2 不穏

 艦長室はそれなりに広く、ソファーが数人分置かれ机もまた大きめのものが設置されている。


 その部屋に艦長、副艦長、それに生体車リヴィングマシン造詣ぞうけいの深い整備士、機械技術者、機関長、通信長、船医が集められていた。それらの役職は今では殆どお飾りになってしまっているが……。


 室内にはそれに加えオーエンと先程の男……ヴォルグがいた。  


 艦長たちは突如ヒュペル内に現れたオーエンに奇異の目を向けていた。


「持ち物の検査と生体車の調査はさせていただいた」


 最初に口を開いたのは副艦長だった。


「荷物に関しては軽く検査をさせてもらったが、異常と言える量の麻痺薬と錠剤が持ち込まれていたけれど……」


「あれがなくなったら死んじゃいます」


 書類に目を向ける副艦長はその言葉を予想していたのか、それ以上の追求を行いはしなかった。


 そして書類をめくり整備士にちらりと視線を向けた。


「荷物に関しては良いよ。健康状態に関しても船医の調べによると、てのひらの異常な傷跡きずあと以外に目立った点はない。ただ、まだ見つけられていないだけかもしれないからこの艇にいる間は定期的に医務室を訪れてほしい。そして君の乗ってきた生体車リヴィングマシンだけど……」


「使い物にはならない……と?」


「ああ、代わりの鮫でも見つかれば別だが……あの鮫はもう死んでいる。甲板に打ち付けられた衝撃と外気に長く触れすぎたのが原因だろうね」


「でしたら、代わりの鮫が見つかるまでこの艇に乗せていただくことはできませんか?」


 オーエンは最初からそのつもりだった。あの衝撃の後に生体車リヴィングマシンが無事だ、などというご都合主義があるはずないと分かりきっていた。


 副艦長はその発言に口元のしわを少し揺らし笑う。


「君がそのつもりなら話は早い。ただ、この近海には鮫は殆ど出没しない。仮に捕獲できたとしても君の満足する体格のものかはわからない。だから半年後の海区エリア四六一フォーシックスワンにある生体車市場マーケットまで待つつもりで……」


「この近海では」


 副艦長の発言を割って、オーエンは呟く。


 瞳の蒼はごうごうと燃えているかのようであった。


 片手には包帯が巻かれ、明らかに負傷している人間だというのにそれを感じさせない力強さを持っていた。


「額に星のマークを持つ鮫が出没すると聞きました。あれは……」


はだめだ」


 艦長がはっきりと言った。


「あれに手を出そうなどと考えるな、来訪者たわけめ」



「艦長のことを悪く思わないでくれ。あの人は、今の生活を保つことに死力してんだ。これ以外に生き方を知らねぇから、崩したくねぇのさ」


 艦長室を去り、長い鉄の廊下を歩く二つの人影。


 一つの巨体はヴォルグ、もう一つの小柄な体はオーエンだった。


 オーエンの顔色はあの質問以降も変わることはなかったが、内面までは誰にも読めない。


 ヴォルグは頭の後ろで腕を組みながら顔色を窺うように目を細める。


 少女は依然何を考えているか読めなかった。


「この艇にはこの艇の規則ルールがあります。そして常識モラルがあって、非常識タブーがある……。それらをポッと出の来訪者が口をはさんで好き勝手出来ませんから」


 人のいない廊下によく響く声だった。


 怒ってるわけでもなく、悲しんでいるわけでもない。


 ただその声はよく耳に残る声だ。


「ところで……」


 恥じらうように目を伏せ、口をとがらせる。


「この艦には豚の肉はあったり……します?」


「まぁ……ありはするが」


「夕食とかに出る日はあり……ますか?」


「まぁちっと野菜炒めとか。市場で入手できれば」


「ぶっ……」


「ぶ?」


「ぶた……どんが……夕食に出る機会は……?」


 顔を赤らながらもまっすぐにヴォルグを見据え、真剣にそう訊く。


 ヴォルグは一寸目を丸くしたが、思わず吹き出す。


 オーエンはこつんと彼の腕をこぶしでつく。怒ってるみたいに。


「し、真剣に聞いてますっ! 答えてくださいっ。おじさま!」


「おじっ……。いや、しかし……そうか」


 文句がありますの、と不満そうに目を向ける。


 ヴォルグは未だ笑いの尾を引き、あがった口角を手で覆い隠す。


「好きなのか、豚丼」


「……好きです、豚丼」


 しょんぼり、観念したように呟く。


 それは年相応の少女の姿だった。


 戦いとは無縁の姿で、胸部甲冑ボディ・アーマーにマントという戦闘意思むきだしの装備からは想像できない姿であった。


 いや、こちらが本来の姿なのだろう。


 それを歪ませたが、彼女の中には存在する。


 そう思うと、微笑ましくも心が苦しかった。


「豚丼はそう出やしねぇよ」


「そう……です……かぁ……」


 肩を落とし、あからさまにがっかりする。


 ヴォルグはそれに対抗するみたいに明るく胸を張って、少女の肩に手を置いた。


「そう落ち込むんじゃねぇや。近いうち市場のある港町に寄るはずだ。そこならいろんなところから食材も集まってるから豚丼の店くらいはあるはずだ」


「!」


 瞳が輝く。蒼の瞳はこの時ようやく轟々と燃える炎ではなく、潮風をのぞかせたように見えた。


 けれどその瞳が直後に曇る。


「お前がそう急ぐ気がねぇなら、二か月としねぇうちに食えるだろうよ」


 言葉を紡げどその曇りが晴れることはない。むしろその曇りは、だんだんと別方向に歪んでいく気がした。


 そしてその歪みを彼は、先の船長室の彼女の発言の中で既に知っていた。


「なぁ、オーエン。お前その星の印(マーク)を持つ鮫がそんなに気になるのか」


 ヴォルグの口を出たのはそんな言葉であった。地面を踏むオーエンの踵に微かに力が入り靴音が大きく響く。


 彼女の瞳はちらりと彼の方を覗く。


 彼もふざけているわけではなかった。


 ヴォルグは彼女が鮫について言及した時普段とは異なる執着心しゅうちゃくしんに似た炎を瞳に宿した気がした。オーエンは言う。


「気になります。奴は私の仇ですから」


 廊下を進み、角を曲がる。


 そして一つの部屋の前に二人は立つ。


 そこは小さく、狭いが空き部屋だ。


 ヴォルグは扉の把手ノブを握りぐいっと開く。すこし錆びた音はしたが、特別開きづらい訳でもない。


「ここだ。まぁせまいが自由に使っていいだろう」


 扉を開ききって彼が笑うと、オーエンは自分の部屋、という事実に喜んでいるようで微かに無邪気さをのぞかせる。


「わかりましたっ」


 オーエンは中に足を踏み入れて値踏みするかのように見回し、取り付けられた寝台の感触を片手で何度か確かめる。


 ヴォルグはそれを微笑ましく眺めながら、部屋の外で壁に背中を預けて腕を組む。


「何か困ったことがあれば俺に言ってくれ。まぁ、多少のことは任せてくれ」


「ぶたど」


「豚丼は用意できねぇが、食糧庫からかっぱらってきた缶詰程度なら渡すぜ。それに、時々甲板で釣りもするからな」


 へへっと鼻を掻く。そして小声で。


「砂の海の魚といっても、食えねぇわけじゃねぇんだぜ。特殊電波の処理だったりと手間はかかるが海老みたいな味するのもいんだよ」


「海老! 食べたことありませんっ」


「似た味、だがな。まぁ、期待しててくれよ。ヴォルグクッキングの妙味あじあわせてやるぜ。驚くなよ」


 そう言ってヴォルグは笑う。なんだかおかしくてつられてオーエンも笑った。


 彼女が何やら事情を抱えていることに間違いはないだろうが、ヴォルグとてそれを詳細に聞くほど無作法な人間ではない。


 思えば来訪者は何時振りか、とぼんやりと考える。


 こんな風に笑うのもひさしぶりだ。


 一日を何をするでもなくただぼんやりと惰性だせいのようにこの艦の人間は生きている。そんな退屈ばかりの日々に何の疑問も持たず暮らしている。


 くだらない……そう思う。


 眼を指先で軽くこすりながら、ふとヴォルグは違和感に気付いた。


 廊下の曲がり角。


 ヴォルグの立つ位置から五メートル程離れた場所にあるそこの地面に微かに人影が見える。


 最初はオーエンという旅人に興味を持った艦内の子供の影かと予測していた。


 だがその影は、不自然に揺れるのだ。


 人が動いているというよりは、まるで灼熱しゃくねつの中の風のような揺らめきを影がするのである……何とも言えぬ違和感であった。


 微かに背筋に寒気が走り、ヴォルグは付近に立てかけられていた鉄パイプを一つ掴む。


 それは本能だった。


「どうかしましたか、おじさま?」


 部屋からひょっこりと顔を出すオーエンの瞳は、今度は心躍らせた輝きを宿し、唇は今にも歌いだしそうな様子だった。


 その楽しげな様子にヴォルグは、一瞬自分が何故こうも脅えているのかを忘れそうになった。


 首を振り、思考を戻す。


「いや、気のせいかもしれねぇが曲がり角に人影が……」


 彼がそう言い指さした先には、先ほどはいなかった人影が隠れることなく廊下の真ん中に立っていた。


 オーエンに視線を移した二秒といわない間に、である。それはあまりにも早すぎた。


 そいつは、そこにいることが当たり前のようなにこやかな笑みをたたえている。


 子供のような無邪気さを持っているが、目の下には深い隈が刻まれており、頬もこけている。


 唇は渇き、ささくれがみえる。身は細く、身長はそれなりにあるというのに体重は四十キロもないのではないか、という骨張った肉の尽き方をしている。


 みすぼらしいすすけたオレンジの服を着ており、腰には異様な曲線を描く剣が携えられていた。


 その切っ先は鉤爪のように円弧を描いているのだ。


 男の気配は、どす黒く彼自身が影なのではないかと錯覚させるほどであった。


「見つけたぞ。鮫狩りの乙女」


 ぎろり、と眼球が少女を睨む。


「どなたですか」


 先程までの笑みは消え、相手のただならぬ気配に注意しながら尋ねる。


「バルム……バルムだ。鮫狩り……これが何か理解わかるか? 」


 バルムの指先はズボンのポケットに突っ込まれる。そして、中から取り出すと、それをオーエンに向かって放り投げる。思わず受け取ったオーエンは、そのものに視線を落とす。


 何かといえば、それは円状の、方位磁石みたいな円形の物体であった。


 そこには点滅を失った暗いランプが取り付けられていた。オーエンは眉間にしわを寄せるが、結局は首を横に振る。


 そこでバルムの感情は突如として爆発し、今にも襲い掛かってきそうな勢いで鋭くにらみつけた。


 今度は敵意ではない、殺意を向けた瞳だ。


「これは遠くからでも理解る生体反応装置せいたいはんのうセンサーだ。心臓の辺りに特殊な装置メカを取り付けて、脈拍を常時リアルタイムで伝えてくれる代物シロモノなのさ」


 一歩。


 男は足を踏み出す。


 生体反応装置を床に乱雑に投げ捨て、片手を剣の柄にかける。足を揃える。それは剣を振るう構え。


「だから俺様にはわかった! ジャンゴが何時死んだか、はっきりとな!」


 来る!


 距離を詰めてくると分かるとヴォルグは付近に転がっている適当な資材をバルムに投げつける。


 だがそんなものが何の障害になろうか。


 切る動作一つ見せず、微かにその体を傾けるだけで容易に避ける。


「相手は話聞くつもりないみたいじゃねぇか! どうする」


「どうすると言いましても、こっちの言葉に耳を傾けてくれないみたいですし……」


 一歩一歩バルムの身が近づいてくる。


「人違いじゃありませんか……? 私ジャンゴという名前に聞き覚え、ありません……。そんな男の人……」


 バルムは眉間にしわを寄せ、額に血管をひくひくと浮かせる。バルムの息はだんだんと荒々しくなり、もう一度ぎろりとオーエンを睨んだ。


「ジャンゴは女だ」


 剣を再び構え距離を詰める。


「っ」


 後ろに飛びのくオーエン。


 先に攻撃に移ったのはバルムだった。


 剣を地面に沿わせながら態勢を低く保ちオーエンの眼先まで迫った。


 だが剣は宙を舞う気配はなく、地面を張ったまま近づくばかり。


 その異常性に気付いたのは意外にもヴォルグ。


「もっとだ! 後ろに跳べ! オーエン」


 言葉に応え後方に跳躍ジャンプ


 瞬間、同時。


 剣の切っ先は素早く床をなぞった。


 だがその位置は、少女が今さっき立っていた場所ではない。そこから微妙にずれた場所。


 狙いをずらした? いや、そうではないはずだということが伝わってくる。


 バルムは確かにそこをねらっていた。


 後方に跳躍ジャンプしていなければ、確実に何かをされていた。


 オーエンの頬を汗が流れ落ちる。


 恐怖が生み出したものだった。


「どうした鮫狩り。俺様の首は此処ここだぞ。俺が殺しにかかったんだ。お前にだって戦う権利はある」


 背中をぴんと伸ばすバルム。


 それは突撃の予備動作。直後、再び走り出し距離を詰めてくることは明確だった。


「ジャンゴというのはどなたなんですか。そんな女性、殺した記憶は……」


「鮫だ」


 短く。


 オーエンはそれに、「ああ」と諦めとも納得ともとれる曖昧な声を漏らす。


 それにバルムは満足したように頷く。


「お前が殺した」


 呼吸をするかのように一言。


「俺様の家族だ」


 風の速度と化したバルムの攻撃は、オーエンに迫る。


 オーエンは何処からともなく注射を取り出し、包帯を巻いている腕に刺す。


 そして注射器を捨て、バルムに対し構える。


 包帯を素早く外していく。


 その前腕部に、徐々に徐々に刃が生えてくる。


 いな、それは刃ではなく鮫の背びれだった。


 血をにじませながら生えてくるそれを、ぐっと目前に構えながら距離を詰めるバルムを見据えた。


 両者の距離はほぼゼロ。


 だがオーエンは判断が遅く、迫るバルムの攻撃を避ける動作を行っていなかった。


 危険が目前に迫っていた。

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