第15話 野球小僧-15

 午後の練習も終えて解散した後、いつものように亮は壁練にやって来た。ボールをぶつけている部分が少しだけ色が変わって見えている。表面が荒れてきたせいだろう。亮は少し右側に的を変えてボールを投げた。ボールはいつもと違う場所で不規則なバウンドをして転がってきた。ボールを捕って亮は少し悩んだ挙げ句、石拾いを始めた。いくら何でも不規則すぎるとまともにボールが転がってこないことも学習したので、大きな石だけ拾って、壁際に捨てた。凹凸も足で慣らした後、ボールを投げてみると、ボールは亮の思いどおり跳ね返って、少しイレギュラーした。それに素早く反応して掴むと、満足な笑みをこぼして、また投げつけた。返ってくるボールを何十球と追うことは、練習後では結構きつく、ついにへたり込んでしまった。

 まだ、陽は高く、まだまだ時間に余裕はあった。バッグから飲み残しのスポーツドリンクを出して、口に含んで、少しずつ飲んだ。バクバク言ってる心臓を押さえ込むかのように喉を擦り抜けていく感触が、頭の芯まで伝わってきた。ふうっ、と、大きく息をして、空を見上げると、空はまだまだ青く、ちぎれ雲もまだまだ白かった。まだまだ大丈夫だと思いながら立ち上がって、またボールを投げつけた。何十回となく投げつけたボールは、また、亮の意に反した動きをして弾んできた。亮はそれが嬉しくなって、猫のようだと思いながら、また、飛びついた。


          *


 おだやかな風が流れ込む窓際の席で亮は眠りこけていた。と、突然頭を教科書で殴られて起こされた。

「おい、起きろ」

山元先生の声に慌てて亮は姿勢を正した。

「最近、たるんどるな。この間の成績が良くても、次はどうかわからんぞ」

亮は頷いて応えたが、頭の中はまだ眠ったままだった。山元が教壇に戻っても姿勢は崩さなかったが、すでに頭は真っ白だった。

 朝も早く起きてトレーニングにいそしんでいた。基礎体力も必要だと思い、3キロのジョギングとストレッチ、懸垂、腕立て伏せ、腹筋、背筋、エトセトラ。結果として、午前中は睡魔と戦わざるを得なくなってしまった。夕方はみんなと練習。その後、ボールが見えなくなるまで壁練。家に帰って、素振り。亮の全身がギシギシと軋んだ音を立てていた。それでも、諦めきれなかった。下手なら下手でもよかった。足手まといにはなりたくなかった。誰かが入会して補欠に回されたら、試合に出れない。それが悔しい。自分で望んだものが自分の無能さで失うことには耐えられなかった。たった数年の経験の差でついた差なら、少しでも埋め合わせられるような期待もあった。じっとはしていられなかった。やれるかぎりやろうと決めた。それだけのことだった。


 授業が終わって、隣の本田が声を掛けた。

「大丈夫か、亮。ずっと寝てるけど」

「う、うん。だいじょうぶ」

「亮君は、ひ弱だから、しかたないの」

室が横から口を挟んだ。

「練習がきついんじゃろ?もう、やめたいんじゃないの?」

「そんなことないよ」

「ヤメルのですか?」

亮を心配したサンディが近くまで来て叫んだ。

「ヤメナイでください、リョウ」

「やめないよ。せっかく野球ができるんだもん」

「なんじゃなんじゃ、あんたたちは?ひょっとして、ひょっとするのか?」

「何だよ、それ」

「なにぃ、チビとサンディがぁ」

横から新田までが割り込んできた。

「違うよ。もう、室ちゃんは無責任に何でも言うから」

「ミホちゃんがいいんだもんね」

「もう、いいよ」

「誰だ、ミホちゃんって?」

「いいから、ほうっておいてよ」

「だけど、亮。無理しすぎなんじゃないの?」

「ありがとう。本田君はやさしいな、男なのに。でも、みんなの足手まといになりたくないから」

「でも、亮は頭いいんだから、監督とか参謀役で活躍すればいいのに」

「やだよ、ボクも野球したいよ」

「ミホちゃんにいいとこ見せなきゃ」

「もう、いいかげんにしてよ」

「ミホちゃんて誰なんだ?」

「ナ・イ・ショ。ネ、亮君」

「誰デスカ?」

「興味あるの、サンディ?」

「誰カナと思っただけデス」

「あらぁ、サンディ、もしかすると…」

「いいかげんにしてよ。話をややこしくするのが好きなんだから」

「だーい好き」

「リョウのことが、好きなのですか?」とサンディが口をはさむと室は慌てて、

「違うわ。こんなちんちくりんに興味はないわ、あたくしは」と言った。

「じゃあ、誰が好きなんだよ」

「おっやぁ、今度は逆襲ですかぁ?甘い甘い、そんなことでやり込められる、和子ちゃんではありませんわ」

「もういいよ。もう、疲れてるんだから」

「亮、飯は?」

「さっき2時間目の後で食べちゃった」

「オレ、パン買いに行くけど、行かないか」

「うん、行く行く」


 亮と新田が教室を出て行った。室はニコニコしながら、サンディにこっそり問い掛けた。

「サンディ、亮のこと、好き?」

目で亮を追っていたサンディは急に向き直り、室に答えた。

「ハイ、リョウは素敵です」

 はっきりと答えたサンディにむしろ室のほうが驚かされてしまった。冗談のつもりで訊いたのに。

「でも、ちんち…、ちっちゃくって、サンディとは似合わないと思うけど」

「リョウは、いつも一生懸命です。よく、ワタシのこともわかってくれます。とても、頭もいい、立派です」

はっきりと言い切るサンディに室は圧倒されて、茶化すことはできなかった。

「サンディ、亮君を、特訓してあげれば?」

「トックン?」

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