教育の敗北者

 新型コロナ陰謀論の回で、「コロナの存在証明」を都庁などに請求して回る人々のことを紹介した。すでに47都道府県すべてをコンプリートし、海外でも同様の活動が行われている。

 彼らは行政文書開示請求の制度を利用して、「新型コロナの存在証明」「新型コロナの存在を証明する論文」などの開示請求を行っている。

 行政は研究機関ではないので、そんな文書は持っていない。そもそも「新型コロナの論文」が新型コロナの存在証明から始まるわけがない。

 なので、「そのような文書は存在しないため、開示できない」という回答が来る。

 彼らはそれを根拠に「新型コロナウイルスは存在しない!」と訴えているのだ。


 そして、フラットアーサー。聖書や月面着陸陰謀論をもとに地球平面説を主張する彼らは、同時に「宇宙は存在しない」「月は自発光」といった主張も展開している。

 特に筆者が面白いと思ったのは「重力は存在せず、浮力の原理に従って重いものが下に沈んでいる」という主張だった。

 教科書やネットを使って調べれば、浮力が重力ありきで存在する力だということがわかる。そもそも宇宙に上下は無いので、ものを〈下〉に沈ませる力の正体を考えたとき、やはり重力の存在を認めなければならなくなってしまう。


 めんどくさい書き方をしたが、上に述べた二つの陰謀論者の主張は、ちょっと頑張ればすぐに噓だと見抜けるものだと思う。開示請求の回答をよく読めば「そのような行政文書は存在しない」としか書いていないし、後者は「浮力」でググればわかりやすい解説がいくらでも出てくる。

 ならなぜ、彼らは騙されてしまうのだろう。


 今まで社会生活や学校を通して習ってきた知識・常識をすべて覚えている人間はほぼいない。しかし、そういった情報に再アクセスすることは簡単だ。だから、問題はそれを理解できない(再アクセスできない)人間のほうにある。


 よく「学校の勉強は実社会では役に立たない」という意見を耳にする。この意見を持つ人が考える〈勉強〉とは、椅子に座って紙と向かい合い、必死にペンを紙の上で走らせることを指していることが多い。

 そういう勉強は入試のためにするものなので、実社会で役に立たないのは当然だ。


 例えば、みんな大嫌い数学。

 さすがに微積分や三角関数を日常生活で見かけることはない。しかし、もう少し簡単な指数関数となると、感染症が人から人へ広がっていく様子を数学的に表現するときに使われている。指数関数と言われてピンと来なくても、ドラえもんの栗まんじゅう事件を例に出せば、きっとイメージが掴めるだろう。

 感染者がかけ算ではなく倍々ゲームで増えていくことを理解するには、入試に出てくるややこしい指数関数の計算ができなくても平気だ。

 しかし、「短期間でめちゃくちゃ増える」というざっくりした認識を身につけるには、一度どこかで指数関数の考え方を習っておく必要がある(よほど地頭のいい天才じゃない限り)。その学びを提供するメインの場が学校だ。


 勉強ができないことが悪いのではない。一見役に立たない勉強を通して身につけられる汎用性のある能力が身についておらず、かつ自分のことを頭のいい人間だと思っている人が陰謀論にハマりやすくなる。

 学校の勉強は噓、真実は闇の勢力に隠されているとうたう陰謀論は、凡人が知的エリートや高学歴に一発逆転するもっとも簡単な手段となる。いい大学に受かって何年も必死に勉強しなくても、You Tubeを見てTwitterでつぶやくだけで「真実に目覚めた人」としてエリートに打ち勝てるのだから。

 

 いつもより字数が増えてしまうが、興味深い調査があったので紹介する。有名な調査なのでもう知っている人もいるかもしれない。


「AI vs.教科書が読めない子どもたち」という著書では、25000人の子供や社会人を対象に行われた基礎的読解力を問うテストの結果が分析されている。テストの内容は知識や計算能力を問うものではなく、文書の主語述語の対応や同義文判定をさせるものだ。つまり、基礎的な教育を受けた日本人なら必ず答えられるはずの問題である。

 その結果によれば、中学三年生の3分の1は表層的な文章読解ができない、つまり教科書に書いてあることが理解できないと判明した。簡単な文章題に答える前に、問題文が読めないのだ。

 問題の難易度が上がったとき、中高生のおよそ半分が、鉛筆を転がしたほうがマシな正答率を叩き出している。


 さらに大規模な調査に、国際成人力調査というものがある。世界24カ国の労働人口を対象に、読解力、数的思考力、ITを使用した問題解決能力を問うたものだ。各分野の問題はレベル1からレベル5の難易度に分かれ、それぞれ例題が公開されている。

 読解力レベル2では、ウェブサイトを見ながら、マラソン大会主催者の電話番号を調べるためにどこをクリックすればいいのかが問われる。数的思考力レベル4では、二つのグラフを見て、「1970年に6年以上の学校教育を受けたメキシコ人男性は何%か」を答える問題となっている。


 日本人の平均点は読解力296点、数的思考力288点、問題解決能力255点となった(500点満点中)。

 例題を参照すれば、これは高いと喜べる数値ではない。だが、これでも日本の成績は参加国中トップだった。

 調査の結果を要約するとこうなる。


①日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない。

②日本人の3分の1以上が小学校3~4年生の数的思考力しかない。

③パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない。

④65歳以上の日本の労働人口のうち、3人に1人がそもそもパソコンを使えない。


(引用元:「もっと言ってはいけない」橘玲著)


 この結果を踏まえた上で、新型コロナの存在証明をめぐる陰謀論について、もう一度考えてみる。表層的な文章読解ができない人々が「新型コロナに関する行政文書は存在しない」と「新型コロナは存在しない」を混同するのも仕方ないのかもしれない。そんな人に、行政は研究機関じゃないから論文なんて持ってないんだよ、と説得して通じないのも無理はない。


 悲しいことばかりではない。「AI vs.教科書が読めない子どもたち」では、訓練によって大人になってからも文章読解力を伸ばすことが可能だと示す例が紹介されている。

 教育によって実社会で役に立つ能力を伸ばすことができれば、陰謀論にハマる人を減らせるかもしれない。

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