6-3


「……はぁー。ま、そもそも無理なんだよね。メインキャラクターになるって」

「それは……いえ、気休めを言うのはやめましょう。そうね。きっと無理。あなたも、私もね」

「何、言ってんの?」


 春華はだらだらと横たえていた体をがばりと起こした。おそらくはモブのままだろうと言う百合子を咎めるような視線を送っている。それでも百合子の方も、こればかりは譲らなかった。


「ずっと言ってるでしょう。私は、空気を読まなかった。たまたま犬塚さんがポジティブに解釈してくれたから良かったけど。あんな回答は求められていないわ。あの時の話の流れ、教室の出入口に居たなら分かるでしょう」


 百合子は嘆息まじりに少し前の自分の行動をそう振り返った。重視されるべきは結果だ。春華はそう反論したかったが、結果オーライで正当な評価が貰える世界ではないことは、さすがにもう理解していた。

 春華は再びクッションを枕に横になる。見上げる天井には、自分の部屋と同じ無機質なクリーム色の壁紙と味気ない照明があるだけだ。照明を見つめる春華の視界の外れから、百合子の声が飛んでくる。


「別にいいわよ。主役なんてならなくても」

「そんなこと、まだ言ってんの?」


 一体どうやったら分かってもらえるんだ。春華はそんな憤りを胸に燻らせたが、すぐにそれは鎮火される。他でもない、百合子の言葉によって。


「あなたがいるじゃない」


 投げ掛けられた言葉に、春華は目を見開く。百合子は以前とは違う理由で、モブという運命を受け入れようとしてるのだ。春華は気付いていなかった。二人でモブを続ければ、記憶を残したままで傍に居られる可能性があることを。

 春華はゆっくりと体を起こすと、椅子に座って自分を見つめている百合子と視線を交わらせた。


「スポットで入ることは止めない。これは私にとって大切なことだから。でも、できれば、目が覚めたときにはあなたに。春華に居てほしい」


 春華は「それって……」と呟いて、だけどそれ以上何も言えなかった。僅かに顔を赤らめ、ただ百合子を見つめる。熱っぽい視線に気付いた百合子は、困惑したように続けた。


「なに……? 私、もしかして恥ずかしいこと言ってる?」

「分かんない。ただ、あたしはすごく恥ずかしいっていうか、なんか照れる」


 妙な空気が漂っていることに気付いた百合子は慌てて軌道修正しようとしたが、時すでに遅し。春華はニヤニヤと笑みを浮かべて、珍しく慌てる百合子を観察していた。


「ちょ、勘違いしないでね。私はただ、何かあったときの補佐としてあなたを」

「律子でもいいじゃん」

「駄目よ、彼女はきっと主役になることを夢見ているわ」

「ふぅん? まぁそういうことにしとくけど」


 余裕しゃくしゃくという表情でそう述べた春華の脛を、百合子は踏むように蹴っ飛ばした。膝を押さえてのたうち、痛みが引いたところで、春華がやっと会話に戻ってくる。


「……そっか、律子もやっぱり主役目指してるんだよね」

「当然よ。モブなら普通はそう。それをどうでもいいと言うのは、あなたと私くらいのものよ」

「そんなレアなんだ」


 自分を選んだ理由について、上手く逃げられた気がして仕方がない春華であったが、それ以上は追求しないことにした。それよりも優先すべきことが目の前に転がっていたからだ。

 二人が同じ気持ちだと確認できたのなら、それを実現する為の方法を考えるべきだろう。主役を諦めるという発想自体が春華にとって未知だったのだ。考えが上手くまとまらず焦燥感だけが募る。何かあったはずだと、腕を組んだまま視線を彷徨わせる。いつのまにか、百合子に踏まれた脚の痛みは完全に引いていた。


「春華?」

「あ! 思い出した!」

「何よ……」


 一人で百面相を繰り広げていた春華に、百合子は軽く引いていた。しかし、思い出せたものは至極まともなものである。律子が言っていた輪廻希望書だ。律子と共に、百合子はどうするつもりなのだろうと様々な憶測を立てていた春華だが、心配であれば先約を取り付ければいいと思い至ったのである。


「……輪廻希望書だっけ。あれ、備考欄にあたしと一緒って書いてみてよ」


 春華は百合子の顔をちらりと盗み見る。その表情からは、元々どうするつもりだったかなど窺えない。しかし、彼女はあっさりと頷いた。


「当然そうするわ。大いなる意思に希望を明確に伝える術なんてそれしかないし。あなたとモブをしたいのであればそうせざるを得ないのよ」

「ホント!? やった!」

「ただし、覚悟なさいよ」

「え?」


 百合子とならどんな世界だっていい。大雑把な性格の春華はそう考えていたわけだが、百合子は違った。さらにその先、ある可能性を見ていたのである。


「輪廻した私達の役割によっては、どちらかが先に離脱することも十分考えられるわ。毎回毎回こうして輪廻希望書を出せるとは限らないのよ」

「え? ……あ、そういうこと、か」


 春華はこの世界しか知らないのだ。奇病も戦争もモンスターもいないこの世界しか。百合子の言う離脱が何を意味するか、少し遅れて理解した春華は声を落とした。それが確実ではないことは律子から聞いてはいたが、他に多くを望まなければ……百合子と同じ世界にとさえ書けば、それくらいは通るだろうとしか考えていなかったのである。

 第一候補しか書かなければ通りはするだろう。しかし、輪廻希望書というのは、物語のエンディングまでその世界に存在できた者だけが手に入れられる特典のようなものである。何らかの理由でエンディングを迎える前にリタイアしてしまった者は、大いなる意思の裁量で別の世界へと生まれ変わるのだ。


「でも……そんなこと、今から考えても仕方ないじゃん?」


 楽天的な春華に、百合子は救われた思いだった。彼女の言う通り、自分にはどうにもできないことを悩んでも、それは無駄でしかないのである。


「それはそうね。一応書いてみるわ。この先の世界はずっと春華と一緒がいいって」

「あたしもそう書こうっと」


 軽い調子で二人は輪廻希望書について打ち合わせる。もう一つ百合子に訪ねたいことを思い出した春華は、寝っ転がったまま、手を挙げた。授業中に発言の許可を求める生徒のようである。随分と態度の悪い生徒もいたものだと、百合子は呆れながら「どうしたの?」と問う。


「それって、どのページに出現するの? どこ見ても無いんだけど」


 律子から輪廻希望書について聞かされた日の夜、彼女は概要を見ようとレポートをチェックしたのである。しかし、それらしきページは見当たらなかった。


「私とあなたは主役と同じクラスだから、きっと出るのが遅いのよ。最後までここにいることになるでしょうし」

「そうなのか」


 それを聞かされた春華は少し安心していた。自分には希望書を出す権利が無いのかと、少し不安に思っていたのである。さらに、百合子は補足する為に続ける。


「だけど、予定ではもう一週間もないし、早ければ今夜のレポートに出るでしょうね。その日のレポートの次のページに表示されるから、見逃すということはないはずよ」


 百合子の説明に春華は頷く。本来は転生する世界観の希望を出す為の物だが、春華はそれら全てを空欄で済ませ、備考欄に「百合子とずっと一緒ならどこでもいい」と書くことを心に決めた。

 ひもじい思いをしようと、痛みを伴おうと、それでも春華は百合子と過ごすことを優先させるつもりなのである。春華はかねてより百合子のことを素直じゃないお人好しと評していたが、彼女も人のことは言えない。むしろ、出会ったばかりの百合子の為に人生を賭そうとしている姿は、見る者によっては酔狂に映るだろう。それでも春華は、自身の人生設計を改める気はなかった。

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