飛花 -Hika-
「僕の……刀?」
「ああ、てめぇのだ。そのきったねえ刀は捨てろ」
みるみるうちに、爽葉の顔には笑顔が広がり、
「わぁーっい!」
と歓声をあげて飛び跳ねた。
「本当に、僕のなんだよな? 今更撤回はできないぞ? やったあ、新品だ!」
「よかったな」
土方は苦笑いで、喜びに浸る彼を見た。早速腰に
「案外軽いな!」
「お前のは短めに作るよう伝えたからな。容保公からの褒美だそうだ」
「うん、これは悪くない」
つい先日の政変での新選組の働きは、土方達の思うところとは裏腹に、高く評価された。その働きに対する褒美と今後の期待を込めて、
にやにやと笑いながら左手で鞘を撫でていた爽葉が、突然抜刀した。間一髪、土方はその
「うっひょー! 最っ高に抜きやすい!」
「おい、こんな狭い
「大丈夫、大丈夫! ちょっとトシの髪の毛削ぐくらいだからさ!」
「てめえのチャンバラの剣には当たらねえよ」
爽葉が勢い良く振るった刃が風を裂き、音が鳴る。眩い陽光を浴びた刀身が美しい。
煙草を
「へっ、今に見てろ。油断してたら、その余裕こいた土手っ腹にぶすりだからな」
「阿呆」
土方に頭を叩かれた爽葉は、渋々刀を鞘に収める。
「それと、その脇差も捨てろ。切れ味悪いだろ」
「ハジメに手入れはして貰ってる」
「にしても、だ」
土方が必死に抱える脇差を奪うと、爽葉は口を尖らせて抗議の声をあげる。
「
「だってえ。今月は贅沢するんだもん!」
「どうせ腹一杯菓子でも食おうって算段だろ。やめとけやめとけ、必需品揃えるのが優先だ」
「ええぇ。じゃあトシの綺麗な脇差くれよ」
「おい、安上がりに済まそうとするな。てめえの金で買え」
爽葉はずりずりと畳に上を移動すると、刀掛けの上段に置いてあった土方の脇差を手に取った。
「無断で取っていくなよ?」
「ケチ」
「そりゃチビ助、てめぇの方だろが」
ついでと言わんばかりに土方の打刀を触っていた爽葉が、訝しげに眉を寄せた。
「なあ、トシって変な持ち方してるよな」
「あ? ……ああ、まあな」
土方が爽葉を見た。爽葉は、近藤や沖田の刀と土方の刀の、
「これじゃ、親指と人差し指に力が入るぞ?」
「いいんだよ。こっちの方が力が入る上に、素早く振れる」
「人には基礎を教えておいて、自分は我流かよ。……それにしても、これでどうやって斬るんだ?」
刀の
「こうだ」
背後から抱え込むようにして、土方が爽葉の手を握っていた。先ずは人差し指。ゆっくりと二本の指を撫でて、人差し指と親指の位置を優しくずらす。
背が
「鍔に手をつけて握り込むんだ……そうだ」
咥え煙草でもしているようで、くぐもった低い声が耳元で響く。
「……変なの」
なんとか絞り出した声は、微妙にうわずっていた。
「お前もこの握り方にしたらどうだ。刀が手からすっぱ抜けることも減るだろうよ」
「僕はトシと違って、きちんと学んでる優等生だからねー?」
「てめえも戦い方は喧嘩剣法じゃねえか」
「う」
土方が手を離すと同時に、煙草の香りが離れていった。少し背中に温もりが残っている。その暖かさが早く去ってくれないかと、爽葉は意味もなく着物をぱたぱたと煽いだ。
たった一日で終わった無血の政変により、尊攘派の勢力は京からほぼ一掃された。この機会に会津藩から新選組は高い評価を得たが、これを手放しで喜ぶ者は、隊士の中に誰一人として居なかった。政変の翌日から新選組は市中取り締まりを命下され、ますます隊士達は身の引き締まる思いをしているようであった。皆以前よりも然りに稽古に励むようになり、過度な訓練を注意される者もいる。
ただ、攘夷志士との戦いは続いている。一度は長州の第一人者たる
そして一昨日に続けて今日も、筑前の浪士である
この三条縄手の戦いの際、爽葉はやっと、間近で土方の戦いぶりを見た。
圧巻であった。
思わず爽葉は暫しその場に立ち尽くした。
型破りにも関わらず、洗練された流麗なる動き。力強い太刀筋。荒々しい斬撃と、豪快な戦法。しかし、
「ちょ、トシ! 全然稽古の時と違うじゃないか!」
「誰が道場の外でも行儀の良い戦いをしろっつったか? 勝てりゃ良いんだよ、それがどんなやり方だろうがな!」
そう言って、土方は相手の顔に向かって砂を投げ、目潰しをすると、一気に畳みかけて、数秒の間に見事三人を斬り伏せてしまった。
流石は天然理心流入門からわずか一年半後に、中位目録を手にしただけはあるようだ。本来ならば、七年経験を積まねば得られぬ称号である。
近藤の剣は恐怖を感じる、圧巻のものであった。彼等の実戦での
知友である二人の戦いぶりは正に、阿吽の呼吸と言うべきなのだろう。瞬く間に敵を一掃すると、古東を引っ捕まえて
「トシと近藤さん、息ぴったりだったよな。昔から一緒に戦っていただけはある」
「そりゃあ、伊達に長く時を共にしてねえからな」
「義兄弟の契りとやらを、交わしたらしいな」
「近藤さんから聞いたのか」
土方はそう言うと、煙草を
昔から、武士に憧れていた。
江戸の多摩は、幕府の直轄地で、土方はその地の豪農の子である。両親を早くに亡くし、
土方が十六、近藤が十七の時のこと。その時期は土方もやんちゃ真っ盛りで、喧嘩に明け暮れ、奉公も性に合わず、居心地の悪い暮らしにも飽き飽きしていた。女は全員自分に惚れる馬鹿だと思っていたし、子供だからと奉公人の話に耳を傾けない商家の男はもっと馬鹿だと思っていた。
『まぁたお前か』
古びた寺院の境内。倒れ伏した年上世代の男達。その中で一人佇む土方に、そう声をかけたのは、まだ試衛館に入門したばかりの若かりし近藤だった。
売られた喧嘩は買って、やり返す主義の土方は、再び立ち上がられないほどに相手を痛めつけていたが、同時に土方自身も傷ついていた。何かに飢えていたのやもしれない。近藤に向けた眼は、酷いものだったと思う。しかし、そんな土方に、近藤は優しく笑うだけだった。
『お前、やっぱ強いな』
数日前にこの街に出稽古をしに来たようで、ちらほら街で見かけたことのある青年だった。ただでさえ夏の陽射しは強く、ひどく暑い
その日を皮切りに、近藤は土方を見つける度に、しつこく声を掛けてくるようになった。近藤はこの頃から大柄で、人並みから頭一つ出ている男を見つけると、土方はそそくさと道を迂回したものである。
『なあ、試衛館に来い。お前、稽古したらもっと強くなるぞ』
『そんな暇はねえ』
『喧嘩をする暇はあるんだろう』
『俺は農民の末っ子だ。奉納先も追い出されたからな、薬を売らなきゃなんねえ。
欲望は泥濘に沈め、幼き頃に抱いた希望は錆びていた。陳腐な言葉が口をついて、自身に言い聞かせるような戯言をぺらぺらと述べていた。
声掛けを無視して、土方はその場を立ち去ろうと、近藤の傍を通り過ぎようとしたその時、彼がまた口を開いた。
『俺はな、武士になるんだ』
思わず、足が止まった。いつもの明るい声音ではなく、響きに重みがあった。それは土方に近藤の覚悟と決意を知らしめた。
『この国一の武士にな』
身体の大きな近藤は、言うことも大きかった。大き過ぎた。
ただ、
『俺も農民の子だ。だが、武士になりたい。いや、なると心に誓ったんだ』
『何を……』
振り返って、彼の顔を見て、土方は何も言えなくなった。
この男は、本気だ。
直感的にわかってしまった。
堂々とした立ち姿が、一文字に結ばれた唇が、何よりも
『共に、武士になろう』
土方も武士に強い憧れを抱いていた。しかしいつの間にか、年を重ねるうちに自然と、夢は霞み、誰が定めたとも知れぬ現実を見るようになっていた。
近藤の言葉は、一言一句、土方の
『俺は
『……土方、歳三』
『歳三……
『はあ?』
『俺のことは、そうだな、かっちゃんとでも、気軽に呼んでくれ』
よろしくな、歳。
あの笑顔が、忘れられない。
彼の魅力は果てしない引力だ。どんな人も、彼に惹き寄せられてしまう。そんな気がしてくる。
土方は、近藤に引っ張られるようにして、稽古に参加した。時折、自ら足を運んだ。ひっそりと、寂れた境内で稽古の真似事をした。散薬の行商の間、暇を見つけては木刀を振って稽古に励んだ。いつの間にか、時間さえあれば稽古に顔を出すようになった。
『出稽古も終わりか』
『ああ、明日には発つ。無理にとは言わんが、試衛館にもちゃんと来てくれよ』
『わぁったよ』
同じ多摩とは言えど、試衛館は此処から足で一刻(約二時間)程度。決して近いとは言えない距離にある。だが、近藤は出来る限り来て欲しいと言う。ならば土方も、それに応えたいと思った。
『なあ、歳』
『ん?』
土方は、隣に腰掛ける近藤を見た。二人が最初に出会った、境内。相変わらず
『義兄弟の契りを、交わさないか?』
義兄弟の契り。それは、血縁のない男同士が、兄弟に等しい盟友関係となることである。
遠くを見つめる横顔が、少し火照っている。夕陽の所為ではないようだ。
『何笑ってんだ』
『お前が恥ずかしがってんのが、面白いからに決まってるだろう』
『歳ぃ! 俺は本気で……っ』
『いいぜ』
近藤がきょとんとした顔をする。彼は土方とは違い、くるくると表情が変わる。巨体に似合わぬ可愛らしい表情を浮かべるのが
『義兄弟の契りっての、交わそうじゃねえの』
それを聞いた途端、近藤はまた、あの柔らかな笑顔を浮かべた。太陽のような、温かな笑顔を。
『盃がねえな』
『酒もないぞ』
『もう何でもいいだろう』
そう言って、神社の脇に流れる川から、手酌で水を
近藤が道場を継いだ頃、土方は正式に天然理心流に入門した。この時、近藤二十六、土方二十五。
二人は再び、同じひとつの道を歩み出した。
百姓の
二人で眺めた夕陽の光は強く、そして眩しかった。あの夏の思い出を、一生忘れやしないだろう。
「なぁ」
爽葉が土方の着流しの袖を引っ張った。
「あ?」
お揃いが欲しい──。
「は? なんて」
「だからぁー……その、お揃い、が」
「何うじうじしてんだ。聴こえねえ。はっきり言いやがれ」
「だから! 僕もっ……お揃いが欲しい! トシとお揃いのものっ!」
土方は無言で、まじまじと爽葉を見た。見る間に爽葉の頬が羞恥で紅潮していき、すぐに熟れた柿のように真っ赤になった。
「その、だって、トシと近藤さんは、義兄弟の契りで兄弟っていうお揃いを持ったじゃないか。僕もなんか、欲しい」
取り繕うように、早口で並べられた言い訳も尻すぼみ。これを笑わずにいられようか。
*打刀…一般的に想像できる大きさの日本刀
***あとがき***
40000pv感謝
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます