5-3



 その放課後のことは、夜のレポートにて、簡潔に他のモブ達にも知らされた。ちなみにモブの名前は出ていない。なので、誰が暗躍したのかはほとんどの人間が分からない。完結への大きな一歩を踏み出したこの出来事に多くの者は驚いたが、百合子の実力を知る者達は、密かに百合子の功績だろうと憶測を立てていた。特にクラスメートとして配属された者達のそれは、もはや確信に近い。こんなファインプレーをやってのける人は彼女しかいないと直感していた。

 本人は決死の覚悟で犬塚と対峙したが、憧れとは往々にしてそういうものである。努力や緊張、成長などというものは周囲からはなかなか見えないものだ。結局、百合子は事の顛末を律子にしか告げなかった。つまり、あの日教室でどんな話があったのか詳しく知る者は、百合子と律子、そして直接その勇姿を見ていた春華だけである。真実を知らされれば、おそらくはどのモブも百合子を称賛するだろう。しかし、彼女にとってそれは不要なものだった。共に協力してきた友である律子にだけ伝えればいいと心に決め、他の者にそれとなく探りを入れられても、のらりくらりと躱し続けた。




 それから二日後のことである。トントン拍子に話が進み、かなり唐突だったが、完結の二文字がレポートに記された。モブとしてはそれなりに経験のある律子ですら、その日のレポートは三度読み返した。この世界のモブで、百合子だけがただ一人、意外でもなんでもないという気持ちで記載された内容を受け止めていた。

 消灯間際ではあるが、レポートに驚いた春華と律子は百合子の部屋を訪ねていた。もはや定位置となったテーブルを囲み、そこに勢いよく手を付いたのは春華である。


「急じゃん!? びっくりなんだけど!」

「どうしてあの場で聞き耳立ててたはずのあなたまで驚いてるのよ」

「百合子さん、一体どんな裏技を使ったんですか?」


 まだ消灯ではないが、それにしてもやかましい春華を、百合子は視線で一喝する。春華はいたたまれなさそうに座ると、それでもどこか手持ち無沙汰だったらしく、クッションをそっと抱いた。


「説明したでしょう? 正直に、本当のことを言っただけよ」

「それは分かります、それにレポートにも簡単に書いてありますし。圭吾の欠点を指摘し、犬塚にそれを気付かせた、って」

「そう。そして彼女は彼の悪いところも含めて愛する覚悟をしたの。本当に、思ったことを言っただけ」


 それにしても……そう言って律子は視線を落とす。まさか二日で完結に導くほどの助言だったとは思っていなかったのである。


「すごすぎる……私にはそんな勇気の要ること、出来る日が来るとは思えません……」

「律子が聞いてたら、百合子の名誉の為に百合子を射殺してたかもしれないくらいすごかったよ。ホントに」

「射殺するときはまず春華さんからにしますね」

「それはあたしを撃ち殺したいだけだよね」


 律子は、心からの憧憬の眼差しを百合子に向ける。しかし、僅かに悔しさのようなものも滲ませていた。律子は、百合子と出会う前からずっと彼女に憧れていた者の一人だ。謙虚で完璧な人。同じ世界にやってきてから、そんな印象に、さらに優しい人が付け加えられたのである。百合子が律子と離れ難いと思っている以上に、律子は百合子を先輩として、そして友として求めていた。


「私、もっと百合子さんと一緒にモブやりたかったです……」

「律子さん……」


 百合子と、とやけに強調されたことには気付いていたが、春華は口にしなかった。指摘してもさらなる呪詛を浴びせられるだけだと学習したからである。

 それに、春華には律子の気持ちが痛いほど理解できた。尊敬の念は律子に比べると薄いが、見かけ以上にさっぱりとしていて実直な性格の百合子を、春華も友として大切に思っていた。

 なお、物語の完結を知らせるレポートには、さらにこんな続きがあった。


 ――今後、そのまま番外編に突入するので、モブの輪廻はそれらをコマに収めてからになります。役割を終えたモブから順次輪廻の手続きを取ります。期間は二週間程度を目安に予定しております。コマの撮れ高によるので多少前後する可能性があります。


 要はこれから、最終回に掲載するシーンを集めるのだ。何度も物語の完結に立ち会った百合子と律子は「あぁいつものね」という気持ちでそのレポートを読み流した。しかし、春華は違う。初めて迎える完結というものに翻弄されていた。


「番外編って……? 最後まで残ったモブはコマが全部回収できたら、その瞬間に飛ばされるとか? いきなり意識が途切れる感じなの?」

「そういえばあなた、まだ輪廻を経験していないのよね」


 百合子は春華が初物だったことを思い出す。最近は春華もモブとして上手くやっていたので、すっかり忘れていたのである。髪を耳にかけながら、百合子はこの短期間での彼女の成長に目を細めた。一方で、律子は自らの経験を元に、淡々と今後何が起こるのかを説明する。


「最後の日もこれまでと同じようにレポートに書き込まれます。輪廻は唐突ですね。私は寝ている最中に飛ばされたことも何回かあります。春華さんには関係のないことかもしれませんが、ベテランが優先される傾向にありますよ。ベテランのモブは引く手数多ですから」

「そうなんだ……でも、今回は百合子も関係ないかもね」

「どういうことですか?」

「だって、百合子は主役になるから」


 春華は真っ直ぐな瞳をしてそう言った。冷やかしなどではない。彼女は心からそう信じているのだ。しかし、律子はその意見に真っ向からぶつかっていく。事情を知らない彼女からすれば、それは至極当然のことであった。


「知らないんですか? 百合子さんは主役を目指していないんですよ」

「うん、ちょっと前まではね」


 意味深な物言いに律子は瞬きをする。春華の発言を訂正しようとしない百合子に違和感を覚え、彼女は百合子へ問い掛けるような視線を向けた。

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