントに悪戯いたずらだったの?」

『なにがだ』

 内緒声だったので、クサナギは骨伝導で応えた。そういえば、それに伴う痒みにはすっかり慣れてしまっていた。

「ニンゲン・カンサツ……のこと。どこまでが本当だったのかな、って」

 クサナギは、ツカサにはわからない言葉を使って説明をした。自分をからかうつもりなら、あんなに細かくディープな内容をひたすら語る必要があったのだろうか、と彼女は気になっていたのだ。

 もしかしたら本当に――。

『本当ならなんなんだよ。オレの中に〈クシナダ〉がいて、どこかで人間を滅ぼそうと機会をうかがってるんじゃないかってか? かもしれねーなー。おまえら気をつけろよ』

「もしそれが本当ならさ、人間はまだ、AIにとって必要だってこと?」

『……』

 クサナギはしばらく押し黙った。それはツカサにとって新鮮な沈黙だった。

『ニンゲン、じゃなくておまえが、かもな』

「は?」

 聞こえなかったわけじゃないが、脳が突っぱねるほどに意外な言葉なのでツカサはつい聞き返してしまった。

『だとしてもおまえは止めたじゃねーか。どっちにしてもこんなつまんねー計画じゃオレの自尊心が満足しねーよ』

 ――止めた、あたしが?

 とするとあのとき打ち込んだパスワードは正しいものだったということだろうか。

 あのパスワードが偽物で、たとえそれがただのゲームだったとしても、自分はそれに勝ったのかもしれない。クサナギの言葉が本当なのかすべてが嘘なのか、一部分だけが真実なのか、それもわからない。

「それならそれで、ちゃんと説明……」

『あー、しつけーな!! おまえら人間にAIの気持ちなんかわかんねーよ!』

 ――AIの気持ち……。

 ツカサはそれについて考えるのをやめた。オジラ、白蛇、そして紘太。自分に誰の気持ちがわかったというのだろう。そして誰の気持ちを理解するにも自分は若く、未熟すぎたと言わざるを得ない。クサナギの気持ちだってそうだ。そしてすべての人の気持ちを完璧に知って自分のものにすることなんて不可能なのだ。

 だから人はより関わろうとする。言葉や行動で、なんとかその気持ちを知ろうとする。

 自分も必死で行動した。そして少しだけ〝前〟に進んだのだと思う。だから、自分はここにいて、少しは晴れ渡った気持ちで夕暮れの空を見つめている。

 こうしてツカサの短くも長い二日間の冒険は終わりを告げた。

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