第35話好転

斎藤さんに用意した和議望む旨が書かれた書状を持たせ、飯能を出発する当日、泰明さんからの書状が届いた。


恐らく赤塚城へ引いた事を知らせる書状だろうと思いつつも内容に目を通す。

「泰経さん!!! 江戸へ兵を進めるの中止!!! 斎藤さんを呼んで!!」


書状を読んだ瞬間、即座に声を張り上げ指示を出す。

何事かと驚いている泰経さんが慌てて家臣に指示をだし書状の内容を聞いて来る。


「泰明さんが古河公方の兵を追い払い、葛西城を三浦時高さん、高救さん親子が落とした」

「はっ? 古河公方を追い払い、三浦が葛西城を落としたとは?」


混乱する泰経さんに泰明さんからの書状を渡す。

急に江戸へ向かう事が中止になった事で諸将が何事かと集まって来る。

泰経さんが書状を読み終えると、集まって来た諸将に書状を渡し読ませている。

説明するよりも書状を読ました方が分かりやすいもんね…。


泰明さんからの書状の内容は昨日、古河公方の兵約6000人が葛西城を出て海賊衆の船に乗せて利根川を渡河し江戸城に向かう動きを見せた為、全軍を率いて渡河する兵を足止めしようと対岸に布陣をしたところ、品川湊に居た三浦家の兵が泰明さんに合流しただけでなく、三浦家の海賊衆が渡河を始めた下総、上総の海賊衆を強襲したとの事だった。


泰明さんの元には合戦前夜に高救さんから味方する旨の使者が届き翌朝利根川に陣を敷くよう指示があったらしい。


そして下総、上総の海賊衆は前日まで三浦家の海賊衆が敵対することも無く、むしろ友好的に接していたのでまさか攻撃されると思ってもみなかったようで一度に多くの兵を対岸に送る為に一部の船には弓隊を配置していたものの他の船には漕ぎ手しかおらず一方的に三浦家海賊衆に蹂躙されろくに抵抗する間もなく多数の船を沈められ多くの兵を失ったらしい。

その後、海賊衆の船で三浦家の兵が利根川を反対に渡河し大石氏が守る葛西城を混乱に乗じて奪取したらしい。


ただ泰明さんの書状には三浦時高さん、高救さん親子は、主君の上杉定正を裏切ったのではなく、元々敵対していた古河公方の兵と古河公方に寝返った大石氏を討つ為に来ただけで、当面の間は自分と争う気は無いと言っている、と書かれている。


当面争う気が無いと言ってくれて葛西城を抑えてくれているだけで十分です。

敗走した古河公方の軍が再度攻めて来ても三浦さん親子が葛西城を拠点にして対処してくれるだけで、変更点はあるものの当初も目的である松山城攻めに向かえるんだから。

とは言え羽村まで進軍して来ている八王子、府中、武蔵村山周辺の国人領主の兵を叩いておかないといけないので飯能の国人領主である中山さん、岡部さん、加治さんにも兵を出して貰い全軍率いて羽村に向かう。


ただ斎藤さんには予定通り川越城を囲む上杉定正へ和議の使者に立ってもらう。

条件の変更は無いものの自分達が窮地に陥り困っているといった演技をするよう指示を付け加えた。

定正にも利根川であった合戦と葛西城落城の知らせは届いているはずだけど三浦親子は定正の為にと公言している以上、江戸城への圧力がかかっていると思っているはずだ。

斎藤さんにはこの合戦が終わったら道灌さんに言って自分の直臣になって貰う事と相応の所領を与える事を約束し使者として定正を油断させる為に頑張って貰う。


普通なら主君である道灌さんから自分の直臣にすると言われても勝手に決めるなと反発するんだろうけど斎藤さんは史実でも道灌さんを殺した定正に仕え自分の地位を向上させていただけあって直臣と相応の所領と言う言葉を聞き目を輝かせて川越城に向かった。

野心家ではあるけど軍才はあるから使い方を間違わなければ役に立つはず。


そして自分は翌朝、飯能3人衆を加え1万人程に膨れ上がった兵を率いて羽村に集結している国人連合軍を駆逐する為に飯能を出発する。


飯能から羽村まで約3時間、兵糧を運ぶ荷駄隊を切り離して進軍した事で昼前には羽村に陣を張る国人連合軍を目視できる場所まで進出する。

約5~600メートル離れたところで30分程休息を取った後、諸将に命じて総攻めをする。


総攻め…、作戦も何にもない只の全軍突撃。

諸将には首は捕った者勝ち、先陣も決めず一斉攻撃で手柄は早い者勝ちで追撃は福生まで、と伝え準備が整い次第突撃の号令を発すると自分直属の足軽衆と泰経さん率いる数百の兵を残して全軍が敵陣に殺到した。


恐らくこれは合戦と言えるものでは無かったかもしれない。

自分達が迫っているのは見て気が付いていただろうけど、普通は合戦前におこなう言葉合戦、矢合わせも無く突然全軍が攻め寄せて来たことで、指示を出す有力者が居ない為か両軍が衝突した際には既に混乱して一部は逃げ出している状況だったからだ。

一部踏みとどまって戦った国人領主も居たみたいだけど多くの兵に囲まれ四方からの攻撃で恐らく全滅したように見える。


「宗麟様、圧勝ですな。 これだけ痛めつければ再度兵を集めては向かってはこないでしょう」

「まあそうだろうね…。 ただ今回はこの一帯を含め八王子、府中、武蔵村山周辺の国人領主の領土を奪取する」


「そ、それでは松山城攻めも川越城救援も遅れますが…」

「分かってる。 ただ戦後恩賞として与える所領も必要だし、一旦味方するって書状を出しておいて裏切ったんだから所領を追われても文句は言えないでしょ。 その為に飯能3人衆に兵を出して貰ったんだし」


そう話していると、荷駄隊を率いて飯能3人衆が自分達に合流した。

飯能3人衆に兵を出して貰ったのは荷駄を運んでもらいたかった訳では無く、これから制圧する地域の管理を暫くして貰うつもりだったからだ。

自軍の兵を裂くのは嫌だし、だったら合戦には参加する予定の無かった飯能3人衆に管理して貰って不穏な動きがあれば容赦なく潰して貰うように頼んである。


そして昼を過ぎる頃には追撃をしていた兵が戻って来てそのまま、本陣で首実検をする事になった。

出来れば首実検はご遠慮したいんだけど大将である自分が居ないのは駄目だと泰経さんに言われ見たくもない生首を見させられ、討ち取った際の状況を自慢げに話す武者や足軽に「天晴な武者振り」とか「見事な働き」とか心にもない言葉をかけ続ける。


これは何の拷問ですか?

生首を大量に見せられるだけでも嫌なのに、絶対に話を持ってる自慢話まで聞かされるって結構な苦痛だよ。

ホント…。


首実検が終わった時には辺りが暗くなってしまった。

あれだけ生首を見せられてこれから晩御飯とかマジ食欲湧かない。

まあ今日は朝食しか食べて無いからお腹減ってるし晩御飯は食べるけどさ…。


補足------------------------------------------------------

首実検

首実検とは討ち取った敵の首を見分してもらい自身の手柄を認めて貰っていました。

敵の大将や身分の高い人に関しては「対面」と呼ばれ、物頭や騎馬武者、武者の首は「実検】と呼び、歩兵の雑兵などの首は「見知」と呼ばれていたそうです。

尚、合戦の後、本拠地に戻った際、武士の妻などは敵の首を洗い、髪を整え化粧などをしたりしたそうです。

その他にも、首実検の作法なども多々あったそうです。

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