第4話 自由

 なにかの木の葉が光を反射してきらめいている。それを「木漏れ日」と言うことを、彼は知らない。ただ、マヌケなほどに単純な感嘆が漏れる。


「きれい、だな……?」


 地面は彼の配下の血を吸った。木々の幹にも赤い飛沫の跡がある。それはまだ生々しく、乾いていない。飛び散った血、心臓の鼓動とともに波打った血も、そのあるじの絶命とともに等しく重力に引かれるさだめとなった。


 鳥が鳴いている。見上げれば、透き通るような青空。視界に色彩を失って久しい彼が、美しいと思った風景は、呪縛からの解放の末にあった。ただ、それは彼自身に苦難が迫りくる予兆でもあった。


 彼のほかに、生き残りがいた。は焦っていた。自分の顔を、襲撃者に見られたかもしれない。を紹介していた女が、盗賊団とともにいたと、知れてしまってはならない。


 呑気に森のなかに佇む、図体だけはご立派で精神性は幼な子のような、ならず者たちを束ねる求心力としてのみ存在を要求された、文字通りの傀儡。彼に、もう用はない。


 勘だけはいい若い商人を、自分の命令により殺めた吊り目の男は、喉元をパックリと切り裂かれ、目をひん剥いて息絶えていた。女は、その目を閉ざしてやることもせず、男の腰から刀を引き抜いた。


「いくら不死身だって言ったって、心臓を一突きにすれば血が足らなくて死ぬわよ。いままでの修羅場だって、止血の手当くらいはされていたからねぇ」


 短刀を、胸骨の下辺に固定。しっかりと握りしめて、ただ、突進。


 グサ


 獣の皮で作った袋に満杯に注がれた酒が、皮にできた傷から勢いよく噴き出すようなーー血。殺すつもりで刺したのに、思わず刺した短刀の周囲を手で押さえてしまうほどの、鮮血。


 刺した相手が、ゆっくりと振り返った。その表情が、女の動揺と興奮を一気に冷ましてしまった。


「……驚かないんだ。私、あんたのだったのに」


「なか、ま……? あなたが?」


 一度氷のように冷えた心が、突沸する。火山から噴き出すマグマのように、煮えたぎる。裏切ったのは自分であることさえ棚上げして、同胞意識なんてなく、彼を利用していただけの自分は免罪して、首領であった彼に怒りがぶつけられた。


「どうして! どうしてあんたは! そんなにも腹が立つの!」


 つぅ、と彼の目が細くなった。ぞわ、と女の背が寒くなる。


「お、怒ったの? 人の情がないバケモノのくせに、」


 女は息を呑んだ。彼は、絞り出すようにして、目尻から涙を出した。それは頬を湿らせ、たくさん血を吸った地面に、吸い込まれていく。


「……いたい」


 女は混乱した。まだ彼の体のなかに埋まったままの短刀の刃が、途中からボトリと折れた。長く雨風に晒され腐食したかのような刃は、つい先ほどまでよく研がれて鏡のようであったのに、錆びて見る影もない。


 それに、彼の肉体は、体内に残された刃を取り込むようにして治癒されていく。ボコボコと泡のように皮膚が盛り上がり、刀を包み、バケモノが刃を食ったかのような悍ましさで、傷口は塞がった。


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い………………


 それから彼は苦悶し始めた。血は止まり、体内組織も順調に回復しているように見えるのに、体を掻きむしって苦しみ、息ができないかのように喘ぐ。


「これが……不死の代償…………?」


 女が立ち尽くしている間に、異変を聞きつけた隣村の人間が現れた。女は、血ばかりの光景のなかで、武器であるらしいなにかを持って突っ立っている。ほかに人はいない。


 死んでいるのは盗賊団の構成員だと、隣村の調べで明らかになった。その盗賊団の構成員のほとんどを、女一人で殲滅させたとは考えにくい。


 凄腕の護衛を雇ったおかげで盗賊団の被害に遭わなくて済んだ商人が現れた。盗賊団を殲滅させていたのはその護衛であり、女は盗賊団の残党だと結論されるまでに、さして時間はかからなかった。

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