4-2


 ***


「はっ」

「おっ。戻った?」

「えぇ」

「お疲れ。……いや、ホントに疲れた顔してるじゃん。大丈夫?」


 ため息をつくと、百合子はたったいま何が起こったのかを春華に話した。九条院を連れて来なかったモブに対する愚痴がほとんどだったが、春華はケラケラと笑いながらその話に付き合った。二人の間には、ベテランだとか新人だとか、そんな垣根は無かった。ただ対等な友人として、時間が許す限り雑談に興じたのだ。


 その日の夜、百合子はレポートを読んで一人「なるほど……」と呟いていた。レポートには、百合子達が知ることの他に、吹奏楽部員から「予定が合わなくなったから」と渡されたペアチケットを白鳥が受け取ったことが記されている。

 しかし、百合子は凹んだりしていなかった。春華は言った、自分は持っている、と。タイミングを考えればこれ以上なくドラマチックだろう。だって彼は同じ日に犬塚が合コンに行くことにした、と勘違いしたのだから。

 今日はいい仕事をした。自らを労って、彼女はレポートを閉じた。



 白鳥が圭吾を遊園地に誘ってからというもの、物語は順調に進んでいた。百合子達が進展しない物語に気を揉んでいたのも、過去の話となりつつある。通常、モブは作品の人気を敏感に感じ取るものだが、今回に限ってはとりあえず話が進んでくれればいいと、どのモブも停滞を一番に恐れていた。無駄口を交わさない百合子は知らないが、モブの間では百合子達が吹奏楽部に所属する一派にナイスアシストをした、ということになっている。

 デートをする圭吾達、それを聞いて「私も合コン行けばよかったなー!」とキレる犬塚、そこで初めて自分が勘違いしていたと気付く圭吾。もはや付き合っていると言っても過言ではないと、一人浮かれる白鳥。

 そこからさらにこじれて、他の男性キャラが犬塚に告白するという展開まであった。現在、犬塚はその返事を保留にし、白鳥は圭吾の気持ちが自分に向いていないことを薄々勘付き始めているところだ。物語は佳境に迫っている、少なくとも百合子達はそう考えていた。

 そんなある日の夕刻、寮の食堂の長いテーブルに並び、三人はそれぞれ難しい顔で声を潜めていた。


「まず状況を整理したいんだけど」


 百合子がそう言うと、待ってましたと言わんばかりに律子が発言の機会を得る。このような役回りはいつも律子のものだったので、春華も律子が話し出すのを待っていた。


「最近の白鳥さんは暗いです。ものすごく。だけど、誰かに話し掛けられるといつも以上に元気で……私には、それが余計痛々しく見えます」

「そう……犬塚さんに告白した男性キャラはモブではないのよね?」

「うん。名前も付いてるし、目立たないけど、物語の最初から居たキャラだったよ」


 告白をしたのがモブか名前付きのキャラクターかで、今後の対応はかなり変わってくる。モブであれば、また脇役の座を狙ってしゃしゃり出てきた者の存在を認めざるを得ないのだ。つまりその場合、メインキャラクター達に構うよりも先に、その告白をしたというモブに一喝入れなければいけない可能性が出てくる。

 二人の話を聞いて、百合子はゆっくりと頷く。春華の申告により、モブが余計なことをしたという可能性は消えた。そして、彼女達が声を潜めながらこんな話をしている核心に触れる。


「じゃあ、どうしてまた物語が止まっているの?」


 そう、順調に物語が進行しているのであれば、こんな打ち合わせは必要無いのだ。問題があるからこそ、モブという立場でありながら、今後の行方を気にかける必要が出ている。

 律子は目を伏せ、春華はあちゃあという顔で額を押さえた。二人とも、答えられないことを訊かないでくれといった表情だ。実を言うと、本日は一度もランプが点いていないのだ。クライマックスに向かいつつあるというのに、これは異常事態と言わざるを得ない。

 耐えかねた百合子と律子により、此度の招集へ至ったのである。ちなみに、春華はランプが点いていなかったことに気付いていなかった。しかし、新人の彼女にすれば、致し方ないことだ。今か今かと機会を待つベテランのモブとは違い、多少呑気に日常生活を送っていたとしても、それは責められることではないだろう。当然、優秀なモブである二人にそのようなことが露呈すれば叱責の対象になるため、ランプが点いていないと告げられた春華は「それな、あたしも気になってた」等と言い、話を合わせた。重ねて言うが、春華は気になってなどいなかった。


「それは……どうしてでしょうね……」


 何か理由があるなら教えてくれというのは、律子の心の本音である。彼女も様々な現場を経験してきた中堅のモブだが、これほど停滞しやすい物語は経験にない。まるで、風のない日に凧揚げでもしようとしているみたいだと感じていた。


「まぁ、理由はなんとなく察しがつくけど……要するに、お互い自分の気持ちに鈍感なんじゃない?」


 春華があっけらかんと告げると、百合子は頷きながら言った。


「私だって無理やり二人をくっつけるような真似はしたくないわ。だけど、レポートを読む限りでは、圭吾は幼馴染の犬塚さんとくっつくはずなのよ」


 その認識は三人とも同じであった。元々、この作品のキャッチコピーは、【要らない子なんていない!? 幼馴染が負けないラブコメディ!】である。そもそもそこまでキャラクターの数が多くなかった、というからくりは存在するが、今のところはキャッチコピーに嘘の無い作品となっている。そのせいで主人公の圭吾の優柔不断さが目立ちがちだが、男性読者をメインで取り扱っているためか、炎上に繋がったことはない。

 そして、ここで律子が一石を投じる。


「でも、妹として扱われているような幼馴染って、ポジション的に辛い思いすることが多いですよね」

「……それは否定できないわ。でも、この流れで白鳥さんと圭吾が上手くいくようには思えないのも事実。私の部屋に来てくれる?」


 それから、かなり早めに夕食を摂った三人は、百合子の部屋に場所を移した。幸い、その日三人に当番は科せられていない。風呂などの寝支度を除けば、かなり長い時間打ち合わせに充てることが出来る。

 三人はテーブルに向かい合うように座る。今日もクッションは活躍している。律子達と関わる前の百合子の生活とは一変していた。ほとんど使用されることの無かったちゃぶ台のような木製テーブルには、各々の飲み物が置かれている。

 空間を埋めるため、違和感が無いように用意しただけのテーブルやクッションが自然と使用されている有り難みを百合子が感じているかは、その表情からは読み取れないが。

 とにかく。かなり不格好ではあるが、本格的に作戦会議が始まろうとしていた。先陣を切ったのは律子だった。


「春華さん。まず、私達が理想とすべき展開がどんなものだか分かりますか?」

「一応ね」


 頷いてみせると、春華はよどみなく答えた。その回答は、これまで春華を都度指導してきた二人が成長を認めるものであった。


「あたしらが何もせずにモブとして過ごして、それでエンディングを迎えること」

「そうね、その通りよ」

「でしょ? あたしも分かってきたなー」

「調子に乗らないようご留意願います」

「丁寧な口調でキツめに釘刺すのやめろ」

「はいはい、そこまで。事態が進展しないから私達が何かをすべきなのかどうか、そこから話し合いたいということね」


 放っておくとすぐに小競り合いを始める二人にストップをかけ、百合子は進行役に徹した。

 前回の展開については、百合子だって忘れていない。吹奏楽部が白鳥に遊園地のチケットを渡した一件である。レポートには書かれていないが、犬塚の友人キャラが彼女を合コンに誘ったことすら、別のモブのグループが働きかけた結果なのかもしれないと考えていた。不可能は承知で、モブ全員で作戦会議をしたいものだ、等という下らない考えが百合子の頭を過ぎる。


「レポートには書かれていないから確認したいのだけど、白鳥さんはどうして圭吾と付き合っているようなものだと考えているの?」

「あー、あたしも気になってた。たった一回遊園地行っただけじゃん? それはちょっと……白鳥さん、結構重いよね」

「もちろんそれだけじゃないですよ。最近はほとんど毎日お弁当を作ってきているみたいですし」

「それはあたしも見たよ。っていうか、ここんとこ毎日「また明日ね!」って言いに来るんだよ、あの子」

「そう……」


 話を聞いているだけでも、いたたまれなくなるほど健気な女子である。百合子は気の毒に思いつつも、淡々と事実を整理していく。


「つまり、遊園地というきっかけからなんとなく始まって、現在はお互いに口には出さないけどラブラブ、という状態だと思っているのかしら」

「だろうね。ま、個人的にはこうなる前に圭吾が分かるように一言言うべきだったと思うけど」

「珍しく春華さんと同意見です」


 酷かもしれないが、律子も、春華ですら悲しい状態の白鳥を否定しない。そして思い付く限りの手段を出し合った。


 どっちつかずな態度を取る彼にはっきりするよう働きかける、白鳥に圭吾をフらせる、犬塚と白鳥をバトらせるなど。忌憚なき意見を交換したが、三人がこれだ! と口を揃えて言えるような妙案は出てこなかった。


「ごめんなさい、今日はここまでにしましょう」

「そうですね。焦る必要はありませんし」

「下手打ったらそれこそおしまいだもんね」

「そういうこと」


 そうしてその日の作戦会議はお開きになった。二人を送り出し、部屋で一人きりなった百合子は、久方ぶりに勉強机の椅子へと腰掛けた。特に進展は無かったものの、有意義な意見交換ができたと思っている彼女は、そろそろ更新されるであろうレポートへと手を伸ばそうとした。しかし、彼女が一人になるタイミングを見計らっていたかのように、百合子の頭の中で大いなる意思による声が響く。

 効果的な解決策を見つけられなかったという気晴らしには持ってこいだ。そう思った百合子は、レポートに伸ばしていた手を止めて立ち上がる。部屋着に着替えると、すぐにベッドに潜った。机にそのまま突っ伏しても良かったが、身体をいたわるという意味で彼女は大事を取ったのである。


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