第49話風間氏と風魔衆

直臣とした人達を各奉行を任命し、退出した後広間に風間元重を呼び出した。

広間には自分と相談役になった太田道真、風間元重の3人しかいない為、元重は何か失態をしでかしたのかと若干戸惑った顔をしている。


「元重、おちつけ、しっ責したりする為に呼び出したんじゃない、これからあの場所では大っぴらに命じられなかった仕事を任せる為に呼んだんだ」


そう言うと少し安心した表情になるも奉行任命の場で言えなかった仕事と言われ強張った顔をし次の言葉を待っている。


「元重には自分の直轄地となった秩父郡を表向き管理する名目で1万石を与える」

「ありがたき幸せ!! ただ表向きとは…」


「そう表向きは秩父郡の管理と鉱山奉行、そして裏では忍び、と言っても分からないと思うが、簡単に言うと 乱波働き各地の情報収集をする者を統括して貰う。 先の合戦で元重とその配下の働きは見事だった、故に忍び衆を組織しそれを元重に任せる事に決めた」

「忍びでございますか…、確かに表立って動かず裏で密かに動くことも出来ますがそれを某に?」


「元々は相模の国人領主であったと言っていたので少し調べさせた。 風間家は小身でありながら近隣の情勢をよく読み、合戦の際には乱波のように相手を攪乱し武功を立てていたと聞く、故に忍び衆の統括を任せる」

「確かに乱波働きは得意としておりますが…、忍び働きと呼べるものではございませんがよろしいので?」


「構わなない、これからは表向きは直臣の将として、裏では忍び衆を統括をして貰いたい。 今後、情報が何より重要になる。 その為には忍びが絶対に必要だ。 ゆえに元重には表と裏の顔を使い分けて働いて貰いたい」

「ハッ!! かしこまりました。 しかし表と裏を使い分けるとなると…」


「だろうな…、なので忍び衆には新たに名を与える。 風魔衆と名乗れ、後、風魔衆の棟梁は代々風魔小太郎と言う名を襲名してもらう」

「風魔衆に風魔小太郎、ありがたき幸せ。 旧領に残った一族や役に立ちそうな領民などを呼び寄せ必ずご期待にそう働きをご覧にいれます」


平伏しながら礼を言う元重が顔を上げるのを見計らって更に指示をだす。

内容は秩父や奥多摩などに多く居る修験者を取り込み各地の情勢を探らせると共に、流民や孤児などを引き取って忍びに育てたり、各地の情報収集要員として送り込むように命じ、また元重は鉱山開発に関しての知識が無いと言っていたので、山師を自分の直臣として雇い入れるので腕の良い山師を見つけて来る事。


更に、忍び働きが出来そうにない流民などを使い山間部の開拓を進めさせ秩父の山奥で大規模な硝石作りとシイタケ栽培をさせる事。


因みに開拓し増えた石高は風魔衆の所領として良いとも伝えた。

尚、風魔衆の活動資金や維持費は硝石やシイタケ栽培、鉱山の採掘で得た利益の一部を当てさせるので、風間元重として得た1万石の領地は武将として元重が活動する為に使わせる。


秩父に元重を任せ、風魔衆を組織させ拠点とする事で現時点で最高機密の硝石作りやシイタケ栽培の方法などの情報漏洩の可能性が少なさそうだからだ。

流石に風魔衆の拠点である秩父に忍び込んで情報を手に入れるのは相当難しいだろうし。


とは言え、鉱山開発等をおこなえば労働者や商人なども多く集まる為、丘陵地を開拓し宿場町と歓楽街も作らせる。


鉱山労働者が歓楽街に金を落とすのでそこで得た利益も風魔衆の活動資金になるし、宿場町も風魔衆の息がかかった者が運営すれば間者が紛れ込んでも発見しやすいからだ。


そこまで一気に話すと元重は若干ショートしている感じだったので、やる事を紙に書いて再度説明しておいた。

走り書きだったんだけど、元重には命令書と同等だったようで大事そうに懐に入れ持って帰った。


恐らく秩父で拠点を作り風魔衆を組織するのに最低でも1年はかかるだろうから、恐らく本格的に使えるようになるまで数年はかかると思うけどこればっかりは忍びと言う概念がまだ無い時代だから気長にとはいかないけど無駄に焦らせないようにしよう。


現在稼働中の硝石小屋の運営は暫くそのままになるけど、秩父に拠点が出来れば人員ごと移動させよう。


それにしても風魔って確か江戸時代の盗賊の事をそう呼んだのが現代に伝わり後北条家の忍び衆と認知されているけど、まさか自分で風魔忍者をこの時代に生み出すことになるとは思ってなかった。


秩父郡は江戸時代には3万石以上あったので今から開拓すれば正条植えの効果もあるから5万石以上にはなるはず。

それに加えて鉱山や硝石、シイタケ栽培などでも利益がでるから10年もしないうちに風魔衆はかなりの勢力を持つ忍び衆になるだろうからある意味良い先行投資をしたと思う。


後は元重の腕次第だけど、やっぱり戦国の世には忍びは必要だよね。

重要な情報などの報告は元重経由では無く極力直接聞くようにしよう。


確か武田信玄も忍びが持って来た重要な情報は直接聞いて労いの言葉を掛けていたって言うし。


補足----------------------------------------------

補足

忍者と言う呼称は太平洋戦争以降に使われだしたそうで、それ以前は忍術使いと言う呼称が一般的だったそうです。

尚、日本では源平時代以後に発祥したそうで。忍と呼ばれる集団はは日本国内各地に分かれ、いくつかの集団を形成していたそうで一説には忍術流派は71を数えるそうです。

ただ現在、伝書及び資料で確認できる流派は31ともいわれています。

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