第7話 雨の降る前に気持ちが逸るのはどうして

 少年は柚の顔をちらりと、一瞬だけ見たが、斧を握り直すと、再び動かしはじめた。薪の割れるよい音が、辺りに響く。


「その手の質問には答えられない。言えば、旅籠にも迷惑がかかる」


 もったいぶった言い方。助けてあげたのに。生意気だ。柚はむっとした。


「じゃあ、名前だけでも教えて。『誠』?」


 核心を突かれたように、少年は顔を強張らせては固まってしまった。『どうしてそれを』と表情が語っている。こういう顔は幼い。


「ちょ、ちょっと! あなたの着ていた戎服の腕章に、そう書いてあったから。深い意味なんてないのよ。動揺しないでくれる?」

「俺は、鉄之助(てつのすけ)だ」

「てつのすけ……」


 ふうん。『誠』とは関係ないのか。ならば、うろたえることもないのに。まだ、なにかあるのだろうか。深いところまで勘繰ってしまいそうになる。


 柚がそう思ったとき、鉄之助は割り終えた薪を両脇にかかえ、ついっと向こうに歩いて行ってしまった。


 薪は明日以降も充分使えそうな量。しかも、丁寧に割ってあった。


 取り残された柚は旅籠の庭を眺め続けた。父が心をこめて育てている、松の木の庭だ。季節を通じて緑のある庭なので、柚もお気に入り。さびれた旅籠には不似合いなほど、整っている。お客さまにも評判がよい。


 でも。

 鉄之助、感じが悪い。かわいくない。


 自分が助けてあげたのだから、もっと感謝の意を示して、笑顔で、殊勝に、しおらしくしていればいいのに。柚に対して、まったく媚びないところが苛立つ。



 柚にとっては好印象ではなかったとはいえ、文句も言わず、まめによく動き回るので、旅籠の者にはすぐに重宝がられた。

 自分の名前しか読めない子どももいる中で、少年はよく勉学を積んだようで、すらすらと澱みなく字が読めるし、実際書けた。算盤もできる。たぶん、柚が読めない難しい漢字も知っているようだった。

 愛想がいいわけではない。どちらかというと、無口で静か。けれど、よく気がつくというか、配慮もあって控え目。以前、よほどいい師にでも、ついていたのだろうか。


 じめっとした風が、柚の頬を撫でたかと思うと、水滴が落ちてきた。

 いよいよ、雨が降ってきた。

 長い雨になりそうだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る