3.納豆

 和歌山県串本町田原地区――。

 道中かなり飛ばしたつもりだが、ツカサがそこに着く頃には、太陽は真ん中より少し西に傾いていた。昼過ぎのいちばん気温が高い時間だ。

 そこは静かな漁師町だったが、さすがに昼過ぎなると市場も閉まっていてほとんど人がいなかった。逆に言えば、多少おかしな人物がいても気づかない可能性は高い。しかもクサナギによればロケットの発射場は〈龍浪島たつなみじま〉と呼ばれる離島にあり、そこに渡るための橋はない。さすがの〈リニミュー〉でも海を渡ることは不可能だった。

「船を探さなきゃな」

 ツカサはがらんとした波止場を滑走して、やはり人気のない海水浴場にやってきた。その近くにはハーバーがあり、レジャー用のボートやヨットが多く泊まっているのだが、シーズンにはやや早いためやっぱり人影は見当たらなかった。

「パクリ放題だな。どれにする?」

 クサナギにはまるで罪悪感が感じられない。ツカサは、呆れながらも釘を刺した。

「黙って盗んだら泥棒でしょ。なんとかして借りないと。どっかの漁師さんにお願いするとか……」

 そう言って辺りを見渡すのだが、本当に誰もいない。多摩地区とはいえ東京で育ったツカサにとって、人間がいない空間というのが不思議でしょうがなかった。夜の長野の山奥と同じような不気味さを感じる。

「おまえがそう言うだろうと思ってだな、手頃な船をチャーターしておいた」

「そう言ってあんたは、またなんかネットをいじくったんでしょ」

「人聞きが悪いことを言うなよ。いじくったのは事実だけどな、これを聞けばおまえだって納得するぜ」

「んじゃ、念のため聞くよ」

 ツカサはクサナギの指示に従ってヨットハーバーを奥に進んだ。櫛状に伸びた桟橋の一角に、きらきらと陽光をはじく純白の船が浮かんでいた。マストはないので、大型のボート、小型のクルーザーといった感じの高級そうな船舶だった。船首にはローマ字で〈MITSUKUNI〉とある。どっかで聞いたことがあるような名前だった。

「これのこと? こんなすごいの借りれるわけないじゃん。銀行の口座とかを操作したんじゃないでしょうね! そういうことしたら絶交だって――」

 するとクサナギは靴紐をぴんと伸ばした。

「まぁ聞けよ。この船の持ち主は、水戸の納豆王子と呼ばれる年商一五〇億のすっごい兄ちゃんだ。その王子が、今年の正月に『ハッピーな夢をリツイートしてクルーザーに乗ろう』っていうお年玉キャンペーンを催した」

 ツカサはポンと手を叩いた。

「あ、それ聞いたことある。なんか日本の記録になるくらいのリツイートが来たってニュースでやってた!」

「こいつはその景品のクルーザーだ。まぁ、一日貸し切れる権利がもらえるだけなんだけどな」

「確か一〇組くらい選ばれたんだっけ」

「ああ。なんだかんだで宣伝効果を狙ったあざといキャンペーンだ。とにもかくにも、そのうちの可哀想なひと組が、いつのまにか俺たちにすり替わってるってわけだ。オレは当選者に送られた起動キーのパスワードを入手した。まったくもって金銭の授受はない!」

 ツカサは今度こそ呆れてものが言えなかった。

「……なんでそんなに自信満々なのよ。なりすましは立派な犯罪でしょ」

「あのな、ただでもえらえるもんがなくなったって、なんの損もないんだよ! 宝くじの当選金がなくなったら大騒ぎだろうが、『遊園地の一万人目の入場者なのにセレモニーがない!』って騒ぐやつはいねーだろ。そういうことだ」

 ツカサにはその理屈がまったくわからなかった。確かに、テロリストの魔の手から同級生を助けるという大義の前には、これくらいいっか……と思わなくもないが。

「じゃ、駄目押し。その納豆王子なんだけどな、巨額の脱税がバレて来月パクられる」

「はいぃ?」

 ツカサは素っ頓狂な声を出した。

「税務署の特捜班がマークしてんだよ。そういう情報もオレはゲットしてんの。で、このクルーザーのキャンペーンもどさくさに紛れてお蔵入り。どうせ誰も乗れねーの!」

「……じゃ、いっか」

 この世には、悪いことに使われるお金が山ほどある。ネカフェでクサナギが言っていたことをツカサは思い出した。テロリストたちだって無料ただでテロは起こせない。彼らを支援し、お金を与えている強大な悪人がこの世界のどこかにいるのだ。

 それを阻止するために、脱税という犯罪を犯した者の船を使うことに問題はない。いや、厳密には問題大ありなのだが、それはそれでツカサは自分を納得させることにした。

「問題は誰が操縦するか……だよね、やっぱり」

 クサナギは笑い声を出した。相変わらず気に障るキンキン声で。

「そこも見事にクリアしてるのが、オレ様のすごいところなんだよな。この船にはな、素人でも貸し切りパーティーができるように、AI搭載の自動航行システムがついてんだよ。こんな家畜同然のクソAI、オレ様が脅せば一発よ」

 なんだか完全にチンピラ口調になっていた。

「AIって、要はあんたの仲間でしょ。よくそんなひどいこと言えるね……」

「っざけんなよ。こんなスピーカーの成れの果てみたいなAIとオレを一緒にすんじゃねーよ! 良貨は悪貨を駆逐する。この世界のすべての人工知能は、より優れたオレ様に従う運命にあるのだ!!」

 ツカサは、今度スマホのAIがとちっても笑って許してあげようと思った。こいつに比べたらはるかに健気でかわいげがある。

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