5.ナビ

 ツカサは靴紐に導かれるまま山を下りた。下りなので体力は温存できたが、カーブが多いのでなかなか骨が折れる。ただしどれだけ加速しても、ツカサが〈リニミュー〉と呼ぶ例の機能が復活することはなかった。

 その中で、ツカサはこの方向指示器の奇妙な性能に気がついた。

 紐の先端は、磁石のように常に一定の方向を向いているわけではなかった。それは道の先を常に指し示しているのだ。だから一本道を走っている限り、たとえ道がカーブしていても紐はツカサの前方にぴたりと照準を合わせている。

 麓の市街地に近づくと、それはまた別の方向を示し始めた。まるでカーナビのようにツカサを導いているようだった。これによってツカサは確信することもできた。

 クサナギは喋れないだけで確かに機能しているのではないか。だからこうやってジェスチャーで自分をどこかに連れて行こうとしているのだ。それが紘太の居場所なのか、それとは違ったどこかなのかは判然としない。

 この小さなカーナビが行きたがっているのは人のいそうな場所ではなかった。夜景の明るい茅野の市街地を迂回するようにして、閑散とした郊外の一般道を延々と進んでいく。

 途中から再び道は登りとなった。ツカサはブーツを脱いでスニーカーに履き替え、暗い山道を歩いていった。舗装はされていたが体力を消耗してかなりきつかった。時計がないのがかえって気楽だ。かなり焦っていたので、なくしたスマホを捜すのを忘れていたのだが、誰にも気兼ねなく行動できるのはいいことだと思った。

 ――オジラ……あたしを捜してるのかな。

 こんなとき、ふと脳裏に浮かぶのは〝家族〟のことなのだろうかとツカサは思った。

 当然だがツカサには家族がいない。ずっと世話をしてくれていた鯨岡は所詮児童指導員だ。彼はツカサの〝担当〟であるにすぎない。でもちょっと疑問に思うことはある。

 指導員って、そんなに十何年もひとりの子供にかかりきりなのだろうかと――。

 鯨岡はなにかにつけて自分に服や家財道具を買ってくれた。もちろんそれはWOP財団のお使いのようなものなのだが、わがままを言ってそれを叶える彼との関係は、ある意味親子のようなものだった。

 よく叱られもした。手を上げられたことだってある。その仕返しに車に傷をつけてさらに何倍も怒られた。

 成長して身体が変化を迎えたときは、保健の先生ではなくなぜか鯨岡に相談してしまった。友達は、そんなこと絶対お父さんには言わないって驚いた。だからあの人は父親とは違う存在なのだと思っていた。そう、ずっとそう思うようにしていた。

 どうして今日はこんなに彼のことを思い出してしまうのだろう。

 いつしかクサナギは細い道の先をずっと指し示すようになっていた。

 もう何時間歩いたかわからない。山に隠れるようだった月が、いつしか高く昇っていた。

「あ……」

 峠の展望台のような場所から、夜景によってくりぬかれた円形の穴のようなものが見えた。きっと大きな湖――諏訪湖だろう。休憩用のベンチに座ると、途端に身体の力が抜けてツカサは動けなくなった。

 おなかが鳴る。もはや完全にエネルギー切れだった。シューレースの先っちょはツカサを急かすように坂の上を向いていた。

 ツカサは疲労と空腹と処理しきれない感情の狭間で、混乱しながらも抗えない眠気に襲われていた。夜風が冷たく、汗に濡れた衣服がどんどん体温を奪っていく。このまま死ぬのかな――そんなことさえ脳裏をかすめた。

 そのときだった。

 一台の自家用車が展望台に近づき、そして止まった。ヘッドライトの強い明かりがツカサの意識を辛うじて押しとどめていた。

 バン、とドアが開いてひとりの人物が近づいてくる。特徴的な香りがした。

「ねぇ、大丈夫?」

 若い女性が不思議そうな顔でツカサを見つめていた。



「この先に行きたかったの?」

 いつの間にかツカサは女性の車の助手席に乗せられていた。もうろうとした意識でうんうん頷いていたら、なぜかこんな状態になっていたのだ。この人が悪人だったら大変だ。

「でもこの先って建物ひとつしかないよ? あなたみたいなお客さんが来るなんて聞いてないけどね。名前は?」

 ツカサはくぅ、と寝息を立てていた。なんて気持ちいいんだろう。やっぱり移動は人の車に乗せてもらうに限る。

 眠りのはなで変なイメージが右から左に飛び始めた刹那だった。唐突にその〝声〟がツカサの耳殻を駆けめぐった。

『目的地までの移動手段を確保。状況は極めて安定したと判断し、休眠状態を第二ステージに移行』

 それはまさしくクサナギの声だった。だがいつもの憎たらしいトゲや抑揚がなく、まるで切符の券売機で流れる自動音声みたいに無機質な感じだった。ツカサは思わず飛び起きて周囲を見渡す。

「いいのよ、寝てても」

 隣では白衣を着た女性が車を運転している。そうだ、そういえばこんな状況だった。ツカサは手に持った〈KUSANAGI〉に目を落とした。シューレースが、完全にしおれて垂れ下がっていた。ツバがごくりと喉を落ちていった。

「クサナギッ」

「ええっ!?」

 隣の女性が大きな声を上げた。

「ああ、ごめんなさいね。ちょっと聞き覚えのある単語だったから」

「はい? あ、えっと、あたしは……」

 まだ頭の中が混乱してうまく言葉が出てこなかった。

「もうちょっと寝ててもいいけど、ほらもう着いちゃった。わたしは八代井やしろいスーザ。いちおうここの責任者だから、わかんないことがあったら聞いてね。んで、あなた誰のお子さんなの?」

 暗い山の頂に、スポットライトで照らされた大きく平べったい建物があった。入り口にはかっこいいヘアライン加工の金属プレート。そこにはツカサが見慣れたWOP財団のエンブレムが彫り込まれていた。


 WOP先進理工学研究所


 それがこの施設の名前――そしてクサナギがナビをし続けた目的地だった。

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