第25話 野球小僧-25

 亮はいつもの壁の前に立っていた。表面がボロボロにささくれたスーパーボールを持ったまま。練習をしようという気はなかった、今日は。でも、ここしか自分にはないような気がして、いつものように準備までしてしまった。随分ボロボロになったオレンジ色のボール。まだ新品は2つあるけど、もったいなくて卸してくることができないでいる。

 いいさ、練習しよう。このボールおかげで、打球が恐くなかった。バッティングのときも、ボールに対するスピード感が随分違っていて、何とかついていけるようになった。このボールのおかげなんだと、思いながら亮はいつものポジションから、ボールを投げつけた。ドスンといういつもの音が壁に響き、鋭いスピードで返ってきた。バシンと受けたグローブの手のひらが痛い。でも、ちゃんと捕れた。亮は今度はもっと力を込めて投げつけた。ドシンという音がして、一瞬でボールは亮の目の前まで跳ね返ってきた。慌ててグローブで払いのけてやっとかわした。叩きつけられたボールは転々と転がって、止まった。

 まだまだこんなもんだと思って、ボールを拾った。ぐっと握り締めて、思いっきり壁に投げつけた。と、鈍い音がして、ボールは砕けて撥ねた。唖然としたまま、亮はボールではなくなった固まりを目で追っていた。ゆっくりと、近づいて、かけらを集めて、重ねてみると、それは間違いなく、元はボールだった。ボールだったかけらは、今はただのオレンジ色のゴムのかけらだった。

 割れちゃった…。

 亮はそれを大事にバッグに入れ、荷物をまとめて帰路に着いた。


          *


 「大木、ちょっと」高松

廊下から呼ぶ声を聞いて、慌てて亮は振り返った。そこには、高松が亮を手招きしていた。

「どうしたの」

「ちょっと」高松

食べかけの弁当を残して、呼ばれるままに亮は廊下に出た。そこで初めて小林と池田もいることに気づいた。

「なに?」

「あのな、山本のやつが」高松

高松は静かに話し始めた。


 「山本が勝手に挑戦状を作ったんだ。それを野球部の、よりによって、イチローなんかに渡したもんだから、ちょっと揉め事になったんだ」高松

「もめごと?」

「そうなんだ、イチローがそれを受けて立つって言って、監督と揉めたんだ」高松

「監督のほうは、そんなもん、相手にするな、って言ったらしいんだけど、一郎先輩がどうしてもやるんだって言い張って、野球部内で有志を募ってるんだって」小林

「野球部の連中は、挑戦状っていう形じゃなくて、軽い気持ちで、練習試合なら受けてもいいって言ってるんだけど、イチローが、とにかく厄介なんだ」高松

「それで、リョウ先輩はどう思う?」池田

「どうって?」

「試合してもいいかってことだよ。挑戦状っいう訳にいかないし、練習試合ってことにして、取り繕うことになるけど」高松

「試合はしたいけど、まだ……」

「そうだろ。まだ2試合しかしてないんだぜ。これから、サインとか守備とか、まだまだ直さなきゃいけないとこだよ。こないだミーティングでも言ったとこなのに」高松

「やりたいって気持ちはあるんだけど、まだ早いよ」池田

「監督にバカにされるのも嫌だから、勝たなきゃって思うと、まだ、ナ」小林

「それで、一応みんなの意見を訊いてるんだけど、大木、どう?」高松

「んー、いつかはやりたいけど、やめておいたほうがいいと思うよ、まだ」

「そうだよな、やっぱり。じゃあ、そういうことにしておこう」高松

「サンディには訊かないの」

「いいよ、うまく伝わらないかもしれないし」高松

「でも……」

「じゃ、そういうことにしとくから」高松


 立ち去る三人を見て亮は、少し残念な思いがした。非公認の同好会の存在が少なからず認められるチャンスだったのは確かだから。

 自分の席に着いて、食べかけの弁当を見ながら亮はまだ考えていた。試合したらどうなるだろう。負けるだろうか、やっぱり、負けるだろう。でも、負けてもいいはずだ。同好会だから。寄せ集めのチームだから。同じ学校で2つの野球チームがあって、対立しているよりは、競い合ってお互いを認め合うほうがいいんじゃないだろうか。試合はしたほうがいい、はずだ。でも、挑戦なんて、溝を深めるだけだ。

 と、頭を叩かれて亮ははっとした。横に赤松先生が立っていた。

「亮君、もう3時間目が始まっているのよ。お弁当は片付けなさい」

クラス中の笑い声の中、亮は顔を明らめて慌てて弁当箱を片づけた。赤松先生は、教壇に戻っていつものように授業を始めた。亮は、ぼんやりと授業を聞きながら、また考えに耽った。

 ―――試合はするべきじゃないだろうか?

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