2人で歩んできた、というのに

 我ながらバカなことをやっているという自覚はあったが、それでも手ぶらで編集会議へ参加し、またこっぴどくデスクに叱られることを想像すると自然と身体は車を運転していた。結局あの後、新聞社を飛び出した城崎は夜通し車を走らせ、町外れの峠道に設けられた待避スペースに捨てられた大型冷蔵庫を見つけ、その前に車を停めていた。

 時刻は午前1時。勿論、住民を叩き起こして取材する訳にはいかず、ひとまず書ける範囲で原稿を書いてしまおうと、運転席のシートをいつものように最大限後ろまで下げ、膝の上にノートパソコンを広げて校正機ソフトとブラウザーを立ち上げる。

 校正機ソフトにまず「最新テクノロジー粗大ごみに挑む」と表題を書き込み、概要を一気に書き上げていく。同時にブラウザで「地球消しゴム」と検索をかけ、トップに出てくるであろう公式サイトを探る。

 が、無い。そんなバカな、と焦って言葉を変えて検索を書けるもヒットしない。出てくるのは胡散臭いSF小説やドルえもんのこんな道具があったらいいのにというツッピーのバズった記事など。公式サイトどころか、地球消しゴムに関わる一切の情報が出てこない。

 「は?」訳がわからない。いつものように指の関節をぽきぽき鳴らすと、今度は青海に社内ツールで連絡を取る。「さっきの件、とりあえず現地について粗大ごみの前にはたどり着いたんだが、肝心の地球消しゴムの情報に辿り着けない」

 すかさずレスポンスが返ってくる。

「お疲れ様。どういうこと?」続いて、「ああそういうことか。確かに。こっちでも検索かけてみたけど、確かに何も出てこない。お前それもしかすると本物のドルえもんの道具じゃね?」

 「んな訳ねえだろ。それより公式サイトが無いってことは、クラウドファンディング?」

 「それ俺も思って検索かけたけど違うみたい。マジで出どころは何処なんだ? ステマか?」

 「違うのか。ますます意味不明だな。とりあえず明日朝一でもう一度情報調べてみる。どっかのまとめサイトかツッピーで引っかかってくるだろ」

 「そうだな。とりあえず明日に備えて今日は早く休めよ」

 「39」お互いに記者同士ということもあってやり取りはスピーディー。諦めも肝心で、潔い。城崎は青海に感謝の言葉を返すとノートパソコンを閉じた。

 一気に車内は車外の闇と同化する。街灯の明かりも、月明かりも無いこの場所では闇が辺りを支配していた。今までは興奮と好奇心で掻き立てられていた身体も、この闇には逆らうことは出来ず、城崎は運転席のシートをリクライニングし重たい身体を丸めて沈めた。重い瞼も城崎はそのまま受け入れた。


 こん、と音がした。

 やばっ、駐禁か? 思わず焦って上体を起こし、周りを見渡す。けれど、車外に警察官の姿も警察車両も見えない。ただフロントガラスから見えるのは、太陽光を浴びてキラキラと光る綺麗な新緑風景だった。これから夏を迎える木々たち。一枚一枚の葉っぱが太陽に向かって精一杯背伸びをしているように見える。

 え? さっきの音は? って、いやいやその前に今何時だ? 焦って腕時計に目をやる。午前8時半。完全に出社時刻を過ぎている。携帯電話が震えている。ディスプレイには「デスク」の表記。直ぐに着信は鳴り止み、ロック画面に戻る。数え切れない程の不在着信にショートメッセージ。デスク、デスク、デスク、青海、青海、デスク。

 「っわやっべ! 俺またやらかし……」え?

 不意に高鳴る鼓動が一瞬静止するような不思議な感覚に囚われた。青海のショートメッセージ「今何処だ。本当にお前の考えが正しかったかもしれん」「戦争が始まった」「日本は今、攻撃を受けていて……」と、ここでまたデスクからの着信画面に切り替わる。

 何が何だかわからない状態で、城崎は呆然としながらスマホを耳に当てる。

 「……っと出た! 城……お前今何処だ? こんな大変な時……何してる! 自宅か? そ……とも、現場直行でもう取材始め……か?」

 電波が悪いのか、ロボットボイスに変換されたようなデスクの声は半分くらいしか聞き取ることが出来ない。おそらく怒っているようではあるが、不思議と今は電話で気持ちが畏縮するような感覚は無い。もはやデスクの声は声というよりノイズに近かった。全然頭に入って来ない。少なくとも、こんな状況下でも社員の人命よりジャーナリズムを選ぶとはさすがデスク。いやそれでこそデスクだなんて変な感心をしてしまい、思わずにやけてしまう。

 それよりも青海とコンタクトを取らないと。城崎は躊躇なく無言でそのまま終話ボタンを押すと、着信履歴から青海の電話番号をタップする。

 「無事か!良かった! お前ま……現場か?」何コールか経ってようやく繋がった。

 「おい青海、どうした? ショートメッセージどういうことだ? おい! 聞こえるか?」スマホのボリュームボタンをめいいっぱい押して音量を最大にし、痛く感じる程に強く耳に押し当てる。デスク同様、青海の声もロボットボイス化していて、ノイズもあって上手く聞き取れない。

 「俺はとりあ……駅構内に居る。通勤途中で身動きが取れ……った。あれだよ、あれ、お前が今手に持っ……る、地球消しゴム! ……が空から大量に降って」

 プツンと唐突に会話は途切れた。おい青海と何度も連呼するが返答は無い。焦って耳からスマホを話してディスプレイを覗き込むが、圏外表示。この数秒間でいつの間にか圏外表示へと切り替わってしまった。もう一度青海の番号をタップするが「圏外です。電波の良いところで……」とアナウンスが繰り返し流れるだけだった。こうなったらとりあえず車を出して会社方面へ向かうしかない。

 運転席のシートを起こし、シートベルトを締めて車のエンジン始動ボタンに手を触れようとした時だった。

 こん、と音がした。続いて、こんこん。こんこんこん。ノックされてる? そういやさっきもこの音で起こされたんだった。少しパニックになりながらも周りを見渡す。車内のバックミラー、それから車外左右のサイドミラー。さっきも見渡したがやはり車外に人影は無い。いやそれどころか。

 「あれ?」違和感を感じた。昨日車を停めた際、確かに後ろにあったはずの不法投棄された冷蔵庫が無い。バックミラーに写るのはやはり綺麗な新緑風景のみ。そしてまた不意に思い出した。さっき青海、何て言ってた? 地球消しゴムが空から大量に降って?

 こん、とまた音がした。慌てて目の前のボンネットを見る。白い球体だった。ゆで卵のようにつるりと光る白い球体。地球消しゴム。あれ? 現物は俺のカバンの中にあるはずじゃ? 焦って助手席のカバンに手を伸ばす。

 こん、とまた音がする。またボンネットに目をやる。地球消しゴムが今度は2つになっていた。意味が分からず、口をぱくぱくさせているとまたこんこんと音がなってボンネットの上に地球消しゴムが上空から落ちてきて、徐々に数が増えていく。そうしてようやく城崎は今自分が置かれている状況を理解し始めた。音の正体は地球消しゴムだった。何故か空から降ってきている。しかも大量に。よくよく運転席の窓から外を覗くと、黒いはずのアスファルト舗装は一面、空から降ってきた地球消しゴムで白く埋め尽くされている。

 「マジかよ……」喉の奥から振り絞ってようやく出てきた言葉はあまりにも情けなかった。けどその一言が本当に精一杯だった。

 とりあえず押しかけていた右手の人差し指をぐっと押し込んで車のエンジンを始動させる。

 行動開始せねば。城崎は唾を飲み込むとハンドルを強く握った。

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