ヒーロー・エクスマキナ

東美桜

第1話 ヒーロー×エクスマキナ

 ……視界が滲み、爽やかな青色に染まる。溢れる光に目を細めつつ、俺は幾度か瞬きをした。快晴の空と、眩しいくらいに白い城壁。どこかの城の中庭だろうか。起き上がろうと身体に力を入れると、全身の関節が悲鳴を上げた。思わず変な声を出し、反射的に力を抜く。片手で手近な地面を打つと、返ってくるのは石畳のような感触。……俺、さっきまで家のベッドで寝てたはずなのに。そもそも、ここはどこなんだ……?


「……目が覚めましたか? 小林こばやし真良しんらさま」

 革靴が石畳を叩く音。風鈴を思わせる中性的な声。俺はゆっくりと首を横に倒し、人影を視界に収め――反射的に飛び起きた。刹那、関節が電撃を受けたように痛み、脳裏で真っ白な火花が散る。生理的な涙を浮かべながら、俺は思わず悲鳴を上げた。

「だっ! 痛っ! 痛ててて……ぐっ……」

「……はぁ」

 痛みに呻く俺を見下ろし、人影は呆れたように息を吐いた。半ば無理やり座り直し、俺は眼前の影を見上げる。長身を覆う白い襤褸ぼろ布が表情と上半身を隠していた。そこから伸びる脚は針金のように細く、足首を囲むように歯車のようなパーツが浮かんでいる。フードのような襤褸ぼろ布の影から、金属のような鈍色の瞳がこちらを見つめていた。その人物は静かに息を吐き出し、呆れたように口を開く。

「……先が思いやられますね……」

「酷ぇな! つか、誰なんだよお前。ウエメセで思わせぶりなこと言いやがって。だいたい、何で俺の名前知ってんだよ!」

「散々な言い草ですね……まぁいいでしょう。現状把握と自己紹介は最優先に、とのお達しだ……ひとまず、自己紹介からいたしましょうか」

 石畳にあぐらをかいている俺に、その人は視線を合わせるようにひざまずいた。襤褸ぼろ布の奥から白鳥を思わせる端正な顔立ちが覗く。その人は芝居がかった仕草で胸に手を当て、どことなく神経を逆撫でするような笑顔を見せた。


「私の名は、ギヴァ。神々より遣わされし、あなた様の道具です」

「道具……だぁ?」

「そう」

 胸に当てられていた片手が、俺に向けて伸びてくる。その手首を取り囲むように、鈍色の歯車が浮かんでいた。思わず瞳を見開く俺に、その人……ギヴァは視線を合わせるようにしゃがみこんだ。機械じみた瞳がふわりと細められる。

「あなた様……真良しんらさまは、この世界の危機を救うため、神々の手により召喚されたのです。そして私は、あなた様を手助けするために遣わされました」

「は……?」

 ……思考にノイズがかかってまとまらない。けれど、状況そのものには心当たりがあった。さっきまで暮らしていた日本で、貪るように読んでいた異世界転生小説。味気ないオートミールみたいな日常から抜け出せる、子供が描いた絵のような空想。だが――と、俺は勢いよく首を振った。反動で首に激痛が走り、それをかき消すように叫ぶ。

「だっ……! いや、そんなはずないだろ! あれはフィクションで、俺は何の能力もない普通の高校生で……こんなの、ただの夢に決まってるだろ!」

「寝言は寝て言うものですよ。実際、身体が痛いのは本当でしょう?」

「……っ!」

 言われた途端、肘が再び悲鳴を上げた。無理やり声を押し殺し、ギヴァの無機質な瞳を睨む。なんなら脚も首も背中も痛いけれど……その痛みが、これが現実だと突きつけているようで。だが、こんな怪しい状況で、弱音なんて吐いてたまるか。素人が放つ銃弾のような視線を受け、ギヴァは薄く唇を歪めた。芝居がかった仕草で両手を広げ、滔々とうとうと語りだす。

「……私は召喚英雄のための道具。あなた様のため、あらゆるモノを与える権限を有しております。それは何も物体には限らず、いわゆる特殊能力も思いのままです。例えばそうですね……」

 芝居の語り部のような声を、俺は唇を噛んで聞き流していた。脳裏が痛覚信号で埋め尽くされ、こいつの話など耳に入らなくて。ふとその鈍色の瞳が、痛みに悶える俺の姿を映した。神経を逆撫でするような笑顔を浮かべ、彼は口を開く。


「……その痛みをすぐに消すことも、当然可能です」

「っ!」

 思わず息を呑み、ギヴァの無機質な瞳を見上げる。……全身が悲鳴を上げ、今にも千切れてしまいそうだ。それに伴って胸に走る苛立ちも消えるのなら……こいつの力を借りるだけで、消えてしまうなら。千切れそうなほど痛む右腕を伸ばし、苛立ちに任せて彼を睨む。

「なら、さっさとやれよ! つか、それを先に言えよこのッ!」

「……」

 対し、ギヴァは少し驚いたように瞳を見開いた。だが、なびく白い襤褸ぼろ布がその表情を隠す。歯車に囲まれた片腕を伸ばし、ギヴァは俺の手を無造作に握った。

「……ええ、あなた様のお望みのままに」


 ――はっとした。ギヴァの手のひらがあまりにも冷たくて、まるで銀色の刃のようで。七色の光が見開かれた瞳を潰さんとばかりに焼く。反射的にぎゅっと目をつぶる中で、機械的に冷え切った手の感触だけが妙にリアルだった。……ギヴァの手首を囲む歯車から、プリズムのように溢れる光。目を閉じていてもなお視界を焼く眩い光。

 ……指先の冷たさが、徐々に俺の身体に浸透していく。まるで血が通っていくように、腕に染み込み、胴体へ、全身へと染み渡っていく。心臓が脈を打つたびに、電撃のような痛みが引いていって。たった数回の瞬きのうちに、嘘みたいに身体が軽くなっていた。


「……いかがですか?」

 す、と冷たい指先が離れる。俺は軽く手首を回し、肩を動かし、首を左右に傾けた。……どこにも痛みがないどころか、地球にいた頃よりも体が軽い。立ち上がって軽く跳んでみても、全く痛みを感じない。身体が風船になったみたいだ。

「……すげぇな、これ。どうなってんだよ」

「申し上げましたでしょう? あなた様が望むなら、私はあらゆるモノをお与えすることができます。権力も財宝も特殊能力も思いのまま。……さて、此度差し上げましたのは、『無限の治癒能力』になります」

「……は!?」

 予想の斜め上の回答に、俺は思わず飛び退った。……無限の、治癒能力? つまりどんなにひどい怪我をしても、すぐ治る……? 当たり前のことを再確認すると同時に、心臓の鼓動が徐々に高鳴ってゆく。襤褸ぼろ布を纏った姿を見上げ、俺は腹の底から声を上げた。

「……最っ高じゃねえか!」

「ふふ、驚くにはまだ早い。この力は自然治癒力を極限まで強化するもの……どんなダメージも、受けた端から回復してしまう。痛覚信号をも上回るほどのスピードでね。デメリットとしては……必要とする食事量と睡眠時間が少々増加すること、でしょうか」

「や、そんなんデメリットのうちに入らねえし! マジで最高じゃん!!」

「ただし、です」

 風が吹いたと思った時には、目の前で白い襤褸ぼろ布が揺れていた。はっと息を呑み、ギヴァの鈍色の瞳を見返す。背筋が徐々に冷えていく中で、その人は無機質な指をそっと伸ばした。


「力には、当然のように義務が付随します。先程申し上げましたように、あなた様はこの世界の危機を救うために召喚された……私が何を懇願せんとしているか、もうおわかりですね?」

 ギヴァの微笑みはひどく不遜で、俺が断るはずもないと確信しているようで……かすかに逆撫でされる神経すら気にならない。要するにこいつは、目的を達成するためのユニークアイテムってことか。だったら使い潰すまでだ。力強く頷き、俺は眼前の鈍色をキッと見返した。

「ああ……この世界を救えばいいんだな? そのくらい、この力とお前の存在があれば……お安い御用だぜっ!」

 堂々と言い放ち、拳を天へと掲げてみせる。ただ、憧れの主人公たちみたいになれるなら、それだけでよかった。

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