第23話造船と産業

梅雨が終わり肌で暑さを感じるようになった頃、今日も石神井城には武蔵野国の国人領主が臣従を誓いを述べ所領安堵の書状を貰いにやって来る。

ポツポツと国人領主さん来るんだけど、皆さん実のところ村を複数支配下に置いているだけの弱小領主で豊嶋家の所領に近いか川越城や鉢形城に近い領主さんなんだよね…。

うん、実際に心から臣従を誓うのではなく、旗幟を鮮明にしないと攻め込まれて滅ぼされるのが心配で石神井城まで来てるだけで恐らく自分達の旗色が悪くなれば間違いなく敵になると思う。

この時代ってそんなもんなんだよね。


そんな中でも忍城の城主、成田正等さんが景春さんの仲介で旗下に加わってくれたのは大きかった。

忍城って言えば秀吉の小田原征伐の際に唯一落城しなかった城だし、成田氏自体も鎌倉時代から続く一族という事もあり恐らく周辺の国人領主も日和見出来なくなってくるはずだ。


そして黒帝ハーレム計画は見事に軌道に乗り、毎日豊嶋家や太田家、長尾家の家臣が雌馬を連れてやって来るので来年の今頃には黒帝の子供が数えきれない程生まれるはずだ。

ただ生まれてすぐ合戦に連れていける訳ではないので早くても再来年以降になるだろうけどこの時代の馬に比べればきっと体格が大きく丈夫な馬になると思うからきっと将来的には役に立つはずだ。


あとは江戸湊と品川湊で建造している大型船。

予定では全長40メートル、全幅12メートルぐらいの大きさになるらしい。

う~ん、この時代って確か長さは尺貫法でしゃくとかけんとかだったはずなのに、メートルが使われ始めたのは明治時代で完全に施行されたのは昭和だったはずなのに…異世界の不思議だ…。


因みにこの前見に行ったらまだ骨組みしか出来ていなかったけどガレオン船の建造と乗組員の育成が順調に進んでいて品川湊の顔役である宇田川清家さんの話では恐らく来年の春には完成し進水式をおこなえるだろうとの事だった。

出来ればコールタールでコーティングして黒船風にしたかったけど、現状石炭は手に入るけどコールタールを作成出来る程の技術が無いのであきらめてしまった。


あとは品川湊と江戸湊が数か月で急成長し湊町が大きくなっていたのには驚いた。

楽市楽座と関所の撤廃をしただけなのに両湊に物と人が集まり活気に溢れ住み着く商人とかも増えているらしい。

人が増えると経済が活性化されるから良いことずくめだ。

仕事はいくらでもあるし。


そして豊嶋領で絶賛制作中の石鹸、二重ポット式冷蔵庫、まだ製作が軌道に乗ってない為少量ではあるものの蝋燭が順調に売れていて利益が出ているとの事だった。

なかでも石鹸に関しては品川湊と江戸湊の商人さんに実際使用してもらって実演販売を教えたら商機を見つけたらしくすぐに飛びついたし、二重ポット式冷蔵庫も実際使用して冷やしたお茶を商人に飲ませたら我先にと仕入れてくれた。

現在は醤油の制作、清酒の制作、、蒸留で抽出した香水的な物、巣箱を用いた養蜂の導入に加え、畜産に力を入れ、馬に加えニワトリや牛の飼育、そして鹿の飼育をおこなっている。

香水的な物が出来ればそのまま売っても良いし、石鹸に混ぜて香りを良くすれば売れ行きも上がるはず。

ただ畜産に関しては豚も羊、山羊も飼育したいんだけど居ないんだよね…。

ネットで調べたら弥生時代とかに豚は居たらしいけどこの時代には沖縄方面ぐらいにしか居ないらしい。

ガレオン船が出来て遠くまで船で交易が出来るようになったら仕入れて来て飼育したい。


それにしても乾式ドッグの作成も予定してるけど現状の技術では難しいっぽい。

やっぱりコンクリートが欲しいよね。

景春さんからは、自分が日ノ本を統一する為の助けになるなら秩父に眠る鉱山の採掘は自由にして良いですよって言われてるけど、実際の所まだ暇がなく秩父まで行って現地を見れてない。

秩父では金、銀、鉄に加え石灰が採れるはずだから早めに採掘をしたいんだけど内政を盤石にして領民の生活を豊かにする方が先だもんね。


足踏み水車、三脚式の手動抜根器などの試作も進んでるけど、まだまだ導入にはほど遠いし、今は木を切り倒して手作業で根を掘り返す事で雑木林を畑にすべく頑張っている。

実際夏場の田んぼは草取りとかの作業はあるものの手押し除草機の数が揃って来たから多少人手に余裕が出来て開墾作業が進んではいるけど全部手作業だからどうしても時間がかかる。

ユンボとか土木機械開発した昔の人って凄いとしみじみと思う。


後は養蚕もやりたいけどまだそこまで余裕は無いし、今年は石鹸を量産して、来年は石鹸に加え蜂蜜、醤油に清酒を堺の方まで売りに行けるといいな。


出来れば明まで行って交易もしたいけど…。


補足-------------------------------------------

※補足

1400年代後半の船舶は有名な関船や安宅船などはまだ登場しておらず、葛船と呼ばれる大型船を用い漁業、商売、戦いに使われていました。

また6~10人程で漕ぐ小舟も海戦の主役だったと言われています。

また戦国期の船は外洋航海には向かず、また帆はあるものの主に推力を人力に頼っていました。

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