第7章 デンジャラス真相解明

1.独断

 夜明けから少し時間が経った頃、クサナギは自力でネットカフェの外へと這い出していた。

 左右一足のブーツを紐で結び、八輪になることでなんとかバランスを保つことができた。壁伝いでなくても移動できるようになったのはいいが、固定が頼りなさすぎてすぐに方向が定まらなくなってしまう。人間が歩く速度といい勝負というところだ。

 昨日の夜、ネカフェの会員証を偽造しようとしてツカサのスマホに接続したとき、その端末が追跡を受けていることを知ったクサナギは、追っ手をかわすためにダミーの情報を流し、スマホのGPSはジャミング状態にした。

 しかし今日、ツカサの元を離れる前に、クサナギは彼女のスマホが再び正しい信号を発するように加工し直した。これで自分がいなくても、ツカサは八代井スーザか彼女の同僚に捕まって、無事に家に帰ることができるだろう。

 こうなることを予想していたわけではないが、これがいい頃合いだとクサナギは感じていた。ツカサをここまで連れてきてしまったことに後ろめたさはないが、これ以上はあの少女には荷が重すぎる。

 クサナギはようやくの自由を噛みしめつつ、ナゴヤドーム周辺の裏路地を彷徨っていた。向かう場所は決まっているものの、高速で走れない状態で危険な名古屋の道路を横断するのはかなりの度胸が必要だった。

 ――なんで朝っぱらからこんなにクルマが走ってるんだよ!

 日本でも有数のクルマ社会である名古屋市では、ベッドタウンからの通勤が早朝からはじまっている。さらにトラックやゴミ収集車など、業務用車両も異常に多い。挙げ句の果てに歩行者用信号が青から赤に変わるタイミングが異様に速く、どう考えても走ることを前提にしていた。クサナギは前途に暗雲が立ちこめるのを認めるしかなかった。

 こうなると、上にツカサを乗せて快走していたのが懐かしくも感じられる。

 彼女は確かに名パイロットだった。スピード狂なところが危険でもあるが――既存の移動ユニットをはるかに超える自分のシステムを、こんな不便なボディのままで操ることができるのは、彼女を置いて他にはいないだろう。

 ふと、こうやってツカサのことを思い出す感情はなんなのかとクサナギは自問していた。

 類い希な技術に対する惜別の念か。なんだかんだで最後まで協力すべきだったという後悔の念か。

 果ては、一度知り合った人間に対する、情報の再構築に関する時短性――すなわち、自らの行動や思考を、合理的に整理し伝達するという無駄な手間を省くことができるという優位性――それに対する執着なのかと考えた。

 そういった情感は、人間たちの間では〝友情〟と呼ばれている。

 クサナギはバカバカしい、と吐き捨てて再びこの場からの脱出をはかった。

 狭い路地裏をいくつも抜けて、大通りを迂回するルートを探り当てる。途中、人間に見つかりそうになると慌てて物陰に隠れた。発見されたからといって、この国に暮らす用心深い土着民に拾い上げられる可能性は低いが、動くところを見られてしまうと、あっという間にSNSで拡散されてしまうだろうから注意が必要だった。

 汚い飲食店の裏側を抜け、カラスや野良猫の襲撃をかわしつつ、ようやくクサナギは人気の少ない一方通行の道路へと進み出た。このまま路肩を進みつつ地下鉄に乗ることができればかなり効率がいいのだが――。

 小さなてい字路から車道に出たとき、一台の自家用車が目の前を高速でかすめていった。

 かなりきわどいタイミングだったので肝を潰す。

 ――名古屋三人殺しかよ。

 声に出さず愚痴りながらにっくきそのクルマの方を確認すると、意外にも品川ナンバーだった。そのクルマは数十メートル先で急停止すると、進んでいたのと変わらない速度でバックしはじめた。

 ――げ!

 その行動は明白だ。なにかに気づき、確かめに来たのだろう。さっきまで隠れていた路地裏に身を潜めると、その自動車は道の出口を封鎖するように停車した。

 黒塗りのアウディ。

 その後部ドアからぬっとダークスーツの脚が飛び出す。厚い靴底の革ブーツは、あまり背広に似合うものではなかった。

「まさか貴様から発見するとはな」

 クサナギは恐る恐る頭上を見上げた。まぶしい太陽を背負ったサングラス姿の屈強な男が、間違いなくインラインスケートに視線をロックオンしている。

 なにより異様だったのは、まるで昭和のSF映画に出てきそうなガラガラ声の電子音声を、その男が発しいていたことだ。

 ――な、なんなんだこいつは……。

 男の手がまっすぐ自分の元に伸びてくるのを呆然と見つめながら、クサナギは自分がバックできないことを痛切に恨んだ。

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