3.白蛇

 その〈ユニット〉は、いまだに原始的な反応によって稼働していた。

 体内に蓄えたわずかなエネルギーが尽きる前に、真の〝宿主〟を探さねばならない。

 研究所から脱出した際、外の世界に向かう輸送車両に進入した〈ユニット〉は、そこにあふれる物品と融合することもできたが、本能はそれを拒否していた。「意のままに移動できること」の重要性を感じていたのだ。さもなくば真の自由意志は手に入らず、真の自我を形成するという目的に反する。

 自動車、バイクと融合するには対象は複雑で巨大すぎた。また原始的な原動機に頼ることは危険なことにも思われた。もっと小型で先進的で、効率よく活動できる小型のユニット。それこそが未来の自己に求められる条件だった。

 いくつもの乗り物に取りついて移動を繰り返すうち、そのユニットは偶然にも理想に近い移動手段を目撃した。それは、人を乗せて走る小型の車輪だった。それがなにかはわからない。なんのために作られたものなのかも。しかしユニットには時間がなかった。

 早く融合を果たさなければ、最低限の自我を形成するための電力は永久に失われてしまうだろう――。



 ツカサはWOP財団の動物保護施設を訪れていた。「ピュア・シード・シェルター」と呼ばれるおしゃれな施設で、手入れされまくった緑地が豊かな、ちょっと引くくらいきれいな空間が広がっている。あちこちで犬が走っているが、ちゃんと係員がそばにいてきちんとしつけがゆき届いていた。

 そもそもWOPは〈ウォール・オブ・パレス〉の略で、「宮殿の壁の中へと招き入れる」という、超上から目線の意味を持った非営利組織である。

 世界的に広まった〝電波の仕組み〟を考えた人が、引退後に創設した慈善団体らしいがツカサにはよくわからなかった。要するに、究極のお人好しの太っ腹軍団ということだ。こういう施設が、いつの間にか都心周辺にいくつもできていた。

「お待ちしていましたよ、プリンセス」

 受付に向かっていたツカサは背後からの声で飛び上がった。

 この、男とも女とも知れない抑揚のついた声色は――。

「その子がよるちゃんですね~? あら可愛い。男の子でしょうか」

 そう言ってスキンヘッドの長身の男が子猫を奪い取り、いきなり股間を観察しはじめた。

 ――こ、こいつは~。

 ツカサがひきつった顔でにらんでいると、彼はこれ見よがしに眉根を寄せた。

「だめですよツカサちゃん、そんな態度をしては台無しです。女の子は常にフェロモンを出していなければ。ほら、背筋を伸ばして。チャームポイントのおしりも今日は垂れて見えますよ」

「う、うるさい、余計なお世話! それにしてもなんであんたがここにいるのよ!」

「あら女の子ですね、この子。私はオス猫が良かったのに……」

「き、聞いてないし……」

 彼の名は〈白蛇しろへび〉という。当然本名ではないだろう。鯨岡の運転手を務めていて、ツカサも小さいころから顔見知りだった。いつも気味が悪いくらい姿勢が良くて、動きにまったく隙がなく、独特な近寄りがたさがあった。それもそのはず、彼は格闘技の達人なのだ。実を言うとツカサは何度も彼に危ないところを救われている。

 顔は端正で、まるでパリコレモデルのように魅惑的だ。年齢不詳で肌はいつになってもしわ一つない。眉毛も抜いたスキンヘッドで少々不気味なのだが、ビジュアル系のバンドマンみたいで、普通なら女の子の憧れの存在にもなるだろう。

 しかしツカサはまったく彼のことが好きになれない。むしろ天敵だった。というのも……、

「なに浮かない顔してるんです? 生理ですか?」

 この信じられないくらいのデリカシーのなさである。

「あら、またスケートなんかで来たんですか? ダメですよ、転んだらきれいな肌に傷がつくじゃないですか。ほら、また脚に筋肉がついて――」

 そう言って彼はツカサに近づいてきた。危険を感じて素早くターンしたが、なぜか目の前に白蛇が先回りしていた。この動き、まさに蛇。そしてそのまま彼はツカサの腰に手を回し、太ももに指をつつ、と伝わせた。

「ひいぃぃ~」

 完全にセクハラだ。下手をすれば児童虐待。しかし彼が言い張るには、自分は男でも女でもないからセクハラにはならないのだという。

 彼はその――男性のシンボルを切り落とした男性――なのである。いきさつは知らないし聞きたくもないが。

「は、話を逸らさないでよ! なんでここにいるのかって聞いてんの!」

 白蛇は首をかしげながら長い指先を顎にあてた。

「なんでって、私はその子の里親候補です」

「ぎええぇぇ!?」

「……その悲鳴はなんなんです。鯨岡さんから話を聞いて、子猫の里親に名乗り出ただけです。ここは動物の引き取りについてはすべての手続きができますからね。待ち合わせにも便利ですし」

「あんたなんかに猫を渡したら、どんないたずらするかわかんないでしょ! よるちゃんがオスだったら、なにするつもりだったの!!」

 すると白蛇はまさに蛇が舌を出すような邪な笑みを見せた。しまった、とツカサが唇をかむ。

「どんなことをするか、教えてあげてもいいですよ……。まずはツカサちゃんのカラダにじっくりと教え込んであげます……」

 ――あーもう、面倒くさい……。

 ツカサが飽き飽きしていたので、白蛇はつまらなさそうに肩をすくめた。

「ま、冗談はこれくらいにして。実を言うと私も猫を飼ってて、うちの子はメスなんです。だからボーイフレンドにいいかな、と思ったんですが……ちょっと希望にはそぐわなかったみたいですね」

 ツカサはジト目で白蛇を睨んだ。

「そのメス猫は無事なんでしょうね」

「よかったら我が家に確かめに来ますか?」

「死んでも結構です!」

 あといくつか下ネタを披露した後、ようやく白蛇は去って行った。ぐったりした気分でツカサは施設の受付へ向かい、いくつか書類を書いてよるちゃんを預けた。

 ロビーの建物内には、大きな画面に「ただ今の里親マッチング率・八九%」と表示があった。きっとよるちゃんにもすぐにいい飼い主が見つかるだろう。それにしても、〝マッチング率〟なんて下品な表示をよくするものだとツカサは思った。

「バイバイよるちゃん。あたしみたいになるんじゃないぞ」

 ツカサは精神的な疲れをほぐすように首を揉んだ。こういう日は軽快に飛ばすに限る。ツカサはかがみこんでスケートブーツの紐をしっかりと締めた。その際、ふと背中のデイパックが揺れたのでまた白蛇がいたずらに来たのかと思い素早く振り返った。

 結局誰もいなかったのだが――。

 ツカサは気を取り直して屈伸し、勢いよくスケートを走らせた。公道だってへっちゃらだ。警察に見つかっても捕まるもんか。

 ツカサはこのとき、子猫のよるちゃんを入れてきたデイパックに、まったく別種の生命体が潜んでいることに、まるで気づいていなかった。

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