2-3 初恋の人

「姫さま…」

「だからといって、どうにもならないけどね。私は自分の立場をわきまえている」

彼の片手を捕まえ、自分の背中に回すように促す。

「ただ、夫になる人は私よりふたつ下、それも色の白い、線の細い、大人しい男なんですって。ね、いつ皇子みこができるか分からないでしょう?」


おずおずと彼女の背中に手を回そうとする彼に、

「だから母上が言ったの。嫁ぐ前に、誰かに手ほどきしてもらえって」

「そ、そんな…」

実の母にそんなことを言われるなんて、千慧里だって耳を疑ったほどだ。

宗伽にとっては、もっと大きな衝撃だったにちがいない。


「それも、王女という特殊な環境のせいよね。そして、国同士の婚姻、などというやっかいな取り決めのせい」

そっと腕をほどき、彼の胸にもたれる。

大人の男になった彼の胸は広く、とても心地よかった。


「…私にとっては、天からのひと言に思えたわ。

 王女として大事に育てられたおかげで、男女の色恋などひとつも体験したことがないんですもの。

 このまま嫁いでしまったら、素敵な思い出のひとつも持たないまま、誰とも知らない男に抱かれるの」


「…でも、もしかしたら、暁映ぎょうえいの太子と恋仲になれるのでは?」

ううん、と首を振り、千慧里は続ける。

「そんなことは、この結婚には関係ない。

 恋仲になろうがなるまいが、私の行き先は決まっている。そのことがとても重く感じる…」


こんなことを口にしたのは初めてだな、と彼女は思った。

いつも心の中にありながら、口に出してはいけないことだと思っていたから。

「だから今夜、私に思い出をちょうだい。

 あなたの家のことは分かってる。でも私はもう、この国に帰ることはないかもしれないから、今夜だけのことだわ」


そう言うと、思い切って伸び上がり、彼の頬を両手で捕まえて、その口に自分の唇を押しあてた。

それで合っているのかどうかも解らずに…。


宗伽の妻は、今、身ごもっている。

彼の頭の中で、妻のことと、千慧里の言うことをどう受け止めればいいのかが交錯している。

ただ、今夜のことは王妃もご存じで、この部屋には鍵が掛けられている。

このまま千慧里を遠ざけて、ここで一夜を過ごすことは難しそうだった。


それに、もしそうしたとき、自分や妻が、この先どうなるかも心配だった。

王宮で働く者には、そういうかせが履かされていることを、改めて知った。


…きっと、どうすることもできない。自分が求められていることを果たすしかない。

一度だけ…、一夜だけ…。

子どもの頃、妹のように可愛がっていた千慧里は、自分が初恋の相手だと言う。

そのことを信じるしかない。


そう思うと、宗伽は彼女の身体を抱き寄せ、離れていこうとする唇にもう一度口づけをした。

「姫さま、良いのですね」

念を押すと、千慧里から、今までの余裕のある表情が消えた。


目の前にいる人は王女ではなく、ただの運命に翻弄されているうら若き女人じょにんだった。

彼女も、これから起こるさまざまなことが不安なのだ。

見知らぬ国、一度も会ったことのない夫、慣れない生活、知り合いは連れて行く侍女だけ、そんなところで一生、生きていかなくてはならない。


そんなものに押しつぶされないよう、必死で耐えている。

そう思うと、千慧里が哀れで、何とかしてやりたくなった。

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