3章 4.私はあの変装で、完璧を装う。

 ついに私はこの戦地へ足を踏み入れた。


 変装は完璧だ。なんてたって青のキャップの中に長い髪はまとめ入れ、眼鏡にマスクも装着し、そして全身には紺の作業着を身に着けている。それになんと上半身には太陽に輝くオレンジ色の反射板付きだ! 

 

 そうだ、これは日本全国民、いや世界中が度肝を抜かれたあの世界企業である元会長のミラクルイリュージョンな変装を参考にしたのだ。ほんとに凄かった、どこからどう見てもあの変装は完璧だった。


 目の前で注文していたほそっこい男子は、なぜか慌てるように帽子を深く被りなおし、オレンジジュースを持ってそそくさと席へ歩いていった。水戸達の隣に。


 ……あれ、美味しそうだな。


「私もさっきの男子が持っていたオレンジジュースを下さい!」

「は、はい……」


 やはりな。どうやらこんな目の前にいるニコニコ店員にも私が『最上さいじょうまこ』だということはばれていないようだ。あの元会長と同じく、私の変装も完璧のようだ。


 フレッシュなオレンジジュースを待つ間に向こう側に座る水戸みとの姿を発見する。背中しかこちらからは見えないが、水戸の前には背の小さな女子が座っている。


 ――ついに『神』降臨だ。

 

 まだ編集者は来ていないようだな。


 おし、左側の席はさっきのほそっこい男子が座ったが、まだ右側の席が空いている。あそこに座ってやろうではないか。……さっきからテンションがおかしい。完璧な変装のせいか、この緊張感のせいか……。


「お、お待たせしました~!」


 先程からなぜか言動がおかしいにっこにこな店員からジュースを受け取ると、ずんずんと水戸達が座る隣の席へ向かう。うん、ここなら会話も聞こえそうだ。

 そして『腐女子のJK』の顔がはっきりと確認出来た時、私は目を見開いた。


「あのミニマム女子……!?」


 やばいやばい、心の声が漏れ出てしまった。

 この子はツタタのサイン会でも、CM撮影の時もいた子だ……!

 この子だったのか!? 

 『腐女子のJK』とは……!

 やばい、今すぐ声を掛けて友達になりたい。

 ……いやだめだ、抑えろ、抑えるんだ、最上まこよ……!!


 ここはとりあえず、編集者の話を聞いてからだ。

 私は椅子に腰掛けると、さりげなくスマホを取り出し、誰の会話も聞いてなんかいませんよなテイで、スマホ画面を覗く仕草を始めることにした。この場所の角度なら水戸達の姿もさりげなく見ることも出来そうだ。


「いらっしゃいませ~!」


 そこへメールで教えてもらった服装と同じベージュのジャケットにデニム姿の男性が慌てて店内へ飛び込んできた。注文をせず、こちらへずんずんと近づいてくる。


「こんちは! 初めまして! 田中っす! いやーお二人ともおっしゃってた服装ですぐに分かりましたよ! ちょっと注文してくるんで、待っててくださいっ」


 ついに来た、創米そうべい社の田中という者が。

 見た目は太ってはいないが中肉中背といった体つきに、水戸と同じ30歳ぐらいか。襟足を伸ばした茶色の髪型のせいか少しチャラく見える。

 二人が初めましてと言ってる間にレジへ向かって行ってしまった。なかなかそそっかしい男だな。


 すると再び水戸と二人きりになった『腐女子のJK』が口を開いた。


「あの、おじさんって、ほんとにゲイなんですか?」


 さすが神……! 単刀直入すぎて潔いな。

 

「バイセクシュアルです」


 おい水戸! そこは本当の事言わなくていいから! 


「バイセク……?」

「男女とも愛せる、ということです。あなた様はやはり腐女子なのでしょうか」


 水戸、お前もなかなかだな。


「ん~女子だけど腐ってはないです~。ほら私の手、握ってみてください、腐ってないでしょ~?」


 神、そうだ、そうなんだ……! 男色を愛する女子を腐った女なんて、一体誰が名付けたんだよ……! 

 やばい、神の言葉が心に染みる……!

 しかし、最後のはギャグか? ギャグなのか? 水戸もマジメに手握ってるし。


「すんませんっ、お待たせっす!」


 田中と言う者は水戸と『腐女子のJK』の間にどすんと座りアイスコーヒーを勢いよくテーブルに置くと、カバンからがさごそと名刺を取り出した。


「改めて宜しくお願いしまっす! いや~お二人の合作読みましたよ! いいっすね~! えーと、君が『腐女子のJK』さんですね? そしてこちらが『ゲイのおっさん』で間違いないですか? 作家名だと言いにくいんでよかったら名前教えてもらってもいいすか?」


「水戸です」

「立石由衣です~」


 田中という者はそれぞれに名刺を渡しながら、名前を答えた二人の顔をまじまじと見つめ、『腐女子のJK』に質問を繰り出した。


「立石さんは女子高生?」

「はい、そうです~」


 きょとんとして答える『腐女子のJK』をなぜかこの田中はそわそわして見つめている気がした。そして今初めて知った。私の『神』である『腐女子のJK』の本当の名は『立石由衣』だということを。

 

 ……あいつと同じ苗字か。

 ……ちょっと待て。何かすごく忘れている気がするぞ。


「え~では、僕っすね、メールでも伝えたっすけど、今年立ち上がったばかりの創米そうべい社っていう出版会社のライトノベルの編集者をしてるんすわ~。ほら、今本が売れない時代っしょ? だから今、色んなサイト回って、こう、キラッと光る作品見つけてるわけでして~。そしたら『銀氏物語』がこうキラッとミラクル光ってたんすわ~」


 ……大丈夫かこいつ。メールの文章とだいぶイメージが違うな。いつの時代のヤンキーみたいな喋り方してんだ?


「見つけていただき光栄です」

「嬉しいです!!」


 冷静に受け答えする水戸と、満面の笑みで返事をするこの凸凹コンビがなぜかとても愛おしい。


「それで~、僕が今度の会議に書籍化に向けての企画出すんで~、そこでもしオッケイが出たら、また連絡したいんすよ~」

「わ~すっごーい!」

「ありがとうございます」


 すると、水戸のスマホが鳴り響く。


「すみません、少し失礼します」


 水戸は席からすっと立ち上がると、電話に出ながら店の外へ出た。……私の仕事の話かもしれないな。


 二人きりになった『腐女子のJK』と編集者の田中という者は、テーブルにあった飲み物を飲みつつ、話を始めた。


「で、RINE、教えてくれる?」

「はい!」


 おいおいおいおい、神よ、いいのか? そんな簡単に連絡先教えていい……か。

 ……そうだ、この田中は名刺もしっかり配ってたし、創米社っていう会社のホームページもちゃんとあったし、怪しい者ではないはずだ。『クリンク』上だけで連絡取るのも何かと不便だしな……。


「君、可愛いね~」

「ありがとうございます~!」


 ちょっと待て。なんだそのいきなり明らかなチャラ男発言は。そして全くもって疑いという言葉を知らないその神の純真さは。まさか私の突っ込み待ちとかではなかろうな。


 ……そしてさっきからすごく気になるのが、神達の向こう側のテーブルに座るさっきのフレッシュオレンジジュースなほそっこいキャップ男だ。頭をなぜかとてつもなく絶望したかのように抱えながら下を向き、小刻みに震えているのが私から見てもありありと分かる。

 ……大丈夫か? あの男。


 そんなほそっこい男子を不思議に思っていると、編集者の田中という者はニヤついた顔でまた口を開いた。


「……ねえ、俺とさ、あとで一緒にあそこに行かない? 俺に楽しいことしてくれたら、必ず会議で『銀氏物語』を通してデビューさせてあげるからさ……」

「ほんとですか~!?」

「うん、もちろんほんと~」


 ……今、なんつった?

 水戸がいなくなった途端に、急に態度を変えやがったこの世にはびこる悪しき鬼畜野郎め。

 何をさっきから、清らかな神の耳元でニヤニヤしながらささやいている?  

 もしこれが私のただの聞き間違いなら、今言ったことは全て取り消してやろう。


「わ~嬉しい! じゃあ水戸さんも誘わないとですね~!」


 ちょっと待て。水戸も誘うのか? え?


「……はははっ、由衣ちゃんってば冗談すぎるっしょ~。俺は由衣ちゃんとだけ楽しみたいんだよね~」

「私だけとですか~?」

「もう、とぼけないでよ~。そうに決まってるじゃーん。水戸さんまで連れて行くなんて、由衣ちゃんおもしろすぎっしょ! だってあそこだよ? あそこ~」

「あそこ?」

 

 ……確かに神ってばおもしろす……、じゃなくて、この男、マジで何言ってんだ? 


「ほら、ホが付く3文字のと・こ・ろ!」

「ん~?」


 神が斜め上を見ながら本気の本気で考えてるし! おいおいおいおい、そこはそんなに考えるとこじゃないだろ!? ……てか、もしや神ってばこんなに無垢なのか? やばい、これは想像以上だ……。いやいやいや、ここは止めないと! どうすりゃいい、どうすりゃいいん……だ!!


 私は頭をかき乱し、隠していた髪は乱れ落ち、怒りと混乱からか体はいつの間にかさっきのフレッシュオレンジジュース男並みに震えが来ていることに気が付いた。

 

 そして、そのほそっこい男と同じジュースが入った自身のコップを殺気だったまま、いつの間にか強く握りしめている自分がいた。


「もう、ほんと由衣ちゃんって可愛いんだから~。だから、ホ・テ……」

「おめぇ……、ふざけんなっ!!」

 

 気が付くと立ち上がっていた私はその鬼畜野郎をみかん色に染めていた。


 頭のトップオブトップからびしょびしょにしてな。

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