第六話 雛鳥の殻破り

雛鳥の殻破り 1

 それから一週間後。ひばりとの約束の日に、森岡はキャリーケースにパンパンに荷物を詰め込み、フラン・フルールの前に立っていた。カンカンに照りつける日差しを避けるために日傘を差している。森岡が初めてこの店を訪れた時と同じような装いでそこに居るのに、心の有り様が180度違っていた。いや、一回転してまた別の角度から同じ感情を抱いていた。

 あの時は実在するかもわからない”魔女”の力を頼って、眉に唾を塗って足を踏み出した。焦りと心細さで不安が胸の内を満たしていた事を今でもハッキリと思い出せる。そして現在はといえば、自分が正式に魔術師となり魔女の助手となるべく足を踏み出そうとしている。今度は大きな組織からの呼び出しと、未知の世界への不安で満たされているのだった。


 フラン・フルールの扉を開けると、そこには美少年が二人、カウンターを挟んで談笑していた。カウンターの中の青年は森岡を見るやいなや、スッと一歩引き、見定めるように森岡を上から下まで見遣る。方やもう1人の少年は恐らく客なのだろう、一度チラリと森岡に視線を送った後カウンターの中の少年に視線を戻した。

「あ、あの、ひばりさんは……」

「……今は不在ですけど、どちら様」

 胡乱げな視線を向けられ森岡はたじろいだ。フラン・フルールに通うようになって以来、ひばりと純、それに魔道具達の他にカウンターの中に立つ者がいたとは知らなかった。思わず両手の指をもじもじと突き合わせながら少年に告げる。

「森岡と申します。今日からひばりさんと遠出をする約束をしているのですけど……」

 すると青年は眉間に寄せていたシワを解き、今度はふんわりとした笑顔を向けた。

「あぁ、あなたがモーリーさんですか。僕はひばりの弟の日和といいます」

 ――弟さん!!

「は、はじめまして。いつもひばりさんには大変お世話になっています」

「こちらこそ、姉がいつもお世話になっています。すみません、魔力を持った見知らぬ人が急に入って来たものだからつい警戒してしまいました」

 そういえば前に可愛くて仕方がない弟がいるとひばりが言っていたなと思いながら、森岡は日和をまじまじと見た。髪の色素は薄く、瞳の色が明るい。ひばりとは一見穏やかそうな雰囲気は似ているが、外見的に似ている箇所は見つからない。少しだけツンとした仕草が思春期に見られるそれだとわかった森岡は、急激に日和に対して母性本能を引き出された。

「あははは、怪しい者ではないです」

 頬をポリポリと指で掻きながら、森岡はやんわりと微笑んでみせた。

「姉さんからモーリーさんのお話は聞いております。そうか、出かけるのは今日だったか。横浜までは遠いですが、どうぞ楽しんで」

「ありがとうございます。ひばりさんがいらっしゃるまで待たせていただきますね」

 そう言って森岡はカウンターの上のガラジに挨拶をし、店の隅のガーデンチェアへ腰を下ろした。


 ――しっかし美しい姉弟だなぁ。眼福眼福。この分だとよくお話に出てくる「ママ」はとんでもない美姫なんじゃない?


 しばらくすると、店の前に一台の車が停まった。車の免許を持っていないため車種など詳しくない森岡だったが、それがとてもクラシックでお高そうな車だということだけはわかった。


 ――なんというか、ものすごく古いけど高級感があってピカピカでセレブな車だな。この辺の別荘の人かな。


 そして運転席側のドアが開き、そこから出てきた人物に目を見張った。なんと、よそ行きの格好をしたひばりが颯爽と降りてきたのだ。黒いロングワンピースだが、鎖骨から手首までの部分が総レースで涼し気な印象で、色白のひばりによく似合っている。ひばりはバタンと扉を閉めると、鍵を指にかけくるくる回しながら、足取りは弾み気味に店に入ってきた。


「おはよう! 日和君、ガラジ! 日和君は今日も見目麗しいねぇ」

「おはよう姉さん」

「おはようございますひばり様」

「二人共、今日からしばらくお店よろしくね。お土産たぁっくさん買ってくるから! 何がいいかなぁ。横浜といえば、やっぱりシウマイかしら! あ、せっかくだし海にもいっちゃおうかしら! 江ノ島、湘南、由比ヶ浜……あぁ、水着を持ってきていないわ。現地でかわいいの買っちゃおうかなぁ」

「くっふふ……姉さんならきっとどんな水着も似合うよ」

 笑いを必死に堪えていた日和だったが、想像以上にご機嫌な登場をしたひばりにたまらず声が漏れてしまった。

 そんな日和を不審に思い辺りを見回すと、驚いた顔でひばりを見ている人物に気づき、わずかに顔を青くし居住まいを正した。


「は、肇様、いらっしゃいませ。朝からお騒がせしてしまってすみません。あの、本日は早い時間にどうされたのですか?」

「おはようございます。その、日和君が開店前に来ると珍しいものを見られると教えてくれたので、部活の前に寄らせてもらったんです」

 珍しいもの。確かに普段は優美な立ち居振る舞いを見せるひばりが、あれほど陽気な登場をするとは誰にも想像できまい。令嬢らしからぬ自らの醜態を見られたひばりは、耳まで赤くし「ほほほ」と口元に手を当て笑ってなんとか誤魔化そうとしている。

「そういえば、先日頂いた角砂糖ですが、あれすごいですね。コーヒーに一欠片入れるだけで指先まで血が通うのを感じるし、しばらく体が温かいままになります」

「それはよかった。以前冷え性だとおっしゃっていたので、冷房がきつくなるこの季節に少しでも役立てていただけたらと思ってお作りしたんです」

「僕のために……」

「たくさん作ったので、よかったら今日もお持ちになってください。今ご用意いたしますので」

「ありがとうございます。でもこれから学校に行くので暑さで溶けてしまうかも……」

「それなら、僕が預かっておくよ。肇さん、部活帰りにまた寄ってください」

「ありがとう日和君、そうさせていただきます」

「じゃあ袋に取り分けてきますね」

 そう言って二階へ上がろうとしたひばりの視線の端に、ニヤニヤしながら手を振ってくる見知った顔があった。


「あ、あらモーリーさん、おはようございます。思ったより早かったですね」

「おはようございますひばりさん。はぁ、江ノ島かー。言ってくれれば私も水着持ってきたんだけどなー」

 ギクッと肩を強張らせたひばりは、コホンとわざとらしく咳払いをし、逃げるように二階へ上がっていった。


「それじゃ、また夕方に来ます」

「お待ちしております。いってらっしゃい」

 部活動へ向かっていった肇を見送った日和が振り向くと、そこには拗ねた表情の姉が仁王立ちしていた。

「日和君、肇様がいらっしゃるなら先に言ってよ! しかもいつの間に仲良くなったの!」

「夕べあんなに楽しそうに支度してたからさ、今日もそのテンションのまま来るんじゃないかと思って。肇さん同じ小学校だったし、図書館でよく会うから昔から繋がってるんだよ。姉さんに興味ありそうだったからつい」

「そうだったの。何にせよ、姉のわくわくを見世物にしないでください」

「ひばりさん、わくわくしてたんですね」

 姉弟のやり取りをニヤニヤしながら見ていた森岡がつい口を挟むと、ひばりは半眼で森岡を睥睨へいげいした。しかしすぐに観念したように、はぁ~っと長く息を吐いたあと、両頬をパンっと叩くといつもどおりの貴婦人のような雰囲気をまとい、にこやかに森岡を見た。


「モーリーさん、お支度は完璧ですか? そろそろ出発しませんと」

 そう言って握りしめていた車の鍵をチャラっと見せた。

「ひばりさん車の免許持ってたんですね」

「取りました! 一昨日!」

「一昨日!?」

 森岡は衝撃のあまりたまらず立ち上がった。一昨日免許を取得したと言うことは、初心者中の初心者ではないか。

ーーそういえば最近いそいそと出かけていたけれど、自動車学校に通ってたのか。

ゴクリと喉を鳴らしひばりを見ると、これまで見たこと無いほどの満面の笑みを浮かべている。その清廉な笑みがより一層森岡の恐怖心を掻き立てた。

「あの、ひばりさんが運転して横浜まで行くってことですよね? 私免許持ってないので交代できないですよ?」

「もちろん私が横浜まで運転します! そのために納車を早めていただきましたもの! 元々はお祖父様……先代の車なのですけど、綺麗にレストアしていただきました」

 ふんっと鼻息荒く語るひばりの目は爛々と輝いている。かなり古……クラシックな車だが、メンテナンスしたばかりならそこまで不安は無い。車体に不安は無いのだが。

「モーリーさん、大丈夫ですよ。姉さんはこう見えてバイクの免許も持ってるし運転にそれほど心配は無いと思います。たぶん」

「たぶん!?」

「ご安心ください。いざとなればこのリヒトめがお二人のエアバッグとなりましょう」

「全然安心できない!」

 誰の言葉も絶望しかけた今の森岡の胸には響かない。やっぱり今回はお断りしようかと思ったその時、森岡のスマートフォンにメッセージが入った。メッセージは純からのものだった。


 ”モーリーさん、どうか生きて戻ってください。グッドラック!”


ーー追い討ち!


「さぁほら、いつまでも駄々をこねていないで乗ってください。早く出ないと渋滞しちゃいます!」

 急かすようなひばりの言葉についに意を決した森岡は、先程ひばりがしたのと同じように両頬をパンっと叩き、キャリーケースの持ち手をぐっと握りしめた。

「皆様、行って参ります!!」

「いってらっしゃ~い。シートベルトはしっかりね~」

「お二人とも、どうかご無事で」


 最後の最後まで不安を掻き立てられた森岡は、恐る恐る助手席のシートに乗り込んだ。

 総革張りのシートは、存外ふかふかで座り心地の良いものだった。

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