1-6 インタビューは順調

 ビクターズベイにそびえる高層マンションの一室、無数のパソコンの駆動音が響く部屋に少年が座っている。眺望自慢の広い窓を遮光カーテンで覆い、エアコンの設定温度を極度に下げた部屋だ。こんな所で長い間過ごしたら気が滅入るが、少年は一度も不満を言ったことがない。どころか日用品もすべて宅配で済ませ引きこもりライフを満喫しているらしい。

 キャンベルの役目はたまに顔を出して様子を確認する事だったが、いつ訪れても少年の姿勢は変わらない。美容院が面倒だからと伸ばした髪を纏め、たった数着の部屋着を着まわしている。お気に入りのBGMはネットゲームの曲で、立体音響を生み出す三つのスピーカーはキャンベルが経費で落とした最新モデルだ。

 照明を落とした部屋は、六つならんだモニターの光でぼんやりと明るい。モニターの四つはソースコードで埋まり、少年の指先から作られたタイプ音と共にコードが追加されていく。残り二つは見覚えのある監視カメラの映像と、SNSの画面である。SNS画面の最上部はキャンベルが先ほど送信したメッセージだ。

「少ー年っ」

 キャンベルは開きっぱなしのドアを申し訳程度にノックした。少年は振り返ることなく、ただ生返事を返した。彼は名前で呼ばれることを好まなかった。

「熱心だな」

「報酬分の仕事はするよ」

「心強いね」

 キャンベルは肩を揺らして笑った。少年の口調は素っ気ないが、腕には何の問題もない。上部の説得に骨が折れたが、囲い込んで正解だった。既に成果は上々だ。少年はあっさりと警備会社主管のプログラムに侵入し、K&K社に貢献してくれた。天才少年の名に恥じない鮮やかな手口だった。

「ヒーローはまた来るだろうか」

 成長期も始まったばかりの小さな背中に問いかける。少年は手を止めて、二千ドルの椅子をくるりと回転させた。丸みの残る輪郭に生意気な表情を浮かべている。

「そりゃそうだろ。諦める理由がない」

「狙撃されたのに? 十分威嚇になったと思ったんだが……ま、警備員は契約延長しておくよ」

「それが利口だろうな」

 仕方のないこととはいえ予算の確保を思うとうんざりしてしまう。キャンベルの上司はリスク軽減に対して金を出し渋る傾向にある。

 事の発端は少年による会社への不正アクセス発見である。結局相手の特定には至らなかったが、少年の助言で配置した物騒な方の警備員は十分な働きをしてくれた。それに追加で置いた独自の検知プログラムも。

 今は街中に配置されたあらゆる監視カメラにアクセスし、狙撃後のヒーローの足取りを追っていた最中だ。少年一人に任せるには重たい任務だが、少年ができるといったならできるのだろう。信頼に足る実績を少年は積み上げてきた。

「……だがヒーローの目的が分からない」

 少年は眉をひそめた。

「何しにうちなんか侵入したんだ」

「単純に正義感じゃないのか?」

「じゃあまっすぐに地下を目指すだろ。例の件を知らない……あるいは断片的にしか知らない人間の動きだ。こいつらはただ探りに来たとみるべきで、なら問題は、そもそもなんでK&K社が疑われたのか、だ」

 こいつら、と言った少年にキャンベルは目を瞬かせた。それもそうだ。ヒーローにしろ諜報員にしろ、単独犯とは限らない。

「なるほどね。じゃ、取引先のどこかが吐いたかな」

「そうも思えねえけどな。報復を考えたら、俺だって吐かないぜ」

「ははっ言えてる」

 笑いながらキャンベルは取引先で口の軽そうな人間の顔を思い浮かべた。加えて、報復に思い至らないような頭の弱い人間も。早々に報告しておくべきだろう。

 その時、胸ポケットに入れていた携帯端末が震えた。キャンベルはうんざりした表情で電話を取り、さっと爽やかな声に切り替えた。予想通り、上司からの呼び出しだった。一方的にまくし立てて切るくらいならSNSで済ませてほしいのだが、中々理解してもらえない。

 短時間の通話後、携帯端末を胸ポケットに戻してキャンベルは深く息を吐いた。部屋を出る前に差し入れの紙袋を渡しておく。少年は紙袋を漁ると中身が山盛りのサラダボウルであることに気付いて唸った。これはキャンベルの主張だが、成長期は新鮮な野菜を摂るべきだ。

 少年の嫌そうな顔を見なかったことにして呟く。

「ああ、やだやだ。悪党の腰巾着なんて、早く卒業したいものだね」

「……同感」

 天才少年は小さく頷き、冷めたブラックコーヒーを啜った。



 その日はGDCの放送終了後にインタビューの仕事が入っていた。ただの会社員であるアリシアにはマネージャーなんていないので、スケジューラーが命綱だ。携帯端末の通知で集合場所を確認し、KJと合流した。今回は二人で取材に向かう。

 GDCで毎木曜に担当しているコーナー向けの取材である。Rising Starと銘打ったそれは、その名の通り各分野での期待の新星を紹介するコーナーだ。先方の都合が良ければ午前中にインタビューするのだが、今回は午後になってしまった。残業代はかっちり請求させてもらう。

 そうして向かった先方のオフィスは清潔感にあふれた綺麗な場所だった。通された来客用会議室の壁一面がガラス窓で光が降り注いでおり、番組としても画面映えが狙える。取材用に押さえてくれた部屋なのだろう。革張りのソファがいかにも高級そうでKJを緊張させていた。

 来客用ドリンクメニューだって豊富で、キャラメルラテなんてあるんだ、などと呑気なことを考えていたのに、数分後に差し出された手を前にアリシアは立ち尽くしていた。

「アリシア……! おい、アリシアってば!」

 KJの鋭い声で我に返る。

「えっ、あっ、ごめんなさい」

 アリシアが頭を下げておずおずと手を握り返すと、取材相手——マークは微笑む。相変わらず爽やかでかっこいい。

「いえ、お気になさらず。はじめまして」

「……ハジメマシテ」

 アリシアはおうむ返しに答えた。頭の中は疑問符で埋め尽くされている。

 取材のアポイントはKJが取った。取材相手の名前はもちろん事前にチェックしていたが、マークなんてセントポールに何人だっている。そんな物語みたいな偶然を想定するわけがない。

 あるいは順序が逆だと考えることもできる。マークはインタビュアーが誰なのか事前に知っていたはずだ。だから公園で寝ていたアリシアに声をかけたのだろうか。そしてランチに誘ったというのか。

「……」

「今日はよろしくお願いします」

 じと、と睨んだがマークは完璧な王子様の顔で微笑むだけだった。マークがそういう体で進めるなら、アリシアだって乗るまでだ。

 交換した名刺の肩書は、Managing Director——世界的大企業の役員だった。眩暈がしそうになる。とんでもない相手とランチをした……いや、それ以前に寝ているところを介抱させてしまったわけだ。

「三十代前半で役員なんて大企業だと珍しいですよね」

「老舗は保守的な会社が多いですからね」

 今回の期待の新星が大企業の若手だというのは認識していた。こうもさらっと答えられると、本物なのだと認めるしかない。

 アリシアはどこか諦めたような心地でマークにタブレットを差し出した。粛々と取材準備を進める。

「……こちら、本日の質問項目です。事前に送付させていただいたものに数点追加しました。お答えづらいものあれば除きますので」

「いえ、この内容なら大丈夫ですよ」

 質問事項に目を通してマークは答えた。

 そもそもKJはアリシアの携帯を通して一度通話しているはずなのだが、全く気付くことなく機材を調整して満足そうにしている。気付かれたら気付かれたで困るのだが、マークの微笑みに余裕を感じて不満だ。

「イケメンで独身って紹介しちゃっていいですか?」

 KJは気付くどころか、油断した隙に俗っぽい提案をしている。なんでこんなに鈍感なのだろうか。

 アリシアはじろりとKJを睨んだ。

「ちょっと、GDCの品位が問われるような編集しないでよ」

「えーキャッチーで数字とれるのになあ。あ、恋人はいます?」

「KJ!」

 いつの間にか機材に赤いランプが点いている。収録がはじまったのだ。いかにもマスコミらしい数字狙いの誘導はアリシアの忌避するところである。

 KJの失礼な質問にも、マークは困ったように笑うだけだった。

「いませんが……気になってる人がいるので、募集中とか書かないでくださいね」

「ちぇ。了解です」

 KJは素直に引き下がったのだが、マークがなぜかアリシアを見た。意味を考えている場合ではない。仕事中だ。

「じゃあ、一つ目から順に質問させていただきますね」

 はきはきとした口調で、強引に話題を切り替えた。本来は答えやすい雰囲気作りからアリシアの仕事なのだが、マークは十分リラックスしている。アリシアはきりっとしたキツめの声を出したはずなのに、楽しそうに笑っていて何だかずるかった。

 取材は着々と行われた。事前に送った質問事項に回答してもらう形式なので、マークも回答は用意してある。役員に抜擢されたきっかけ、プロジェクト成功の要因、挫折した経験——ありふれた質疑において、いかに生の声を引き出すかがアリシアの腕の見せ所である。マークの話を理解しながら、より詳しく質問しているといつの間にかすっかり仕事モードに切り替わっていた。

 時々盛り上がって脱線してしまったが、それも仕事のうちである。タイムスケジュールには織り込み済みで、取材は当初予定していた一時間程度で終了した。いい表情を引き出せたし、これで絵もばっちりだ。あとはKJが編集して三分程度の内容に仕上がる。

「今日はありがとうございました」

「いえ、こちらこそ」

 最後に握手をして、アリシアはあっさりと会議室を退出した。マークも最後まで初対面で押し通すようで、先日のあれこれに言及されることはなかった。会議室を出てしまえば赤の他人だ。流石にもう会うことはないだろう。

 どの質疑を採用するかKJと話しながらオフィスのエントランスに向かう。入り組んだ構造でもないので帰りの案内は断った。持ったままだった名刺も歩きながらしまい、来客カード返却の段になってアリシアは立ち止まった。

「あ……ちょっと忘れ物したみたい。すみません、すぐ戻りますので」

 エントランスの警備員に断りを入れると、立てた親指と笑顔が返ってきた。KJも快諾してくれる。

「じゃあ、そこのスペースで待ってるよ。俺も会社に連絡しときたいから待たすかも」

「全然いいわよ。じゃ」

 アリシアは踵を返して先ほどの会議室に向かった。ちらりと振り返ると、KJがエントランスのテーブルに機材一式が入った鞄を置くところだった。椅子もあるので、十分程度なら迷惑にならないはずだ。

 会議室が近付くにつれ、アリシアの足が徐々に早まった。早く戻らないと、忘れ物がいなくなるかもしれないからだ。

 大股でヒール音を響かせて会議室に辿り着くと、ちょうどマークが出てきたところだった。アリシアを見つけると驚いて目を丸くする。

「やあ、アリシア」

「……やあじゃないわよ。な、何なのこれ」

 アリシアの声が裏返った。気にせず名刺を突きつける。

 しまうまで気付かなかったが、名刺の裏に数字が手書きされていた。明らかに電話番号で、名刺に記載された番号とは異なる。

「見て分からないか?」

 マークは首を傾げた。

 見たら分かる。分かるからこうして問い詰めているのだ。

 口を引き結んだアリシアに、くっくと破顔した。オフィスの廊下にはいくつか人影があったが、楽しそうに立ち話している二人を気に留める社員はいない。アリシアが眦を吊り上げたところで、傍から見れば平和な会社の風景の一部でしかないのだ。

「何笑ってるのよ……」

「ご、ごめんごめん」

 マークはアリシアの手首を掴み、ぐいと引いた。

「!」

 反応できなかった。

 まるでダンスでも踊るみたいにくるりと体がいれかわり、気付いた時には会議室の中に引き込まれている。扉を背にしてマークが立っており、会議室に二人きりだ。

「そこに立たれると帰れないんだけど……」

「電話番号書いたのはダメもとだったんだが」

 ごにょごにょと呟いたアリシアの主張は、マークに届いていなかった。

 アリシアの手をマークの両手が包み込んで、じっとまっすぐな視線が向けられる。

「直接話せるチャンスがもらえたから、ちょっと頑張るよ」

 アリシアの喉がひゅっと鳴った。悲鳴を上げなかっただけ褒めてほしい。

 頑張るってなんだ。そのきらきらした目はなんだ。

 こんなの期待しない方が無理だ。しかもその熱のこもった目にはちょっとだけ不安が浮かんでいて、たちが悪い。

「今日の夜、空いてる?」

「……デート?」

「だといいな。アリシア次第だが」

「空いてない」

 即答すると、マークの眉が下がった。そんな姿を見てまた心臓が跳ねる。

「……平日夜はね」

 アリシアはつんと顎をそらした。けれどそれが限界ですぐに顔が緩み、またマークに笑われてしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る